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2002.3.1 UPDATE
田中正明
text by Masaaki Tanaka
| 【第6回】 スペシャル・インタビュー
with 井上貴子(前編) |
「アイドルレスラー」という言葉を御存じだろうか。これは、広義では「かわいい女子プロレスラー」を指す用語である。男子のプロレスラ−には使わない。女性名詞だ。
代表的なアイドルレスラーは? と問われれば、ジャパン女子プロレス出身で、同団体崩壊後にJWPの広告塔となって活躍した、キューティー鈴木が思い浮かぶ。彼女は現役当時、一般誌のグラビアに数多く登場。1998年12月に29歳で引退したが、その後もオールヌード写真集を発表するなど、タレント活動を続けている。
キューティーと同い年で、デビューは2年遅かった井上貴子(本名同じ)も、アイドルレスラーとして一時代を築いた。1969年11月生まれの32歳。高校卒業と同時に全日本女子プロレスに入門し、同期の井上京子(現・NEO所属)、吉田万里子(同・アルシオン所属)と共に「63年組」と称された。京子とは姉妹でも親戚でもないが、紛らわしいので、プロレスマスコミは姓ではなく下の名で二人を呼んでいる。前出の4人と筆者は同学年。全女を観戦した記念に、初々しい頃の貴子の写真集を購入し、当人に握手してもらった記憶がある。タイトルは『SELFISH』。場所は大宮スケートセンターだった。
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井上貴子、右手にスタンガンをもって入場
写真:レディース・ゴング提供 |
貴子は現役の女子プロレスラーでは唯一、写真集の安定した売上げが見込めるタレントだ。果敢にヌードにも挑戦し、ボンデージや過激なレズシーンまでこなしている。また、レスラーとしてもWWWA世界タッグ(パートナー、風間ルミ)とLLPW認定6人タッグ(同、風間とイーグル沢井)の2冠を保持する実力者。トレードマークの長いスタンガンで相手を威嚇し、ピンチになれば、本当に電気ショックを食らわせるから恐ろしい。
1999年2月に全女を辞めてフリー選手となった貴子は、個人のホームページを開いた。その道では女子プロレス界の先駆けである。昨年10月には初の自主興行『LOVE,LOVE,Violence and LOVE』を成功させるなど、恵まれたレスラー生活を送ってきた。そんな彼女へのインタビューは2時間に及んだ。話題の中心は「アイドルレスラー論」。2回に分けてお届けする。 |
――貴子さんが初めて「アイドル」と呼ばれたのはいつですか。入門当初から?
貴子 えっとね、新人時代は「立野2世」と呼ばれてたの。私は記さん(現・LLPW所属の立野記代。1981年デビュー)に憧れて全女に入ったから。
――立野選手は、若い頃に「女子プロ界の聖子ちゃん」と呼ばれていましたね。
貴子 そう。今と違って「弱いなぁ」という印象しかなくて。でもかわいかった。ヒラヒラした水着を着てたし、あの時代のアイドルレスラーだったんじゃないかな。
――「アイドルレスラー」という言葉は当時からあったんですか。
貴子 う〜ん、なかったかも。「アイドル」とは呼ばれてたけど。いつからか、マスコミが言い始めたんでしょうね、多分。私がそういう路線に足を踏み入れたのは、若手の頃にCDを出した時。(全女の中継を担当した)フジテレビのプロデューサーが仕掛け人で、CD、ビデオ、写真集をいっぺんに。本当のアイドルを売り出すみたいにね。
――ステージ衣装が森高千里に似た『奇蹟の扉』ですね。全女の上層部から「お前はアイドル路線で行け」という指示が? 2年先輩のアジャ・コング選手は、会社から「ヒール(悪役)になれ」と言われて泣き腫らしたエピソードがありますけど。
貴子 ううん。私の方がヒールになりたくて、実際、(ブル)中野さんのところに行って「獄門党に入れて下さい」って頼んだの。その時に「貴子は悪役に向いてない。アイドルの道を行きなさい」みたいなことを言われて。色々とアドバイスを頂きました。
――元祖アイドルレスラーのミミ萩原(1978年デビュ−)を知っていましたか。あの人はタレントからレスラーになった変わり種ですけど。
貴子 知ってる! あと、佐藤ちのさん。全女の事務所に古いパンフレットがあって、それを見てたら「昔からアイドルレスラーっていたんだな」と。新人なのに大きく扱われてたりして。でも、私の周りにはそういうポジションの人がいなくて、誰もやっていない、というのが魅力だった。「立野2世」と呼ばれるのは嬉しかったけど、一生言われたらマズイな、と思ってたのね。だからCD発売をチャンスと捉えて。でも、喜んだのは束の間で、そのあとに凄い仕打ちが待ち構えていた…って感じかな(笑)。
――やっかみ、とか。
貴子 あったよ。大変だったよ、もう。
