Back Number
・'04年6月8日/東京・北沢タウンホール(M's Style)
・'04年6月16日/東京・後楽園ホール(AtoZ)
・6月の新人物語
・'04年6月6日/東京・後楽園ホール(全女)
・'04年6月13日/東京キネマ倶楽部(NEO)
・白いベルトを継ぐ者
'04年5月30日/東京・後楽園ホール(LLPW)
・久々に観たLLは…楽しかった!
[レヴン寛香VS藤枝恵子、小河真子VSレヴン寛香]

'04年5月5日/東京・後楽園ホール(NEO)
・我闘姑娘の“きっず”に驚いた!
[さくらえみ&さくらえび★きっずVS零&蒲原唯&市井舞]

'04年3月20日/千葉・Blue Field(第2回『お船の森』)
・納見佳容の広き肩
[納見佳容VSお船]

'04年3月7日/東京・後楽園ホール(ダイアモンド)
・アップルみゆきの赤い胸
[未来VSアップルみゆき]

'04年2月15日/東京・後楽園ホール(AtoZ)
・堀田さん、楽しそうですね
[中西百重VS堀田祐美子]

'04年2月2日/東京・渋谷club ATOM(NEO)
・未来、敵地で輝く
[田村欣子VS未来]

'04年1月25日/バトルスフィア東京(AtoZ)
・マタドーラ仲村由佳
[闘牛・空VS仲村由佳]

'04年1月11日/東京・後楽園ホール(GAEA)
・なんと贅沢な2分32秒
[長与千種&山田敏代VSアジャ・コング&豊田真奈美]




ご感想はこちらまで



ミゼットプロレス、後楽園に帰る

['04年8月29日/東京・後楽園ホール(全女)/ミスター・ブッタマン VS プリティ太田]


 え〜と、7月は『レディゴン』の編集で忙しく、8月はその完成後の怠惰な日々が続き、気付けばもう9月。2ヵ月以上ぶりの更新は、『週刊ゴング』で書きたかったがスペースのなかった、ミゼットプロレスの“後楽園復帰”についてだ。

 ミゼット(midget)とは小さい人…いわゆる小人(こびと)のことで、電車賃が半額になる小人(しょうにん)とは異なり、成人になっても身長があまり伸びない体型の人を言う。この辺、書き方が難しいな。「コビトは差別用語ざます」などと、どこぞの婦人団体から“言葉狩り”に遭いそうで。

 多分、フジテレビの『全日本女子プロレス中継』があった時代に、そんな指摘を実際に受けたのだろう。昭和40年代には「女子・小人プロレス」と呼ばれてセットになっていた興行も、いつしか女子だけにスポットライトが当たり、小人の試合はテレビに映らなくなった。それこそ差別だっちゅー話。リトル・フランキーがフジテレビの『ラスタとんねるず』にレギュラー出演し“名誉回復”を果たしたのは、クラッシュ・ギャルズの結成から10年が過ぎた1994年のことだ。

 そのリトルさんが2002年8月13日(寮で遺体が見つかったのは15日)に44歳の若さで亡くなり、奇しくも同じ年の4月28日に角掛留造が引退したことで、ミゼットプロレスは壊滅状態に陥った。残るミスター・ブッタマン一人では、試合が組めなくなってしまったのだ。



 その後、全女を辞めて、また戻ってきたブッタマンは、事務所の電話番、試合会場の雑用、CMの着ぐるみの仕事、時には映画『花と蛇』で杉本彩の股間を責めるゲンコツ仮面などの役をこなしながら、日々を過ごした。全女の自社ビルが借金のカタに取られた今は、寮を失い新事務所に寝泊りしていると聞く。

 苦節ン年。ついに、やっと、ようやく、ミゼットの新人レスラーが現れた。今年5月14日、北海道・倶知安町民体育館で、茨城県出身の26歳、太田ヒロユキ(博之)がデビュー。地方巡業でブッタマンと連戦をこなした。

 ブッタマンは太り過ぎな上に、足の病気にかかり、階段がなければ自力でリングに上れない。そこで太田はブッタマンを場外に落とし、リングアウト勝ちを収める頭脳プレーで白星を重ねてきた。ただし、ブッタマンの「もう1回」という再戦要求を受けて、必ず負けてしまうのだが。

 北海道巡業から帰ってきて、6・6後楽園のインフォメーションコーナーで、観客にデビューを報告した太田の試合を僕が初めて観たのは、6月26日、静岡・富士川町総合体育館にて。その日の太田はタイガーマスクの覆面を被るショーマンぶりで、目立ちたがり屋の本性を発揮した。うん、そうでなくちゃプロレスラーは務まらない。

 そして8月29日。角掛引退から2年4ヵ月ぶりに、ミゼットプロレスが後楽園ホールに帰ってきた。太田は松永高司会長の命により、故プリティ・アトムにちなんだプリティ太田にこの日から改名した。

 昨年、とある上映会でミゼットプロレスの6人タッグマッチの映像を見たが、試合のレベルの高さに唸ったものだ。身体は小さいけれど、みな鋼(はがね)のような肉体を持つ超人だった。

 メキシコには、スター選手(エストレージャ)の衣装を模したミニ・エストレージャという小人レスラーが何人かいるが、まさにそういう感じ。前述の6人タッグ戦では、初代タイガーマスクのように華麗なドロップキックを放つ選手もいて、打点は低いけどチョー高い(伝わるかな、このニュアンス…)。小人同士だからこそ表現できる、独特の世界がそこにあった。

 8・29後楽園で、太田は見事なトペ・スイシーダを放った。小さいことを利点として、ロープとロープの間をスルリと飛び抜けた様は痛快だった。

 ちなみにこの試合は「ミゼット・ジャパン・グランプリ'04いきなり決勝戦!負けたら即引退スペシャル」と題され、太田と笹崎勝己レフェリーの連係による、ほいほい体固めで太田がフォール勝ち。この技は、フォールに乗った太田をブッタマンがほいっと放り投げると、それを受け止めたレフェリーがほいっと投げ返すもので、全女が旗揚げした昭和43年頃には、デイリースポーツにも記録された伝説(?)のフォール技だ。その頃のレフェリーは松永高司氏(当時の肩書きは社長)を始めとする松永兄弟が務めており、僕が見つけた同紙の試合結果では、プリティ・アトムがダイナマイト・キングをフォールしていた。なるほど、ここで「プリティ」が繋がるわけだ。

 敗者のブッタマンは“即引退”のはずが、太田の「あんたがいなくなったら、オレが試合できないよ」のマイクアピールで、練習生からまた始めていいことになった。なんだかな〜。

 蛇足ながら、試合中に場外カウントを数えた笹崎レフェリーと新米の今村貴則リングアナには、『ジャパン・グランプリ』は「完全決着のため場外カウントなし」が通例だよ、と、一言ツッコんでおきたい。(記:9月7日)



「スロウトレイン」に掲載の記事・写真・カット等の無断転載を禁じます。© Works m bros.