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2004.7.29 UPDATE

田中正明
text by Masaaki Tanaka

去る6月×日は僕の誕生日で、誰も贈り物などくれないから、自分への“新しいおもちゃ”として5万円台のデジカメを買った。
今まで購入した機種を挙げてみよう。オリンパスの320万画素・光学3倍ズーム「CAMEDIA C−3100ZOOM」、ソニーの130万画素・単焦点「Cyber−shot DSC−U10」、オリンパスの400万画素・光学10倍ズーム「CAMEDIA C−750 Ultra
Zoom」、ソニーの200万画素・単焦点「Cyber−shot DSC−U40」。そしてこの度の、京セラが4月に発売した400万画素・光学10倍ズーム「Finecam M410R」が通算5台目となる。
今回はライターというよりも編集者、そしてセミプロ(?)カメラマンとしての僕の「お仕事」を、歴代のデジカメにまつわるエピソードと共に振り返ってみたい。
(1)「C−3100ZOOM」編/パート1
出会いは2001年11月
『週刊ゴング』を発行する日本スポーツ出版社の写真部が、それまでポジフィルムで撮っていたプロレスの試合写真を“デジタル化”し始めたのは、2001年の晩秋のこと。編集部にあるファイルを見ると、女子プロで最も古いCD−Rは、アルシオン(消滅)の2001年11月3日、後楽園ホール大会のものだった。
その頃のアルシオン番は、デンチューこと僕。よく覚えていないが、まだ自分のノートパソコンを買う以前の話で、編集部のパソコンで四苦八苦しながら写真を選んだと思う。
プロが使うデジタル一眼レフカメラは非常に高価だが、フィルム代と現像代はかからない。もちろん、それに代わるメモリーカードとCD−Rは必要だけれど、カードはメモリーを消せば何度でも使えるし、CDは1枚数十円。しかも、現像所にフィルムを渡して“上がり”を待つタイムラグが減るとあって、近い将来、『ゴング』にも「速報は全部デジタル」の時代が来ることは確実だった。
男プロを撮るカメラマンは職人気質の人が多く、某氏は「デジカメはフィルムを巻く感触がないから、撮った気がしない」と言っていた。そこで、女子プロに回される若手の社カメ(社員カメラマン)が、会社の備品であるデジカメを持たされる機会が多かった。それ以後、『ゴング』に載った女子の試合写真はほとんどデジタルだ(たまに原記者が「写るんです」で撮ってるけど)。
当時、プロレス会場にもデジカメを持つファンがちらほら見えた。新しもの好きの僕は、今思うとタイミングの合致に驚くが、その2001年11月に初めてデジカメを買っている。
GAEAの選手を新横浜駅付近の喫茶店で取材したあと、思い立って目の前にあるビックカメラへ。価格が予算の範囲内でデザインも気に入った320万画素機を眺めていると、店員が「それは本日発売です」と言う。迷わず“買い”だ。これが僕の愛機1号「C−3100ZOOM」との出会いである。
試合後のコメント風景を撮る
今でこそリングサイドで試合を撮ったりもするが、愛機1号の当初の任務は、試合後のコメント写真を押さえることだった。女子の会場に派遣されるカメラマンは通常、一人。赤コーナーの選手と青コーナーの選手が別の場所で同時にコメントを出すと、そのどちらかにしかカメラマンを送れない。そこで、勝者のほうへ原記者とカメラマンが行くとなれば、僕が敗者のほうへ行き、コメントを録音しながら写真も撮るわけだ。
また、カメラマンは機材の片付けに手間がかかるので、記者の判断で「もう撮らなくていいです」と、先にマスコミ控室に帰すことがある。そんな時に限って、選手が思わぬ表情を見せたりする。
GAEAの2001年12月15日、川崎市体育館大会。アジャ・コングを破って新AAAWシングル王者となった里村明衣子がコメントを終えると、師の長与千種がすれ違いざまに声をかけた。「よく頑張った。おめでとう」。里村の目が見る見るうちに赤くなる。この時、現場でカメラを持っていたのは僕と『週刊ファイト』の入江カメラマンだけ。里村と長与が握手するシーンは、同大会を報じた『Lady'sゴング』vol.70に載せた。長与がファンからもらった花束が色鮮やかで、印象に残る一枚(フィルムじゃないから一画像?)だ。(写真A)

(写真B) |
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今をときめく佐々木健介ファミリーの北斗晶と健之介クンのツーショットも、試合後のコメント風景で忘れられない名場面の一つ。2002年4月7日、横浜文化体育館。北斗は自らの引退試合を終え、血がこびりついた顔を愛息の前にさらした。健之介クンがヒールメイクの母に訊く。「ママ、その赤いのなぁに?」。一瞬眉をひそめた北斗の答えは…「ん? クレヨンだよ、クレヨン」。だった。(写真B) |
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