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篠田昇は何故カメラマンになったのであろうか。
彼の生き様を振り返ってみると、カメラマンになった理由、もしくはカメラマンとして生きてきた理由に、人から何と言われようと自分を通すことができる世界であったことが、大きな要因だと考えられる。
昇はかつて高校時代の同期生であった前妻Mさんに語ったことがあった。
「仕事をし始めてから、昔仲の良かった友人たちと同窓会で会うと、サラリーマンになった人たちとはまるで気が合わないんだ。(おれと)気が合うのは、みんな地元の自営業の人間たちなんだ」
それはとりもなおさず、昇と同じ匂いを持つ人間たちだ。
昇の育った下町の自営業といえば、自動車の修理工、自転車業、印刷工、看板屋、塗装工、旋盤工、大工・・・、それぞれ技術的な仕事であり、みんなそれが好きでやっている。地味ではあるが、日々楽しんで仕事をしている。そんな雰囲気が漂ってくる。
そんな人々との素朴で単純な関係に、昇は居心地の良さを感じていたに違いない。
まだ整理をする段階ではないのだが、これまで聞いてきた篠田昇のカメラマンとしての大まかな特徴めいたものを荒く挙げてみる。
●フィルム関連
・カメラマン・デビューの作品「ラブホテル」当初から、気に入ったフィルムを確保しているなど、以後もフィルムに関する一貫した志向性を継続していたと思われる。
(冗談ではあるが、昇がなぜイーストマン・コダックが好きかというと、当時ポール・マッカートニーと結婚していたリンダさんが、社長の娘であったことを理由にあげていた)
・単に撮影状況による判断ではなく(暗いから、明る過ぎるから)、映像全体のトーンとして多種類のフィルムによる減感、増感を試みていた。
(*現在、把握している後述事項として、
・減感、増感のアプローチが尋常ではないケースが多々あった。
・テストの量も半端ではなかった。などがある)
●レンズ関連
・フィルムとほぼ同様の傾向があり、極力同じシリアル・ナンバーのレンズを使用していた。
・味のある古き良きレンズを好んでいた。
・一貫した概念を持ち、映画用レンズといった枠を越えて、あらゆるレンズの仕組みに取り組んでいた模様。こんな風にしてみたいという目論みの元、オリジナルを作りたかったのか。
・特殊なレンズを加工し、映画の中に反映させていた。
●特機・機材関連
・日本に入荷したばかりのパンサードリーをいち早く使用するなど、ドリーやクレーンという特機の必要性を説き、以後自らの撮影現場にて、ミニジブ(ミニクレーン)及びピィウイ(ドリー)との組み合わせや合体を編み出していく。
・それらは、“三脚を使わない、手持ちでもない”篠田独自のスタイルとして形を変えていくが、下記の手持ち用機材同様、特機及びその周辺を改良していく様は、従来の撮影部の枠組みを越えていた。
・レンズに対しては古き良きものに愛着を持っていたにも関わらず、この特機の類いは、最新タイプを積極的に試していた。常に新たな可能性を見つける作業なのか、実験好き、新しもの好きの性格が反映されていたのか。。
・機材改良は機能だけの問題ではなく、作業効率の面においても意識されていたようだが、それが思惑通りに遂行されていたかは疑問な点が見える。
・手持ち撮影との関わりを含むが、常に“自分が好きなように動き回れる”ことが第一義としていた。
●手持ち撮影関連
・通常の手持ち撮影から「来たことのある初めての道」で、自家製ステディカムの開発が始まり、「突然炎のごとく」でNOBOCAMなるほぼ完成形に近いシステムを手に入れる。
これらは以後、岩井作品の中で継承されていく。
・軽量化するためか、既成機材の無駄な部分を取り外すことが多々あった
・根底には、類いまれなる力持ち、腕力、背筋力が隠されていた。
●撮影法関連
・広角サイズを基準と考え、極端な寄り(ワイド・アップ)を多用し、自らのスタイルとした。
・映像作りの基本を逆光、及び自然光としていた。
●スチル
・映像もスチルも同じ世界観を持っていたようだが、後年スチルを追求しようとした時期が存在していた。
部分部分で確固たる裏付けがないせいか、説明不足、違和感を感じる箇所もまだある。いつか分析に近い形にできたら、と思う。
篠田昇は季刊誌「映画撮影」(日本映画撮影監督協会)での「夏の庭」撮影レポートの中で、自ら三脚を使わない撮影について明言している。
「役者の演技=動きをいかにフォローしていくかという命題において、私は三脚を使用しない。
特に今回、全くの素人である子供たちにとって、キャメラの固定で動きを制限されてしまうことはプレッシャーであり、自然な雰囲気を損なってしまう。
子供たち以外の役者にしても、リハーサルを重ねれば演技にも変化が生じ、立ち位置も違ってくる。
だが、最近のキャメラは大型で三脚も重く、たかだか30cm移動させるだけでも四苦八苦である。
ミニクレーンならば振り幅は上下左右とも2m程度あるし、私一人で充分操作可能だ。キャメラが自由な状態であれば、役者やスタッフの待機時間も大幅に節約できるのだ」
運命的邂逅ともいえる岩井俊二とのコンビネーションには、二人の様々な共通項や相性といった理由があると思われるが、その発端にあったものは、おそらく手持ち撮影という簡単なキーワードだったのではないか。
岩井もほぼ手持ちの映像を好んで使っていたからだ。
これまで「ワールドアパートメント・ホラー」から篠田の撮影法が劇的に、そして如実に変化していく様を語ってきた福本淳は、
「でも、やっぱり篠田さんが一番大きく変わったのは、岩井(俊二)さんとの作品をやっていた時でしょうね」