――若手が持ち上げられて中堅あたりがやっかむのは、この業界の常ですね。
貴子 そうなんだよね。トップの選手は何も言わないの。
――そこでよく挫けなかった。
貴子 CDを出した時点で、これは中途半端にやったらいけないと覚悟したのね。当時はファンの目も厳しくて、ヘンな試合をしたらすぐにブーイングされる。アイドルと言われながらもやることはやると、自分の中で決めてたから。うん。
――同期の“天才”井上京子から全日本選手権のベルトを奪うなど、数々の実績を残したのは、アイドルとレスラーを両立する覚悟があったからなんですね。
貴子 そういう子が、もっと出てきてくれるといいんだけど。
――そうそうそう。その話は今回の重要なテーマなので、あとに取っておきます。貴子さんは、入門した頃は「いずれは赤いベルト(頂点のWWWA世界シングル王座)を」と狙っていたんですか?
貴子 ううん。私がトップになったら、大変なことになると思ってた(笑)。
――アハハハ。
貴子 でも、私にしかできない「オンリー・ワン」のポジションで、有名になりたいとは思ってたから。ベルトを獲れば世間で有名になれるかと言ったら、違うじゃない。ダンプ松本だって赤いベルトは巻いてないのに。そういう意味では、ちょっと冷めてたかも知れないね。 |
――しかし、先程のブーイングの話もあったように、アイドルと言えども実力がないと生き残れない。
貴子 普通のレスラー以上にね。
――そこで貴子選手がこだわったのが、ミミ萩原が巻いた“アイドルのベルト”で、今では赤いベルトに次ぐ価値のある白いベルト(オール・パシフィック王座)でした。
貴子 そうだね。「ギャップ」だよね。見た目はかわいいんだけど、やることはエグくて結構、強いんだぞ、と思わせたかった。
――何度も白いベルトを巻いて、新人時代に興味があったヒールの味も出てきた。それに比して、写真集のシチュエーションもどんどん過激になっていく(笑)。最近作の『MAKE LOVE 2』では、大胆なレズシーンがありました。
貴子 売れなきゃ出しても意味がないでしょ。自己満足では終わりたくないから、実績を残さないと。友達がね、こんなことを言ってたの。「ほかのフリー選手はプロレス一色だけど、貴ちゃんはタレントがプロレスをやってる感じ。みんなと違う」って。すごく嬉しかったな。人と違うのは、嬉しい。
――そもそも、全女を辞めてフリーになろうと思ったきっかけは?
貴子 全女とフジテレビとの契約があって、ほかのTV局に出るのが難しかったりして、芸能の仕事がやり辛かったのね。いくつか流れた話もあって。もったいないじゃん、そうそうチャンスはないのに。それで「芸能もプロレスと並行してやりたい」と会社に言ったら、松永(高司)会長が「全女で試合をしながらフリーでやればいい」と。「じゃあ、そうします」ということになって。だから、フリーの始めの頃は、ほとんど全女の選手と変わらなかった。変わったのは京子とシングルでやってから。
――99年5月5日、川崎市体育館ですね。あれは名勝負でした。その2年前、全女は経営危機を迎えて半数の選手が離脱。飛び出した京子が作った団体(ネオ・レディース。現在のNEO)に、残った貴子が乗り込む“因縁のW井上対決”として注目を浴びました。京子選手が「貴子を殺す」と発言したりして。
貴子 新団体を旗揚げした京子と絡むことは、全女の選手にとってタブーだったの。それまで全女の選手は、「貴子はフリーだけど全女の一員」と思ってくれたのに、あの試合のあとで急に態度が変わったのよ。私自身、全女の貴子というイメージから抜けられなかったのが、そこで吹っ切れた。だから京子戦からかな、本当のフリーになれたのは。
――現在はトレードマークであるスタンガンも、あの日が初公開でした。
貴子 ホントにヤだったもん、京子とやるのは。本当に殺されるんじゃないかと思って。泣いたこともあるしね。でも今となっては、やっておいてホントに良かった。 |
――フリーになった成果の一つに、業界一細かいホームページがありますね。
貴子 細かいよ〜。今はパソコンがウィルスにやられちゃって、日記が更新できないからBBSの方に書き込んでるんだけど。前にバックアップしたものを入れると、またダメになっちゃうからすごく困ってる。去年1年分の試合写真が消えたのが、一番痛い。
――え〜、もったいない! 女子プロレスラーが自分のパソコンを持って、個人のホームページを開設したのは、貴子さんが初めてでしょう。
貴子 オープンはフリーになって半年後の8月。その前に、コンピュータに詳しい友達がいて、その子の会社に行ったの。そうしたら「貴子さん。これからは一人一台パソコンを持つのが当たり前の時代が、2〜3年のうちに来ますから。女子プロでやってる、それも先駆けなんてチョーカッコイイですよ」って言われたの。「そんなことないよ」と言いつつカタログを見たら、iMacが出たばっかりの頃で…。キレイじゃん! 使えるかどうかわかんないけど、すぐ買いに行ったの。
――何色を?
