このような原稿を書いていると、年柄年中ではないにしろ、どうしても篠田昇のことを回想する機会が度々おとずれる。
彼と一緒にやったことや彼との会話等々に思いを巡らすと、そういえばあの時こんなことをしたな、あんなことを話したな、と次々に思い出されてはくるものの、ひとつひとつの出来事に脈絡はなく、完全に断片化されたものばかりだ。時間の流れもあやふやなことが多い。
そんな彼との話しの中で、印象深かったものがあった。
昇の自慢の親友の話だった。
中学高校と同級生だった親友は、シンガーソング・ライター小椋佳の弟といっていた。
その親友は、割り箸や木を組み合わせ、それに輪ゴムや電池仕掛けの歯車を噛ませて動かす、昔でいうぜんまい仕掛けのおもちゃ、からくり人形をよく作っていた。
いわゆる創作機械マニアだった。
そんな彼の数ある作品の中で、男女のまぐわい人形という傑作があった。
作品そのものは直接見ただけでは何ともない正常位の人形だったが、これに光(電球)を当て、障子に影絵を映すと、腰の前後運動や手足や頭が微妙に動くという摩訶不思議な代物だった。
これを1階にあった自分の部屋の障子をスクリーンにして、通りすがりの人々に見せ、驚かせていた。
が、本物ではない、その滑稽な動きがおかしく、皆しばし足を止めて眺めていたという。
昇と私が大学在籍中、新聞に早朝の上野公園でジョギング姿の初老の男が死んでいたと報じていた。
当初は不審死で、事故死か事件なのか原因は謎であった。
数日後、ジョギング中の心臓発作で亡くなったことがわかった。
それが創作機械マニアの父親だったと後に昇から聞かされた。
もうひとり昇のお気に入りの親友がいた。
こちらは自転車マニアであった。
三鷹にあるICU(国際基督教大学)に入学し、上野下谷から三鷹まで、毎日自転車通学をしていた。
私はこの男の話を新聞で読んだことがあった。
雨の日も風の日も自転車で通っていた。
往復4、5時間の道のりを毎日毎日通学していた。
とにかく自転車が好きで好きでたまらないのがその理由で、下校時には学校の中庭で曲乗りを披露して、拍手喝采の中、上野下谷へと帰路につくのだった。
こうした昇の愛した人物たちは、業師というか、どこかみんなと違ったある“芸”というか“技術”の持ち主という特徴がある。
昇は自分と同類の匂いを嗅ぎ取っていたのだろうか。
この4月17日、東京に雪が降った。
私は夜中の2時過ぎ、就寝中余りの寒さに目が覚め、ファンヒーターをつけた。
いつもは室温が14、15度なのに、この日は7度であった。
部屋を暖めながら床に付き、再び5時過ぎにファンヒーターを止めようと起き、明るくなっていた外を眺めた。
一面真っ白な上、さらに深深と雪は降り続けていた。
昭和44年、高校生だったMさん(昇の前妻)は、2月2日の昇の誕生日に大好きという意味を込めて、手編みのマフラーと「バレーボール」(バレーのボール)をプレゼントする。
昇は、君の誕生日のプレゼントは何が欲しいと聞いた。
Mさんは、雪が大好きなの、と答えた。
昇は平然と、じゃあ雪をプレゼントする、といった。
この年の4月17日、東京に季節はずれの雪が舞い降りた。
その日はMさん18歳の誕生日であった。
取材協力:篠田いづみ
●お詫び
いくつかの私事情により更新が滞ってしまい、本当にごめんなさい。
これからまだまだ昇についた撮影助手の方々、美術、照明、特機、ソニーの技術者、現像所関係、彼と組んだ映画監督たち、俳優さん・・・、その他昇を語る方々の取材を続けていきますので、今しばらくの辛抱をお願いいたします。