take15 ワイド・アップ
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のDVD特典映像の中で、行定勲監督は篠田昇の撮影について、こう語っている。
「ものすごくそばにいる、いつも。俳優さんとかも撮られていて、篠田さんにある種、心を開くんでしょう、きっと。普通だったら、ある距離で美しい映像を撮ることは可能だと思うんですけど、篠田さんはすごく近い、被写体と。被写体に近く、撮っていく。ワイド、広いレンズを使って近くに寄って撮る。
それがいやじゃないんです。
望遠できれいに撮って、凛とした表情を撮るのはあると思うんですけど、篠田さんほどあれだけ近づいて美しい映画撮れる人って、まれだと思うし、これからもまねしようとしてもできない人だと思う」(インタビュー中一部抜粋)
事実、最新作である3人の監督によるコラボ映画「TOKYO!」の一話「TOKYO! ショッキング東京」(監督ポン・ジュノ)の撮影を担当した福本淳は、
「篠田さんの画作りで育ってきているので、被写体との距離の取り方とかもものすごい影響を受けています。
ですが、こういう時、篠田さんだったらカーンと引いてワイドで撮るよなと思って、それと同じことをしたつもりでも、見えるものが違う印象になってしまう。
篠田さんの真横にいて、目の当たりに見てきていても、それと同じ方法論で撮ろうとしても篠田さんのようにはならない。これは実感としてあります。
自分が撮影していくうちに、篠田さんよりはどんどん玉(レンズ)は長く(標準~望遠よりに)なっていくんですね。
やはり影響を受けているといっても、そういうものは持っているつもりでも、絶対に越えられない一線がどこかにある。篠田さんにしかできないことって、確かにあるんだなって感じています」
と、10年近く篠田の下で働き、学び、時には盗み、じかにその方法論を体験してきた男は、自分では到達できない篠田昇ならではのテクニカルな特異性を肌で感じている。
「ワールドアパートメント・ホラー」で、被写体からわずかの近距離で撮影する篠田の姿に違和感を覚えた福本は、こんな篠田の言葉を思い出していた。
「以前、すごく意外なことをおっしゃっていたんです。篠田さんは「噛む女」(1988年・監督神代辰己)という作品をご自分でも気に入っている映画だったんですが、この映画のマスター・レンズは60ミリだとおっしゃった。これは60ミリというレンズが主な使用レンズになるということで、それで画作りをしたと。
そういった意味では「ワールドアパートメント・ホラー」は18ミリなんですよ。そういう撮り方をされている方が、60ミリ主体で撮ったということと両立するのかな、と何か不自然さを感じました」
しかし、こうした福本の思惑をよそに篠田はワイド・アップを、つまり18ミリのワイド・レンズで被写体を近距離で撮ることを徹底して続けていった。
以後、多くのカメラマンと仕事をした福本は、毎度毎度ではないにしろと前置きをしつつ、「マスター・レンズは何ミリにする」と公言したカメラマンは、後にも先にも篠田昇だけだったと話す。
これを福本は、作品を撮る場合、普通監督とのアプローチが変われば、当然変わるべきスタンスを曲げなかった篠田の意志だと解釈している。
何故この時期あたりから“寄り”の撮影、ワイド・アップを多用するようになったのか、ワイド・アップにこだわるようになったのだろうか。
「ワイドでものすごく近くで撮ること自体は、「東京ディズニーランド~」でもやっていましたし、もっと前の「危ない話」(1989年・監督井筒和幸)でも見られました。
ただ、ぼくが篠田さんと仕事をしてて思ったのは、他のカメラマンと比べても、すごいワイド・レンズを使うカメラマンだということです。
ズーム・レンズが付いていても、一番(広角に)引いて撮っていました。
師匠の川上さん世代のカメラマン、もしくはそれより上の世代のカメラマンの方々というのは、ズーム・レンズを付けていても普通一番引きでは使わないんです。若干ズームを、ちょっとでも長くして(標準~望遠よりに)撮りたがる。
本当に18ミリとか、いわゆる広角レンズというのは、実景であったり、シーンの導入部として必要なショットの時に使う。それ以外の時には滅多に使わない。
ましてやセットの中で18ミリなんていうレンズは使わないものなんです。
それは日本家屋の事情やセット状況でワイド・レンズを使うと、全てがシンメトリーに作られているわけですから、柱も真っ直ぐ、障子や襖も長方形、正方形で成り立っているんで、歪むということと距離感がずれてしまう。18ミリで四畳半を撮影すると四畳半に見えないわけですよ。広い部屋に見えてしまう。
そういうことを嫌うこともあって、例えば、小津監督の35ミリ・レンズ(標準サイズ)で撮っていくということが基本的にあって、セットで18ミリ使う人なんて本当にいないんですよ」
さらに、
「(ズーム・レンズを)引いて撮るんですけど、それが説明のための引き画ではなく、人を撮る時でもグィッと寄って撮る。
ぼくは映画やドラマで、きちんとピントをやる(セカンド)のは、篠田さんのところが初めてだったので、ワイド・レンズの至近距離の深度のこととかは勉強しましたし、やっぱり至近距離でのフォーカスってものすごく大変で、それはワイドであっても近づけば近づくほど深度がないのでかなり大変なんです。
しかも(篠田さんの)カメラはじっとしていない。
ぼくはそれでピントに関しては相当訓練されたと思っています」
