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2005.1.31 UPDATE

田中正明
text by Masaaki Tanaka

1月1日の映画サービスデーに『ゴジラ ファイナルウォーズ』『ターミナル』『僕の彼女を紹介します』をハシゴして、筆者の3日間の冬休みは終わった。
ちなみに上記3作品の個人的評価は、順に「◎」「△」「泣いたけど×」である。いや〜、ゴジラは良かった。北村龍平監督って、あまりいいイメージがなかったけれど、この娯楽超大作は6時間座り続けて観てもいいと思った。ブラボー! 心の中で一人スタンディング・オベーションだ。あ、でも、エンディングぐらい伊福部昭の曲で締めようよ〜。いくら『ゴジラ』シリーズに思い入れがなくてもさ。僕もないけど。
仕事始めは翌2日。昨年末に取材した「フロント交遊録 中村祥之(ゼロワンMAX)×松永正嗣(全女)」のページを作るべく、編集部で写真をセレクトし、タイトルを付けてデザイナーに発注した。デザインが上がるまでには、年越しの間サボっていたテープ起こしを進めなければならない。
女子プロレスの新年最初の興行は、十何年も前から全女の後楽園ホール大会が定番となっている。3日の夜と4日の昼の2連戦で、4日の午後3時から新日本プロレスが東京ドームで“闘(たたかい)始め”を行なうのも、平成の恒例行事だ。
3日の全女は、王者・Hikaruに前村早紀が挑戦したオール・パシフィック選手権試合が白熱の好勝負となり、両選手をプッシュする僕としては幸先のいいスタートとなった。その試合を「追い込み」作業で一晩かけて入稿したあと、4日は全女の取材を終えて新日のドームへ。友人たちとビールを飲みながら新日を観戦し、その後、居酒屋で新年会というのが、ここ数年続くパターンだ。
あんなに動員の少ないドームだったけど、僕は5千円払って行きましたよ。「女子(プロレス)は仕事、男子は趣味」が僕の信条なので。追い込みのおかげでほとんど寝ておらず、受け身の音を子守唄に熟睡すると予測した僕は、隣りの友人に「アルティメット・バトルロイヤルは起こさないで。でもメインは観たい」と言い残して意識を失った。起きた時にはセミファイナルあたりで(セミはなんだっけ?)、中邑真輔の入場シーンに余裕で間に合った。24歳の中邑が新日本の1・4ドームのメインイベンターとして入場する雄姿には、思わず感動の涙をこぼしてしまった。
平成17年(酉年)は浜田文子、Hikaru、西尾美香、華名、米山香織が年女。その一つ下が未来。女子プロレスも、この世代がメインを張らなきゃダメなんだ。
新年会では鍋を囲みながら、友人に「あれ? 今日、中西学は出てないよね」と真顔で尋ね、「起こさなくていいって言ったから」と返された。宴もたけなわ、『週刊ゴング』の吉川義治編集長から電話があり、「田中さん、次号のネタは…?」との催促。しまった、ネタ出しは今朝までにしなくちゃいけなかったんだ。会計を締めて友人たちと別れ、白山2丁目の編集部へと急いだ。
まあ、こんな感じで、今年は慌しく1年がスタートした。
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1月3日、後楽園ホール(全女)のHikaru対前村早紀は熱い試合に。 |
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1月3日を皮切りに、Hikaruと前村は7日連続で試合が組まれていた。よし、二人がいい試合をしてくれたから、その全てを見届けてやろうと意気込んだ僕は、1・3&4後楽園(共に全女)、1・5東京武道館(AtoZ)、1・6北沢タウンホール(新日本の若手興行)、1・7後楽園(中西百重引退試合)、1・8横浜赤レンガ倉庫(NEO主催の女子プロ新世代興行)までは追いかけた。しかし、9日の越谷市桂スタジオ(全女)だけは、入稿作業が終わらず断念した。
1月9日は日曜日。全女の越谷大会を「遠いから」と諦め、より近いLLPW後楽園大会もパスして執筆と校正に専念したのは、昨年初頭から『週刊ゴング』が水曜発売となり、原稿の締め切りが日曜になったせいである。
それまでは、日曜の夜の試合も普通に取材して深夜に作業、月曜にアップして木曜発売というスケジュールだったが、1週間で最も興行の集中する日曜日に締め切りが重なり、タイトルマッチか特別な“事件の匂い”がなければ、ページを空けておけない状況になった。そもそも、遅筆の僕には到底信じられないスケジュールだ。
特に近年の女子プロは、複数の団体が地方に分散せず都内近郊で興行を打つから、昼夜共に取材に出ることが少なくない。それが同じ会場であっても、拘束時間の長さを考えると「どっちかはパス」という選択をせざるを得ない。編集部にはコピー機もFAXもネットの高速回線も(記者個人には無料で)備わっている。会場の片隅でノートパソコンをいじり、校正紙のFAXを受け取りにコンビニへと走るよりも、編集部に残って作業したほうが迅速にして確実、かつ経済的なのは間違いない。
9日はたまたま、どの団体にも特別に観たいカードがなかったので、取材はほかの記者に任せて編集部に閉じこもった。ところが、その翌週の日曜日は、そういうわけに行かなかった。 |
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