と強調する。
福本によると、篠田昇が初めて岩井俊二と仕事をしたのは、1992年(平成4年)に遡る。
プロモーション・ビデオの仕事だった。
(*詳細は現在のところ不明だが、それ以前から、篠田昇と岩井俊二との接触はあったようである)
「岩井さんとは、プロモーション・ビデオ(PV)を何本か撮っています。
最初は、ファイブ・ティアー・ドロップスというロックというかロカビリー風のバンドのPVだったと思います。
これは16ミリで撮影したんですが、一部リバーサル・フィルムを使ったんです。ポジ・フィルムです。それって、プロはあまり使わないんですね。
ですが、PVというのは、最終的にビデオで仕上げる。テレシネという過程を経て、完成品にたどり着くから、手間も含めて、リバーサル・フィルムを提出すると、解像度がすごくいい、コントラストがすごくシャープ、そういう利点を生かして一部に使ったんです。
多分、リバーサルを使うという感覚を含めて、岩井さんの画の作り方と篠田さんの画の作り方がどこか合っているというか、共鳴するものがあって、この後、岩井さんはフジ・テレビの「フライド・ドラゴン・フィッシュ」(1993年3月放送)というドラマを撮るんですが、それを篠田さんとやりたかったなあという話をしていた記憶があります。
で、翌年の初めに、また岩井さんとPVを撮ることになって、トゥー・ビー・コンティニュードと平松愛里の「部屋とYシャツと私」だったかな、違うな、ちょっとはっきりとは思い出せないですが、2本パックで受けた仕事でした。
この時に、岩井さんが今度「if」というドラマを撮るんですが、是非一緒にやりましょうと篠田さんと話していました。「if」というのは、「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」(1993年夏放送)のことです。
結局、それもお互いの都合が合わなくて、実現できませんでしたけれど。
そして、この年の夏にぼくらは「夏の庭」の撮影をしていたのですが、夕飯を取っていた時、たまたまテレビでドラマをやっていた、ものすごい映画っぽいドラマを。それが「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」だったんです。
ぼくは篠田さんに、すっごい面白かったですね、と言ったら、篠田さんも、そうだよなって、感心してました。
そして、この年の末に「世にも奇妙な物語~ルナティックラブ」(1994年フジ系放送)をやったんです。それが岩井さんとの初めてのドラマになるんです。
ちなみに、岩井・篠田のコンビによるPVは、上記以外に、サザンオールスターズ「シュラバラバンバ」、「素敵なバーディーNONOBIRDY」。「四月物語」(1998年、監督岩井俊二)の時に併行して撮った一連の松たか子のPVがある。
岩井俊二との初のドラマ「世にも奇妙な物語~ルナティックラブ」はビデオで撮影された。当初、篠田はこのビデオでの撮影に難色を示していた。
それは、フィルムへのこだわりや当時はまだ生々しさを持つ画一的なビデオ映像と映画映像との隔たりといった、ムービーカメラマンとしては当然考慮しなければならい映像表現の判断によるものだった。
ところが、
「ビデオでも面白いことができると篠田さんに教えたのは岩井さんなんです」
と福本淳。
「ビデオを映画っぽく作るといったら語弊があるかもしれませんが、先駆けは岩井さんであることは間違いないんです。日本映画の歴史の中でいっても、それは過言ではない」
岩井と彼のチーム、すなわちカメラマンやビデオ・エンジニア(VE)たちは、「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」(あるいはそれ以前からなのかは現在のところ不明)の時に、ビデオカメラに細工をして、ビデオの映像ながら、より映画に近い映像を作り出していたのである。
「ビデオにはガンマ・オフという技術があって、ビデオカメラにはカメラ自体が持っている規定のガンマ・カーブというのがあるんです。
単純にいうとコントラストを示すカーブなんですが、そのカーブが各カメラにインプットされているので、ビデオの特徴である“生っぽい”、そういうトーンが作られている。
それプラス、インターレースというテレビに電波をのせるために、画を半分に割って櫛状にしてテレビに流す。
そのふたつのシステムがあるので、“生っぽい”映像になっているんですね。
岩井さんたちは最初、よりフィルムのトーンに近い映像を撮ろうとした時、カメラの中に入っているガンマ・カーブをオフることを発見した。
これを篠田さんとぼくが知ることになるのは、「ルナティックラブ」の時なんです。その時、初めて知ったんです。
この時は、ビデオカメラにガンマ・オフのスイッチが付いていたんです。オンかオフの二択のスイッチがあったんですけれど、岩井さんたちは以前にそれをやろうとした時は、スイッチがまだ付いていなかったので、カメラの中を開けて、いろいろなところをいじくって作ったようです。
篠田さんは、これは面白いと思われて、「ルナティックラブ」の撮影では、「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」をやったVEの方を呼んで、一緒にやりました。
これ以降、篠田さんはビデオの映像、カメラを含めて、いろいろといじり始めるのですが、フィルムとは違うビデオでも、箱を開けて中をいじれば何かが変わるということを、岩井さんが篠田さんに教えたようなもんなんです」
取材協力:篠田いづみ