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2009年06月 アーカイブ

2009年06月24日

take30【番外編】死生観

昇は、自らものを語る人間ではなかった。

私は昇との付き合いの中で、彼の涙を一度も見たことがなかった。


映画「ハードボイルド・ハネムーン」を撮り終えて、しばらく経った頃、昇の父が亡くなった。
突然の事であった。
私は後藤和夫と岩城信行と後藤の愛車ボロナ(ボロいコロナ)で、三郷の実家に駆けつけた。1、2年前に新築された実家のだだっ広い一階に、昇の父は眠っていた。

昇の母が、亡くなった時の様子を説明してくれた。
いつものように工場での仕事が早めに終わり、近所の中川に投網をしに出掛けていった。家に帰ってくると、すごく疲れたと言い、ごろんと横になり、いびきをかきながら、そのまま亡くなったと淡々と話した。

不謹慎ではあるが、私はこの時、その様子を語る昇の母がまるで日常の立ち話のように語るのが不思議でならなかった。悲しいという感情がどこにも挿入されないのである。
もちろん、私たちの手前やなるたけ心配をさせない配慮だったのかもしれない。
そばにいた昇も、世間話でも聞いているように普段と変わりない笑顔を時折浮かべていた。

こうした篠田家の、もしくは昇に対するある種の違和感を、先妻であるMさんも感じとっていた。
「昇の家庭は、お父さんとお母さんがものすごく仲がよかったんです。
昇はよくふたりの仲がよい様子をうれしそうに話してくれました。

ある日突然、電話がかかってきて、お父さんが亡くなったと。
ふたりでタクシーに乗って三郷まで行きました。
死に目にも会えない、突然死んでしまった、50歳くらいの早すぎる死・・・、でも車の中で平然としているんですね、彼は。
もちろん、遺体を見たら泣いたりもしたんですけれど、葬式の時も泣いたんですけれど、お父さんのこと大好きだったから。
でも、ショックとか気落ちした気配がまるでないんです。
どうしてこんな平常心でいられるのか、不思議でなりませんでした」


Mさんはいわゆる文学少女であった。家庭環境等のいろいろな事情もあることだろうが、小説や映画に影響を受け、常に“死とは何か”を意識していた乙女であった。
そんな彼女が、働き盛りの昇のお父さんが突然死んでしまったことについて、昇と話すことは自然の成り行きだった。
「私は、なぜ今死ななくてはならないのか、お父さんの死が理不尽に思えて、そう考えると生きていくことってむなしいと彼に話しました。
そうしたら、昇はそんなことは考える必要がないって答えました。
そういうことを考えることはすごく愚かだとも言いました。
いつ死ぬかなんてだれにもわからない。生きていくことに意味があり、死ぬことを考えて生きていくこと自体がつまらないことなんだって。
そんなことを考えている時間があるのなら、毎日毎日楽しく、そんなことを考える余裕もないくらいに生きていけって。

この時、私は昇のことを、生きていくことや物事に悩まない人なんだ、私とは違う人間なんだなあと見ていました。


ところが、離婚して大分経ってから、私は肝臓を病んで、入退院を繰り返すようになった。
病室の隣りが集中治療室で、死ぬ間際の人が入ってきて、夜中になると遺族たちの泣き声が聞こえてくる。
同室のおばあさんは肝臓の末期癌で、死ぬという恐怖で全然眠ることができない。
そういうことをずっと見ていたの。
自分はすぐ死ぬことはないものの、どんどん悪化し、そうなれば死ぬだけだろうなと、かなり落ち込んでいました。
インターフェロンを投与すると熱が40度くらい出るんです。それで解熱剤で熱を下げて。こうやって肝臓のウイルスを撲滅していく治療なんです。
この時、やれることって、本を読むことくらいなんです。
姪や甥が本をもってきてくれました。昔の世界名作の本を。
それを読んでいるとなぜか気持ちが明るくなるんですね。
なぜなら、これって、みんないいことをする話だからなんですよ。
人間の悪いところなんか見ていないからなんですね」

そんな時、彼女は昇のことを思い出した。
一緒に暮らしていた頃、今日だれだれがどうしたとか、その人と楽しかったこと面白かったこと、必ず彼女に話してくれた昇のことを。
どんなにつまらないことでも、失敗であっても、その人が好きだということを踏まえて、面白おかしく話す昇のことを。
人を嫌ったり、憎んだりすることのない、あったとしてもそんなことはすぐに忘れてしまう昇。
そして、あの時の昇の言葉を思い出した。
生きられるなら、目一杯その日を生きていくことが意味あることだって、という言葉を。

「私は今、近所のおばさんおじさんたちと一生懸命に卓球をやっています。大会にも出場しています。
毎日毎日がとても楽しいと思えるようになりました」


昇のこうした死生観というか人生観というか、それに関する単純明快な言葉を耳にした者は、M
さんを含めてそうはいないと思われる。

篠田昇のこだわりも、こうした大きな土台があってこそ成り立っていたのだと考えると、彼の生きていた人生もまんざらでもなかったかと、私には少々安堵にも似た気持ちが芽生えてくるのだった。


取材協力:篠田いづみ

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