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第1回 「 捨てられたプロレス、PRIDEの憂鬱」
第2回 「 プロレスラーという人々」
第3回 「女子総合格闘技、月森サトルを救う」
第4回 「月森サトル、「WRESTLE(レッスル)−1」にとまどう」

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2003.5.22 UPDATE


月森サトル
text&illustration by Satoru Tsukimori


【第5回】2003年「プロレス」をめぐる気分
「K−1」「PRIDE」もういいです・・・。
月森サトル、謎の心変わり

 一体どうしたというのだろう。最近、一時期あれほどつまらなくて見る気がしなかったプロレスが、またまた好きで仕方がなくなってきているのだ。

 年末から今年初頭にかけての「K−1」や「PRIDE」を襲った激震(説明の必要はないですよね・・・)以来、2002年にはあれほど燃えたリアル・ファイト系のイベントからすっかり興味が離れ、心にぽっかり開いた隙間に代わりにすべりこんできたのが、一時は完全に見限ったプロレスだったのは自分でもかなり意外である。

 例えるならば、古女房(プロレス)との単調な生活に飽き、刺激的な若い愛人(K−1、PRIDE)に夢中になったが、結局はそのワガママぶりにほとほと疲れて、照れ笑いを浮かべながら家庭に戻ってきたダメ男・・・・・・という感じだろうか(そんな例え必要ないか・・・・・・)。

 これはあくまで個人的な気分だけれど、「K−1」「PRIDE」に以前ほど夢中になれなくなった理由はわりと単純なもので、ひとことでいえば、そこに「テーマ」「ドラマ」が見つけにくくなってしまったからだ。以前も書いたが、「K−1」がこれだけ人気が出たわけは、キックボクシングというマイナーな分野に、「リベンジ」「対抗戦」「選手のキャラクター付け」といった実にプロレス的な価値観・仕掛けを持ち込んだことに尽きる。「PRIDE」にしても、ここまで興行が回転し続けてきたのは、その底流に、桜庭和志に象徴される「プロレス」というジャンルが、リアル・ファイトに「復讐」していくというスケールの大きなストーリーがあったからだ。

 両ジャンルのトップが舞台から消えた今、少なくとも「K−1」「PRIDE」を初期からずっと見続けてきた僕のようなファンにしてみると、こうしたドラマティックな魅力も、「一段落してしまったなあ・・・」というのが素直な実感。そして後に残ったのは、とにかくその時点で強い選手が、実力が衰えたり、コンディションが悪い選手を、容赦なく駆逐していくだけの「殺伐とした世界」だったのだ。昨年のMVPボブ・サップがミルコ・クロコップにKOされようと、無敵のPRIDE王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが新たな強豪エメリヤーエンコ・ヒョードルにボコボコにされようと、一瞬の刹那的な興奮はあっても、それを超える感動や余韻はない。つまりは「物語」の世界が終わり、これからは完全な「競技」の世界が始まるのである。

 聞くところによると、今年になってから最初のビッグ・マッチである「K−1 WORLD GP2003 inさいたま」(3月30日)と、「PRIDE25横浜アリーナ大会」(3月16日)は、暗い話題を吹き飛ばすように大入り満員で、内容的にも盛りあがったようだ。でもあれを大喜びで見た観客の大多数は、僕のようにプロレスの延長としてこれらを見始めたわけではなく、ここ数年で純粋培養された、新しいファンのように思えてしかたがない。

散々っぱら「プロレス終わってる」「格闘技こそ新しいプロレス」などとほざいておきながら、身も蓋もないリアル・ファイトに飽きると、臆面もなく「プロレスはいいな〜」と戻ってきた恥知らず月森。男女関係においても、男が最も卑屈な顔をするのは、上のような状態の時でしょう。女子の「最低〜!」の合唱が聞こえるようですよ。



 


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