断片①
マイペースを貫いてきたというか、ある意味スタッフ泣かせといわれてきた昇の撮影回りでの言動は、彼の性格もあるのだろうが、撮影助手の原点ともいえるある出来事に大きな起因があるのではと岩城信行は推測する。
「一緒にやった、昇の撮影(助手の)デビューだった「竜馬暗殺」の撮影の時、チーフの川上(皓市)さんとカメラマンの田村(正毅)さんとで、カメラの半絞りを開けるか開けないかで、言い争いが始まった。
絞りはチーフである川上さんの持ち場だったから、一歩も譲らなかったのね、川上さんは。
監督の黒木(和男)さんもしようがなくなって、田村さんの味方について怒るんだけれど、とうとうメイン・スタッフのふたりを相手に、川上さんは自分の言い分を通しちゃったの。
そういう厳しさみたいものを昇は見てたから、頑固さみたいものをずっと見てたから。
初めて経験するプロの世界のお手本であり、親だったからね、川上さんは。
そこから吸収したり、学んだことがその後もかなり影響していることは確かだよね」
篠田昇のポリシー=自分のやりたいように、やりやすいようにやる。
我を通すということは、自分の考えた撮影を貫くことであり、そのやり方は千差万別、人それぞれであろう。
篠田は、映画作りのリーダーである監督を手中に収める方法論をとった。
大量で事細かなテストで細部に至るまでの了解をとり、了解をとったのだから後は好きなように撮る。
もしくは、長澤雅彦や行定勲のように、監督から事前に絶大なる信頼を得ていて、「好きなように撮ってください」と全てを任せられるケースもあった。
いずれにせよ、撮影に関する限り監督を掌握できる状況を作っていった。
大雑把な表現になったが、師匠であり、親であった川上の頑固さ、厳しさとはまた違う信念のベクトルを見つけていったのだ。
その篠田昇は、「映画撮影とは何か」(平凡社・山口猛編、佐々木原保志監修)の中で、川上さんは躾に厳しい人だと語っているが、
「映画の現場ってさ、監督はいろいろなスタッフを全部見ているわけだよ。俳優さんたちも向こう側から現場の連中を絶対見ている。
そこで、たとえテストの時にしても本番の時にしても、照明部が向こうの片隅でなんか、へらへらしているやつがいたら、役者さんにはすぐ目に入りますよ。
へらへら笑いながら緊張感のないような態度はだめなわけで。
そういうことはいちいち(昇に)言ったと思う、そういう気配が見えた時にね。
だれかと冗談言い合いながら、メーター計ったり、あんまり真剣にやっているようには見えない時は、集中しろ、みたいに。
現場では、緊張感が緩む時期があるんですよ、疲れてきた時とか。
そうすると大きな声出して締めないとね、俳優さん全部見ているから。
要するに回りに気を使えっていうこと。普通の礼儀作法と同じようなことなんだよ」
と師匠格川上皓市。
「昇もキャメラマンになってからかなりうるさかったようだね、現場では。
やっぱり最終的には映画のことを思って、なんだよ。少しでも映画をよくしなくちゃいけないという」
断片②
「ハードボイルドハネムーン」の自主上映以後、私たちグループ・ポジポジは自主制作を断念せざるをえない状況を迎えていた。
「70年代後半から、あいつ(昇)はあいつの道、おれ(後藤和夫)はテレビ、岩城(信行)はテレビの広告、それと堀越は路上アクセサリー屋と、それぞれ別の道を選んでバラバラになっていったから、社会人のような、そうじゃないような、生活をね、始めていった。
おれが後悔しているのは、昇から結構電話がかかってきてたんだ、初号を東洋現像所とかでやるから来いと。
「ラブホテル」の時から、ずっとね。
「ラブレター」の時もそうだった。あいつが撮影した映画の度に電話がかかってきた。
でも、あんまり行けなかった。初号なんで平日が多くて、行けなかった。
それは申し訳なかったって、すごく思っている」
昇のまめな性格が垣間見える話だが、この時期、後藤、岩城、私、そして篠田昇のグループ・ポジポジの面々は、ある約束をしていた。
それぞれの道で力をつけた時、もう一度一緒に映画を撮ろう、と。
十数年前にも新宿の飲み屋に集まり、この確認をした。
もう一度昇やみんなと映画を撮る。
それは出版関係の編集プロダクションを経営していた私の最大の夢であった・・・。
断片③
昇にまつわる話の中で、飲み食いの話は非常に多い。
「現場でもコーヒーは一切飲まなかった。
いつもミルクティーで、砂糖大量、ミルク大量のミルクティー、分量がもう決まっているんですよ」
「ビールは全く飲まなかった。いつも日本酒しか飲みませんでした。
ぼく(長澤)が篠田さんの家によく行っていた頃は、家の近所に日本酒飲める焼肉屋があって、そこばっかし行ってましたね」
「でも、晩年近くはビールばかりでしたね。
篠田さん、ビール嫌いなのに何でって聞くと、ビールだと嫌いだから、あまり量飲まなくて済むから、なんて言われてました。切なかったですけれど」(長澤雅彦)
篠田には、飲み方にパターンがあったという。
「一軒めでもうベロベロに酔っ払う。二軒めは福本(淳)とか助手がおぶって連れて行くんですが、完全に寝ている。
三軒めで、目が覚めて、自分はまだ二軒めのつもりなんです。その繰り返しでした」(長澤雅彦)
「篠田さん、トマトは全くだめなんですが、ナポリタンとかケチャップは大好物でしたね。そして、ロケに行くと必ず、河口、オムライスないのか。オムライス食わせろって、言われていたのが、ぼくの一番記憶残っていることですね」(ディレクター河口歳彦)
「実は、「四月物語」の時に、97年の事なんですが、篠田さん、倒れたことがありました。
一方で、三枝(健起)さんが監督で、ぼく(長澤雅彦)がプロデューサーで、NHKのキャンペーンCMを作ってまして、両方一緒にやっていたんです。相当スケジュールがきつかったんです、篠田さん。
ぼくらは朝まで、テレシネといって、フィルムをビデオにする作業をして、その足で、岩井組の「四月物語」の撮影に行ったりしてたんです。
で、過労で倒れちゃった。
慌てて病院に駆けつけたら、「長澤、カツ丼食わせろ」だって。
篠田さん、倒れたんじゃないのって、こっちは思ってますから・・・。
二週間ほどで元気になりましたけど、ま、底なしの体力ですよね」
断片④
「岩井監督の関係で、撮影でオーストラリアに行った時、時間が空いたので、ゴルフが大好きなコーディネーターがゴルフに行こうと言い出した。
ぼく(長澤)も篠田さんもゴルフなんてやらない。でも、やることがないから、暇だから、昼間だし、じぁやろうかということになった。
篠田さん、ドライバーしか使わないんですよ。全部ドライバー、2打めも、パットもドライバー。
はちゃめちゃでしたね。
あんまりスポーツは得意じゃないみたい」
断片⑤
どうでもいいことだけれど、昇は左利きだった。
しかし、それはザ・ビートルズのポールが左利きだったのを、真似ていただけのことかも知れない。
取材協力:篠田いづみ