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2004.11.17 UPDATE

田中正明
text by Masaaki Tanaka

『週刊ゴング』を毎週、愛読されている方は、僕が9月下旬から10月いっぱいまで推し続けてきた団体をご存知だろう。その名は「我闘姑娘」(がとうくーにゃん)。去る10月31日に、東京・新木場1st
RINGで旗揚げ戦を行なった新興団体だ。同大会のタイトルは『The First Time Bell〜伝えたい愛と勇気と根性を〜』。メインイベントが終わった時、僕はリングサイドでデジカメを構えながら、ポロポロとこぼれ落ちる涙を止めることができなかった。その感動をもう一度、ここに再現したい。
ゴングと並ぶ専門誌の『週刊プロレス』が、ただの1行も“アオリ記事”を書かなかったこの旗揚げ戦を、僕が推そうと決めたのは、ひとえに元川恵美という人の努力を買ったからだ。元川は平成7年にIWA JAPANでデビューした女子プロレスラー。その後、FMWに移籍し、平成14年2月のFMW倒産後はフリーとして活動していた。
そのフリー活動のさ中。元川はスタートこそ男女混合団体で切ったものの、自身が好きで観たいと思うのは「女子プロレスの若手同士の試合」であることを再確認。理想の女子プロレス団体を立ち上げるべく、知己の池須豊(いけす・ゆたか)氏と我闘姑娘創設のプランを練った。
母体となったのは、元川が技の練習のためにと5年前から通っていた埼玉県下の体操クラブだった。体操のレベルでは遙か先を行くそこの児童たちに、ドロップキックなどプロレスの技を教えながら、元川は一般女性をターゲットとしたプロレス教室「さくらえび」を発足させる。「さくらえび」は当時、目黒にあった全日本女子プロレスの道場を借りて行ない、会社帰りのOLやプロレスファンの女性が、我闘姑娘の公式ホームページか全女の会場で撒かれたチラシを見て次々と会員になった。
元川は我闘姑娘最初の所属選手として、昨年4月からリングネームを「さくらえみ」に変えた。そのお披露目となった全女の4・20後楽園ホール大会には、特製のコスチュームを着た体操クラブの女児たちを帯同。さくらが歌う体操ソング『さくらえびちゅ』を踊りながら合唱するパフォーマンスを見せた。この演舞は翌月の全女・横浜アリーナ大会でも披露され、満場の喝采をもって迎えられている。
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『レディース・ゴング』取材時の蒲原唯。4月に撮ったもの。 |
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さくらえみのスゴイところは、自ら街頭に立って練習生のスカウトを始めた点だ。いきなり「プロレスラーになりませんか?」では敬遠されてしまうので、まず「一度、プロレスを観てみませんか?」と招待する。さくらに連れて行かれた全女の試合でダンプ松本に「帰れ!」コールを送り、その半年後、女子プロレスラーとしてデビューしたのが現役大学生の蒲原唯(かんばら・ゆい)だ。彼女は、さくらのスカウト選手1号である零(れい)に続き、3人目の所属選手となった。
当初は3年計画での旗揚げを目標とした、さくらと池須氏。しかし、昨年9月の零、今年2月の蒲原唯、4月の市井舞(いちい・まい)と順調に新人をデビューさせ、年頭には6月の旗揚げを目指していた。その後、諸事情で日程は10月末に延びたが、会場として、練習場所に借りていたJDスター所有の「新木場1st
RING」が決定。8月にはなつみ知香(ちか)、10月に由藍郁美(ゆら・いくみ)をNEOのリングに上げ、徐々に団体としての陣容も整ってきた。
旗揚げに向けて『週刊ゴング』では、9月22日発売の1040号から「我闘姑娘10・31新木場1st RING 旗揚げ戦へのレール」というリレー連載をスタートした。初回の零は、我闘姑娘の事務所がある銀座近辺でロケを行なうはずだった。コスチュームに着替える場所が必要だからだ。ところが、マスクウーマンの彼女が移動中に「マスクを忘れた」と気付き、家に取りに戻るハプニングが発生した。いきなり時間が空いた僕は、「この遅刻は零のせいだ。だったら、着替え場所なんて気を遣う必要はない」と決断。ある試みを行なうことにして、さくらえみに「ロケ地を池袋に変更する」と連絡した。
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取材に遅れてきた零(左)。さくらえみが撮影に立ち会った。 |
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取材に1時間も遅れてきた零は、池袋駅東口のビックカメラのトイレで着替えるという罰(?)を与えられたが、上がった写真は見事にカラーページに映える出来だった。後日、さくらえみは我闘姑娘公式サイトの掲示板に「零の赤いマスクと青い空が印象的でしたね」と書き込んでいた。それはピーカン(快晴)の撮影現場に立ち会ったからで、零のバックには駅ビルしか写っていない。ファンには「なんのこっちゃ?」という感じだが、それだけ色彩のクリアな誌面ができたということだろう。 |
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