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第1回 「日本で唯一の“女子プロレス・ライター”参上!」

2001.12.1 UPDATE


田中正明
text by Masaaki Tanaka


【第2回】 きっかけは『週プロ』への投稿だった

 なぜ、僕は「女子プロレス・ライター」という特殊な業種(一人しかいないけど…)に就いたか。その経緯を語るには、7〜8年前に溯らなければならない。

 執筆者一覧のプロフィールに記したように、僕は一時期、沖縄・久米島のリゾートホテルでフロント業務のアルバイトをしていた。H4年10月から6年1月までである。当時、女子プロレス界は「団体対抗戦ブーム」が白熱し、観客動員がピークに達する。S43年に旗揚げし、現存するプロレス団体の最古参である全日本女子プロレス(全女)を軸に、ダイナマイト関西やキューティー鈴木が所属するJWP、神取忍がエースのLLPW、大仁田厚率いるFMWの“女子部”が、それぞれの威信を賭けて熱い闘いを繰り広げた。

 中でも全女のファンだった僕は、前に勤めていた会社の同僚からビッグマッチのビデオを送ってもらい 、女子プロレスへの興味を繋いでいた。
 
 
11/25NKホールより ※筆者撮影
彼は、僕が女子プロの会場に誘って“洗脳”した仲間の一人。同封された手紙に「全女の横浜アリーナ大会で終電を逃しました」とあり、羨ましく思ったものだ。どういうことかというと、H5年4月2日の横アリでは、前述の4団体の選手が初めて揃う『夢のオールスター戦』が開催された。これがセミファイナルの試合中に日付が変わる、出血大サービス興行となったのである。最寄りの新横浜駅には帰れないファンたちがたむろし、JRと警察が全女に始末書を書かせたという、いわくつきの大会だったのだ。僕も会場で観たかったが、久米島は那覇から100km離れた小島である。交通費は馬鹿にならない。

 島には本屋兼文房具店が1軒しかなく、入荷するプロレス雑誌は『週刊プロレス』1誌のみ、それも毎週2冊と決まっていた。発売から1週間遅れて届くので、「今週の星占い」が載っていても、先週の運勢を確かめることしかできない。当然、2冊のうち1冊はキープしていた僕だが、ある日、まだ『週プロ』にも出ていない情報が現地の新聞『琉球新報』(『沖縄タイムス』だったかな?)に載った。全女がH6年3月、沖縄本島で興行を打つというのだ。ホテルの従業員に聞くと、数年前、久米島にも女子プロレスが来たという。まだ女子は全女1団体しかなかった時代のことだ。

 「この島で全女を観たい」。その思いが高じて、僕は夜勤中にホテルのパソコンを拝借。『週プロ』で選手や関係者が書くリレー・エッセーの字数を数え、それにピッタリはまる原稿を打った。これをFAXで投稿したところ異例ながら採用となり、思わぬプロレス・マスコミデビュー(?)を飾ることができた。しかし、ホテルの営業不振から退職(自主的リストラ)を余儀なくされ、那覇の職安の紹介で、滋賀県長浜市のプリンター工場へ。雪の伊丹空港に降り立った時、いかに沖縄の気候が天国だったか思い知らされた。


 工場の雇用期間は半年と決まっている。さあ、次はどこにさすらうか。そこで、人生の転機を懸けて再び『週プロ』に投稿。前回、編集部にオリオンビールのお歳暮を贈ったのが功を奏したか、またも採用の連絡が入った。工場のラインに立ち、電動ドライバーでネジを締めながら、ふと気が付く。「プロレスが好きなら、プロレス団体に入っちゃえばいいじゃん」。そこで2回分のエッセーのコピーを履歴書に添付し、プロレス団体に送ることにした。狙うは当然、僕の好きな団体――新日本プロレスか全女――である。答えは簡単に出た。全女はその年(H6)、初の東京ドーム進出を控えており、人手が必要に違いない。入り込みやすそうなのも、どう考えても全女だ。それに新日に入ったら、ミスして長州力に殴られそうな気がした。…なぜか。

 結局、滋賀から東京・目黒の全女事務所に面接を受けに行き、全女に入ることが決まった。企画広報部長の小川宏氏(現・アルシオン社長)の下で、大会パンフレットの作成や芸能マネジャーの仕事を受け持つのだ。『週プロ』に原稿が載ったことで、面接はスムーズに進んだ。全女では楽しいことも、ミスして落ち込んだこともあるが、なぜか「辛い。逃げ出したい」と思うことはなかった。それだけ責任のある仕事を負っていなかったこともあるが。H6年7月21日入社。バブル崩壊のツケ…給料遅配に耐え切れずH9年1月20日退社。都合2年半、僕は全女の選手たちに飯を食わせてもらった。「団体対抗戦時代」はH6年11月20日の東京ドーム大会をピークに収束していき、H7年にGAEA JAPAN吉本女子プロレスJd’が旗揚げすると、さらなる「多団体時代」が訪れた。H9年9月、全女の事実上の倒産が報じられると、そこからアルシオン、ネオ・レディース(現=NEO)が分裂。現在の女子プロレス界は7団体が乱立し、少ないファンを奪い合う状況が続いている。

 全女倒産騒動より早く知り合いのツテで転職した僕だが、好きで入った女子プロレス界との縁は切りたくなかった。そこで女子プロレス専門誌『レディース・ゴング』の宮地編集長(当時)から原稿の依頼を受けると、二つ返事で引き受けた。その流れで、知り合いには不義理をしてフリーライターに転向。紆余曲折あったが今に至っている。

 僕が離れられない女子プロレス・ワールドの魅力とは何なのか。その考察は次回に。

『Lady's週刊ゴング』(vol.69)
 
デンチューの取材日誌(2001年11月6日〜11月27日)





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