「ある時、カメラマンの木村大作(*)さんが撮影の準備をしていて、ぼくとほぼ同期の撮影助手がピン打ちしていたんです。
ピン打ちというのは、レンズには距離の数字が印字されていますが、ぼくらはそれに白いテープを巻いて、そこに自分たちで測った正確な数字を打ち直していく。この作業がピントマン(セカンド)の準備での一番重要な仕事なんです。
で、その同期の木村さんの助手が打ったやつには5フィート、一番近いところで5フィート(約152センチ)までしか打ってないんですよ。それより手前(近距離)は打ってないんです。使わないんですね、5フィート以下は。
ぼくが使っていたスケール(カメラと被写体間の距離を計るメジャー)なんか、1フィート(約30.5センチ)から3フィート半(約106.7センチ)の間は、数字が読めなくなるくらいボロボロになっているんですよ」
*木村大作=1939年生。代表作は「八甲田山」(1977年・監督森谷司郎)、「復活の日」(1980年・監督深作欣二)、「海峡」(1982年・監督森谷司郎)、「誘拐」(1997年・監督大河原孝夫)、「鉄道員」(1999年・監督降旗康男)、「憑神」(2007年・監督降旗康男)などがある名カメラマン
従来のカメラマンと違い、いかに篠田の“寄り”が凄まじかったことがわかる。つまり、彼のような撮影法が当時では異色であったということだ。
私は、take1と2で学生時代、ライカの贋物“ニッカ”なるカメラを昇は愛用していたと記した。いつも首から下げていたそのカメラは28ミリという広角の単眼(レンズ)だったのを思い出した。
そして、このワイド・アップの撮影に大きく関わっているのが、ミニジブ(ミニクレーン)で、以後、篠田の撮影はこれ抜きでは語れないほど、重要なポジションを創り上げていく。
例えば、こんな1カット(1シーン)があるとする。男が歩いていくと前方に女が立っており、男は女の前で立ち止まり、会話が始まる。
従来の三脚による固定撮影であれば、女の手前に男が立ち止まる厳密な位置を定めて演技が行われるが、立ち止まる位置が少しずれてしまうと女と重なってしまうため(もしくは離れすぎてしまう)、NGとなる。
これをミニジブで撮影すると、上下とか多少の(左右の)振りがカメラでできるため、カメラ側での修正が可能になる。しかも篠田のように手持ちで寄っているカメラ・ポジションであれば、この修正はより自然に行えるというわけだ。
このミニジブ効果は撮影する側だけではなく、実は役者側にも利点があるのだと福本は言う。
「(役者が)立ち位置を気にすることなく、役に徹して気持ちで動ける、ある程度演技の自由が効くようになるんです。
篠田さんは、被写体が動けばカメラも一緒に動かなければいけない。常に被写体に寄り添った画を撮りたいとおっしゃっていた。
被写体と常に一定の距離を保って、その人(役者)の内側へ、より(役の)気持ちに入っていけるような場所(アングル)を作っていくために、篠田さんにとって、ミニジブのような特機は絶対に必要なものだったんです」
役者にとって振舞いや台詞以外のノルマを取り除いてくれる篠田のミニジブ撮影は、役に集中できる意味で大変ありがたいことなのであろう。細かいことをいえば、多少の身体や顔の向きだって、気にしないでいられるのだから。
まずはこういうところから、役者との信頼関係が生まれるのかもしれないが、まだまだこれは撮影する側から見ただけの解釈に過ぎなかった。
この当時、つまり十数年前の映画撮影の状況というものは、概して大きなムービー・カメラをでーんと三脚に乗せ、どっしりと構えた撮影方法が一般的であった。
手持ちや移動やクレーンなどを駆使し、常に動き回っている篠田のような撮影は珍しく、特に役者さんたちには不思議がられていたようで、まだ理解はあまりされていなかったと思われる。
「栗田(豊通)さんがカメラマンをやられた相米監督の「お引越し」(1993年・監督相米慎二)という映画で、大文字焼きの日の撮影でカメラ四台使うことになったので、篠田さんとぼく(福本淳)たちは応援という形で参加したんです。
撮影に入る前に飲み会があって、篠田さんはかなり酒が入ってご機嫌でした。それは隣りに桜田淳子さんがいたせいもあるのでしょうが、篠田さんはその桜田さんに、いかにミニジブとか移動とかを使うと、場所を決めなくても一番あなたが素敵に見えるところにカメラをもっていくことができるんですよっていう話を懇々とされていた。
そうしたら、その後多分桜田さんが、私は篠田さんに撮ってほしいみたいなことを(スタッフに)おっしゃったようで、篠田さんは桜田さんのパートを撮ることになったんです。
桜田さんはこれまでのカメラマンと違う方法論を持つ篠田さんに撮ってもらいたいと思ったんでしょうね、きっと」
また、時は飛ぶが、「UNDO」(1994年・監督岩井俊二)の撮影で、篠田昇と初めて出会う主演の山口智子はかなり戸惑っていたらしい。それは延々と続ける篠田の手持ち撮影に対してであった。
これまでの付き合い上、山口は岩井監督の現場は知っており、ずっと長いシーンを取り続け、しかも一回終わると同じシーンを別のアングルから撮影する、これを何回も繰り返す岩井演出に対し、それを手持ちだけで山口を追う篠田の映像に半信半疑だった。
何で手持ちばかりなんだろう・・・、ちゃんと撮ってもらえてるのだろうか・・・。
しかし、出来上がった作品を見た山口の思惑は一変したという。
こうして徐々にではあるが、監督のみならず、役者たちにもこれまでにない映像で自分たちを素敵に撮ってくれるカメラマンとして、篠田昇は認知されていくのである。
取材協力:篠田いづみ