take29知らなかったいくつかの事
映画を中心にテレビCM、テレビドキュメンタリー、ポスター(スチル)、ミュージックビデオ・・・、篠田昇は多くの映像を残していったが、世間的に知られていないことも多いようだ(単に私が知らなかっただけのことなのかもしれないが・・・)。
そのひとつにテレビ・ドラマのタイトル・バックがある。
この件について、結構本数は撮った記憶はあるのだが、タイトルはもうあやふやになっていると福本淳は話す。
「TBSしかやってません。TBSのドラマです。
TBSには、ドラマのオープニング専門の松原さんという方がいて、TBS全ドラマのオープニングを担当しているんです。
基本的に撮るのは、番組を作っている制作会社なんですが、ぼくが撮ることもありました。
で、この松原さんはかなり映画が好きな人で、岩井監督絡みの篠田さんの映像がとても好きで、篠田さんと是非一緒にやりたいと、オファーしてきたんです。
通常オープニングの映像はビデオ撮影が多いのですが、篠田さんとやる時はフィルムでした。これは篠田さんがこだわっていました、フィルムで撮りたいと。
覚えているのは、「聖者の行進」(98年1月~3月放送。脚本野島伸司)とか「真夏のメリークリスマス」(2000年10月~12月放送)とかですかね。
ドラマって、年間4クールくらいはやってますので、その時、映画撮影の仕事が入ってなければ、年間4回くらいはやっていたことになります」
また、話はずっとさかのぼることになるが、福本によれば、篠田がまだ撮影助手時代に、CM制作を手掛けていた瀧沢正治という人物と出会っている。
瀧沢は東映のCM企画演出を経て、現在制作会社の代表として、東映のメイキングやCM、企業PV制作を行っている(本人未取材。私は遅蒔きながら取材しようと考えています)。
「昔、ジャッキー・チェンが三菱トラックのCMに出演したことがあって、ディレクションは瀧沢さんが、撮影は篠田さんがやりました。
瀧沢さんと篠田さんはその他一緒にCMをたくさんやっているのですが、瀧沢さんという方は、映画を非常に撮りたがっていた。
それで、30分くらいの自主映画を撮ったことがありました。
ぼくがチーフの時なんで、96年から98年の間のどこかだったと思います。
「蚊」という作品で、戦争中の特攻隊みたい人間が、敵地に洞穴を掘って、そこに潜むという、ワン・シチュエーションなんです。
撮影は二晩くらいで撮り終えました。
35ミリのフィルムで、フィルム・タイプは覚えてませんが、八分の一減感している作品で、ものすごくライトを使いましたね。
かなり、面白い作品でした」
瀧沢はその後、製作総指揮・監督として、映画「ベースボールキッズ」(2003年公開)を完成させ、2006年には、映画「瞽女goze」の総指揮・監督として製作発表を行っている。
実は、瀧沢はこの「ベースボールキッズ」の撮影を篠田に撮ってほしいと考えていたのだが、篠田の撮影スケジュールが合わず、実現はできなかった。
井筒和幸監督と「危ない話」(89年7月放送)を撮影していた同時期に、井筒と篠田は、「火山島にて~田島都」というタイトルのビデオ撮影で海外ロケを行っている。
これは、ビデオ制作・販売会社によるグラビア・アイドルたちの一連のソフト・ヌードのシリーズで、同年7月に発売された。定価が何と13200円だったから、まだセル主体であった当時のビデオ事情がうかがえてくる。
そして、しばらく後に、井筒監督とは、幻のビデオと呼ばれる作品を撮ることになる。
「過酷を極めた「PICNIC」の撮影が夜中に終了して、ぼく(福本淳)らは機材の整備をそのまま寝ないでやっていました。
そのビデオ作品の集合が、渋谷のパンテオンに朝の7時半なんです。
篠田さんは撮影終了後、一回家に帰られて。
ぼくは寝ぼけた状態で機材整備をしていたところ、タクシーに放り込まれて、そのままパンテオンに直行。着いたら、井筒組の助監督に引きずり降ろされ、ロケバスに乗せられて、現場に行きました。
現場には篠田さんがいたのですが、相当疲れた様子でした。
そうやって、3週間くらいかけて撮りましたので、ぼくにはかなり印象の強い作品なんです。
篠田さんがビデオでドラマを撮ったのは、これが初めてだったと思います」
そのビデオ作品のタイトルは、「神様のい・う・と・お・り」、94年に製作された。
明治生命(当時)の顧客に贈られる非売品ながら、荻野目洋子、東幹久、仲村トオル、古尾谷雅人と豪華なキャストであり、三つのラブ・ストーリーからなる2時間弱の大作であった。
ちなみに、この「神様のい・う・と・お・り」は、「ルナティックラブ」同様、ガンマ・オフでの体制で撮影され、以前テレビ・ドキュメンタリーで一緒に仕事をしたVE(ビデオ・エンジニア)が付いたと思われる。
取材協力:篠田いづみ