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2009年02月 アーカイブ

2009年02月14日

take28岩井演出法と篠田撮影法との接点

テストにテストを重ねていった結果、基本的に感度50の2倍、もしくは4倍増感で撮影されることになった「undo」(1994年、監督岩井俊二)

その過酷だった当時の撮影状況を福本淳は回顧する。
「もともと4日間のスケジュールだったんです、「undo」は。
とにかく全力投球でやっていたものの、非常にきつく、多分予定どおりには終わらないだろうと、みんな何となく思っていました。
撮影3日目の夕方に、翌日のスケジュール表がスタッフに渡されたんですが、終了予定時刻が72時って書いてある。72時ということは、3日間続くということです。
この時点で2日間スケジュールが延びている。でも、そのくらいやらないと終わらない。
で、スケジュール表の下に、「大変な撮影になりますが、撮影のよきところで、4時間仮眠をとります」って書いてある。
帰れないということだな、なんて思いながら、みんなでやりました」

映画とは、とりわけ撮影は魔物である。寝なくとも食わなくとも撮影していくことが楽しい。現場にいることが至福の時なのである。これは私の実感であるとともに、映画撮影に携わったことがある人ならば、誰しもがそう思うことであろう。
篠田昇は誰よりもそのことを感じていた人物であったと思う。


「72時間きっかりだったかどうかはわかりませんが、それに近い時間で終わりました」
「セット撮影したのは、成城の東宝ビルドというスタジオで、このセットでやりきるはずだったのですが、これひとつだけでは(時間的に)無理だということで、別にもうひとつスタジオを借りたんです」
「山口(智子)さんが気が触れ始めて、いろいろなものを縛りだす、部屋中のものを。椅子とか、そういうものを縛ってオブジェ然としたものが部屋の真ん中にデーンとできるシーンもあって、その美術の仕込みに結構時間がかかるわけです。
その美術の仕込みをしている間に、もうひとつのスタジオで、部屋の一部だけのセットを作って撮影するんです。例えば、洗濯機とかを持って行って作って撮影する。
その間、メイン・セットの飾りやライティングを済ませておいて、戻って撮影する。それの繰り返しをずっとやってました」

そして、さらに過酷な状況へと追い討ちをかけたのが、カメラマン篠田昇のある提案だった。
「この「undo」っていう映画は、山口(智子)さんが躁鬱気味の役なんですが、その躁鬱の出方が、主人役の豊川(悦司)さんと一緒にいたいのにいれないことが多くなっていくと、どんどんと表に出てくる。
それが私を縛って、私を縛ってという形になり、実際、豊川さんが山口さんを縛り始めるんですけれど、これがほぼこの映画のクライマックスなんです」

その撮影を篠田は「減感しよう」と言い出した。

「普通ではありえない。
セット撮影で、感度50の減感で撮るということは、感度6で撮るということなんですね。これって、どう考えてもありえないんですよ。
だけど、篠田さんは照明部と長い時間相談して、ライティングを始めました。

山口さんが縛られているクライマックスのシーンでは、山口さんの1メートルくらい上に、ものすごく巨大なビニール膜が張られていて、山口さんのちょうど真上にライトがあるんです。
それが山口さんに対してのキー・ライトなんですが、露出を測りにいったチーフの喜多さんが、「真夏の太陽くらいに(露出計が)振れている」って驚いているんですね。

露出計というものは、外で測る時には、(光の量が多いので)黒いスライドを入れて測るものなんですが、セットになると、黒いスライドなんか絶対にはずすんです。
セットなのに黒いスライドを入れて測って、なおかつ、それが真夏の太陽くらいということは、今のこの現場は雲ひとつない晴天の時の明るさよりももっとあるということなんですね。
でも、それくらいでないと感度6では撮れないんですね」

セットという室内で、真夏の太陽下と同じ明るさとは、素人の自分には想像もつかない。
しかし、その小さな空間がまるで灼熱地獄のようであったろうくらいは思い描ける。
「山口さんは相当熱かったと思います。
昔のタングステンのライトではなかったので、タングステンほどは熱くないにしろ、さすがにそれは熱いと思います。
しかも、山口さんは縛られている役ですから、縛られてからは撮り終わるまで開放できないわけです。
8時間ずっと、その下に縛られたまま、ほとんど動かずにいたんですから」