貴子 ムラサキ。買ったまんまその会社に持って行って、接続とか、早く打てるソフトを入れてもらったりとかして。それから家に持って帰った。昼から夜中まで、12時間ぐらいその会社にいたんじゃない? 最初に感動したのは、下を見ないでパタパタパタと打てるようになったこと。
――ブラインドタッチ。
貴子 だから日記がどんどん長くなる(笑)。文章を書くことが好きなのね。前に自叙伝を出したけど、あの時、パソコンがあればもっと楽だったのに。フリーになって3年経つから、また書いてもいいかな。
――ホームページのメリットは何でしょう。
貴子 ファンクラブの通販の注文が、1年目くらいから急に増えた。試合を観に来れない地方の人が、サイン色紙を買ってくれたりとか。
――直接会えないファンの声も、メールで届くでしょうし。
貴子 あのね、私はヌードを始めた頃から、お客さんの声を聞かないようにしてたの。聞き始めたらキリがないし。私は一般に通用するアイドルになりたかったから、一部のマニアックな意見に左右されると、自分らしさが消えるようで嫌だったのね。でもホームページを始めてから、試合についても本当に十人十色の意見が集まって。「ああ、こういう風に観る人もいるのか」と、自分の気付かないことが多くて、ちょっとビックリ。たまにはムカつくのもあるけど(笑)。
――例えば?
貴子 「○○選手に負けるような貴子さんは、もう応援しません。ファンをやめます」とか。そんなの、いちいち書き込まずに勝手にやめればいいじゃん。
――アハハ。それだけ貴子さんのことが気になるんですよ。
貴子 ここ最近、新しくファンになってくれた子がすごく多いの。それも若い子が。大事なおこづかいの中から、会費を払って私を応援してくれる。そんなの、よっぽど好きじゃなきゃ入らないでしょ。私も横浜銀蝿のファンクラブに入ってたけど。
――アハハハハ!
貴子 その子たちにとって、3千円、4千円はすごいお金だろうから、相当な気持ちで応援してくれてるんだと思う。とりあえず、そういう新しいファンが入ってくる間は、プロレスを続けていこうかな、と。
――体力的にもまだまだ現役で行けると思いますが、貴子さんが引退するまでに、そのポジションを継ぐ者が現れるかどうか。今、貴子さんが認めるアイドルレスラーは誰かいますか?
貴子 アイドル? キューティー鈴木だね、やっぱり。
――引退してるじゃないですか(笑)。現役で言うと。
貴子 う〜ん。自称アイドルレスラーはいっぱいいるんじゃないの。
――いや、今はその「自称」すらいないんですよ。選手は受け身だし、会社も広く一般にプッシュする力がない。ファンだけがアイドルだと思って観ている。貴子さんは、自分がアイドルという意識を持っていたじゃないですか。
貴子 うん。自覚しないと無理だよ。じゃあ、誰もいないね。
――それが今の女子プロレス界の、問題点の一つなんですよ。
(第7回に続く)
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データ
MAKE LOVE 2
―井上貴子写真集
ワニブックス
¥3000(税抜) |
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| ■デンチューの取材日誌(2002年2月4日〜2月25日) |
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