私家版「記憶の残像」⑤~グループポジポジと大島渚
昭和44年の冬、映像制作集団“グループポジポジ”による8㎜映画「天地衰弱説」の撮影は、新宿御苑を拠点に進められた。
昭和44年の冬、映像制作集団“グループポジポジ”による8㎜映画「天地衰弱説」の撮影は、新宿御苑を拠点に進められた。
グループポジポジの『天地衰弱説第二章』(16mm映画白黒)は、各地から上映の引き合いがあった。
この頃、ぼくらが毎日のように通っていた飲み屋が、新宿歌舞伎町裏手にあった。
真上の2階には、日本舞踊のお師匠さんが住んでいた。30代後半くらいか、このお師匠さんが、毎晩“何”してうるさいのだ。
路上アクセサリーを廃業しよう決意したぼくは、仕事を続けながら自分に向いた職業はなんなのかを模索していた。
以前、本文にもお断りしましたが、
この私家版「記憶の残像」は、
編集プロダクションをやっていた時、会社のホームページの一環として、
私の映像経歴、それに伴う数々の出来事を綴ったもので、
特に私と篠田昇のことを語ったものではありません。
しかし、彼と過ごした数年の日々は忘れがたいものであり、
一緒に映画を撮った仲間として、部分的にではありますが、
彼との交流を描いております。
非常に長い文章になっておりますので、
篠田昇を記述した項の概略をお伝えします。
ピックアップの参考にしてください。
●私が映画を撮り始めた高校時代~⑤グループポジポジと大島渚
http://channel.slowtrain.org/shinoda/2006/09/post_7.html
●篠田昇との出会い~⑥大学時代と自主制作映画「合言葉」
http://channel.slowtrain.org/shinoda/2006/09/post_6.html
●昇の原点となった映画撮影~⑦「ハードボイルド・ハネムーン」
http://channel.slowtrain.org/shinoda/2006/09/post_5.html
●私と昇の分岐点~⑧路上アクセサリー
http://channel.slowtrain.org/shinoda/2006/03/post_4.html
●昇と過ごした日々~⑨中村橋時代
http://channel.slowtrain.org/shinoda/2006/09/post_2.htmll