こうした修羅場のような状況を経て、「undo」は1週間の撮影を終了した。

スケジュールといい、内容といい、この過酷な撮影状況を生み出す背景には、岩井の演出法とそれをサポートする篠田の撮影法とのベスト・マッチな関係が大いに関っていると、福本は述懐する。
「もともとスケジュールされていた「undo」の撮影4日間。これで撮ろうと思えば撮れる監督はいると思うのですが、出来上がりは岩井監督のそれとはかなり違うものになるでしょう。出来のいい悪いの話ではなく、映画を撮るという考え方が今とあの頃とではかなり違う。
篠田さんにしてみれば、撮影に入る前から4日間で撮るつもりはなかったんです。この分量を4日でこなすのは無理だ、そうわかっていながら、4日しかないのかもしれないが、ほとんど寝ないで撮るつもりでいたと思う。
このあたりが今の映画との現状の違いで、プロダクション自体の考え方も変わってきている。
今じゃスケジュールや時間を管理、スタッフキャストの動向まで計上された作り方をしているので、そういう意味では、岩井さんや篠田さんが撮っていた頃の現場の自由度は高かったんだと思います。
岩井さんも篠田さんももともとそういう制約なんか全然効かないタイプではあるんですが、それでも今よりは自由だったという気がします。
だから、ああいう作品が撮れたんではないでしょうか。今ではこんな撮り方、もうできないと思います」

では、岩井にとって、篠田にとって、その自由という意味は一体どんなことを指すのであろうか。
実はそれが岩井の演出法と篠田の撮影法の重要な関わり合いなのである。
「岩井監督はまず全体が見える画をひとつ撮ります。そこにはAとBという2人がいるとしたら、その次は同じ演技でAを中心に、次にもう1回Bを中心にと、最低限3回は撮ります。
4人いれば、4人それぞれを全部撮っていきます、必要とあらば。

岩井さんの感覚としては、編集素材がいっぱい欲しい。篠田さんは絶対寄りの画を撮りたい。これが篠田さんと岩井さんがうまくいった要因なんだとぼくは考えています。
篠田さんは引きの画は引きの画として撮るけれど、基本的に人に食らいついた画を撮りたい、寄りで撮りたいと思っている。
普通だったら、ここのところだけ、部分だけの寄りを撮ると思うんですが、岩井監督は演ずる役者のライブな感覚を大事にしたいので、それだったら部分だけじゃなく全部やろうよ、ということになる。
それが篠田さんにとって、望むところだったんですね。引きの画の後の2回目からは全部寄りで撮れるんですから。

普通といっていいのかわかりませんが、映画の作り方って、最終的な編集の構造を見据えた上で、必要なカットを撮っていくというのが、最も金銭的にも時間的にも合理的な撮り方じゃないですか。それがスタッフにも負担のかからないやり方なはずなんですが、例えば、2人のお芝居をトータルで撮るとします。
Aという役者を中心に撮りましょうということになった時、この人にピントを合わすわけですが、映っているのは2人だから、奥にいるもうひとりのBにピントがいくタイミングがどうしても生まれてくるんです。
ですが、編集の構造が見えていると、この画は使わないところだ、今ピントを触ってはいけない、というような撮り方になってくる。

ところが、岩井さんはライブに役者を動かして、ライブにカメラが動いて、ライブに今どこにピントを合わせて、どこを見せるか、というようなことも現場で選べる撮り方をしている。
普通のカメラマンであれば、ここは使わないよな、みたいな撮り方になるんでしょうが、篠田さんはこれも使えて、これも使えて、これも使えて、という全編通して使えるような撮り方をする。
そこのところが、岩井さんとすごく合っていたんじゃないのかなって思います」

全体を押さえる画を撮った後、繰り返される演技を撮る篠田の寄りの画は、すべてそのまま使える編集素材として、まさに岩井の映画作りにうってつけであったというわけだ。


さらに、岩井の映画作りを垣間見る過程の一部を、福本淳は続ける。
「この「PICNIC」(1996年、監督岩井俊二)で面白かったのは、撮影が始まってから毎日ラッシュを見るんです、前の日に撮ったものを、監督、篠田さんとチーフの喜多さんとぼく、プロデューサーの長澤さんとで。
そうするとどんどんと話が変わっていくんです。

岩井さんは本(脚本)を書かれて、コンテも書かれているんですが、だけど演じるのは生身の俳優さんたちで、その方たちのアプローチとかがあり、篠田さんの映像、例えば太陽光の角度とか、その辺のものがひとつの映像として、結果としてフィルムで見れるので、それを見ている岩井さんの中で、それ以降の映画の展開がどんどんどんどん変わっていったんです。

元の台本では3人で壁の果てまで行くことになっていた。
これが途中でひとり突然死ぬことになったり・・・する。
それはぼくにとって、とても刺激的で、すごいという印象でした」

こうして聞いていると、篠田(彼だけではないにしろ)の映像が、岩井のシナリオ作りにも影響を与えていることがよくわかる。

「最初の1週間は、外のシーンばかりだったので、それほど大変じゃなかったのですが、後半になるにつれ、外のシーンを撮ってから中のシーンを撮るというようにシフトしていくようになった。
そうしたら、「undo」状態に入っちゃったんです」
「撮影状況としたら、「undo」よりも、「PICNIC」のほうが相当ヘビーでした」
と、福本は付け加えた。


取材協力:篠田いづみ

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