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2002.5.10 UPDATE


月森サトル
text&illustration by Satoru Tsukimori


【第1回】 捨てられたプロレス、PRIDEの憂鬱
4月28日、「PRIDE20」
それはプロレスが“捨てられた”日


WWF、WCW、UWFなどの団体名ばかり見ているせいか、街でアルファベットを見かけると、異様に反応する筆者(月森)
 まず、最も屈辱的な開陳からはじめよう。僕はプロレスが好きだ。もう一度言おう。僕は・プロレスが・好きだ。30半ばのこの年になっても、なかなか人にこうはっきりと言うことが出来ない。もちろん、プロレスというジャンルが本質的に、後ろめたく、恥ずかしいものだからだ。

 “プロレス”の四文字は、「K−1」や「PRIDE」といった、格闘技イベントがもてはやされる近頃となっては、余計にマイナーで、格好悪いもの、もっと言えば失笑の対象にさえなっている。特に、「K−1」「PRIDE」を地上波や衛星放送で知って、“この世界”に興味をもったという10代〜20代のファンのなかには、「K−1」「PRIDE」は真剣勝負(リアル・ファイト)だから見るけれど、プロレスはインチキだから見ないという人がとても多い。こう書いている僕自身が、実は最近プロレスにほとんど興味がもてず、いわゆる格闘技系のイベントばかり見ているし、「週刊プロレス」は立ち読みで済ませても、「格闘技通信」は発売日に即買いし熟読する“裏切り者”なのだが・・・。

 4月28日、横浜アリーナで「PRIDE20」を観戦してきた。メイン・イベントは、ミルコ・クロコップVSヴァンダレイ・シウバ。前者が立ち技格闘技「K−1」の実力者であり、後者が総合格闘技「PRIDE」のチャンピオンである。いってみれば、いま隆盛を誇る2大ジャンルのトップ同士が激突するわけで、会場につめかけた1万数千人の観客の興味も、ほとんどがこの一戦に集中していた。

 にもかかわらず僕はといえば、わざわざ自宅のある世田谷から新横浜くんだりまで足を運んだというのに、なんだかとてもシラケていた。理由は自分でもわかっている。ついに、世の中がプロレスを必要としなくなったことが、この日はっきりしたからだ。

 





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