カメラマン篠田昇とその助手福本淳が作る自家製機材は、作品に関わるたびにその数は増えていった。新しく改良しても、その前のタイプを捨てないでいるからだ。
なぜ古いやつを処分しないのであろうか。
「ある特殊なカメラ用に作ったものがありました。これはこの作品には必要ないや、とぼく(福本淳)が勝手に判断して撮影に持っていかなかったことがあったんです。
篠田さんは、現場で想定している使い方じゃない使い方を要求されるので、突発的なことが起こり、対処できない場合が多々あります。
そんな時に篠田さんは、あん時のあれを持ってこいって言われる。えー、そんなもん使うんですか、っていうようなことを言われる。
しかし今回、想定していなかったので、ぼくは持ってきていないと話す。
そうすると「お前、そんなもん、持ってこなかったら、仕事にならないじゃないかよ」って怒鳴られる、怒られる。
だから、ぼくは撮影がある時は、全て、全部を持っていくようにしていました」
自家製機材は進化を遂げ、作りかえられていくにはいくが、篠田のT.P.Oとでもいうのだろうか、古いものもまた利用する機会がそれなりに訪れるようだ。
だが、その判断は篠田の頭の中でしかわからない。現場での予想外な閃きということもあるから、福本としては捨てられないし、全てを持っていくしかないというわけだ。
だから福本の言葉には、予想もつかぬ使い方もあり得るという前提ながらも、助手としての意地ともとれるニュアンスが潜んでいる。「全部持ってきていますから、何でもお好きなものを言ってください、すぐに出しますよ、それが助手の務めというものですよね、篠田さん」といったような・・・。
「その篠田さんの機材は、ぼくのベンツ・ワゴンに満載されていました」
福本淳も昇に唆されてベンツを購入したひとりだった。
「篠田さんと仕事をする時は、自分んちで篠田さんに頼まれた物を作ってから現場に行くとか、ある程度の機材を運ぶために、ずっと新丸子の実家の車、カローラなんですが、これに乗っていました。
「ルナティックラブ」の撮影の時(1993年)に、現場は結構大変で、朝眠くて、ぶつけちゃって、廃車になって、困っていた。ぼくの車じゃないから、すぐに買わなくてはいけない。
で、編集をしている時に、編集室で、ぼくは篠田さんに今後機材運ぶのに必要だし、実家も困っちゃうし、中古でいいから安い車ないですかね、みたいなことを何となくボソッと言ってしまった。
そしたら、篠田さん、製作の人に「カーセンサー、買ってこい」って。
で、買ってきた雑誌をぱらぱらと見出して、「うあー、いいの、あるよ。これこれ」と出されたのが、ベンツのワゴン。
「これ、安いよ。これ、買えよ」って始まったわけですよ。
ぼくは車人間ではないので、基本的によく知らないし、それほど好きでもない。
篠田さんの乗っていた白いベンツは縦目といって、ヘッドライトが縦長なんですね。それは古いということであって、今のは横長になっている。
薦められたベンツのワゴンは、横目になってからすぐのヤツで、10年落ちくらいだったのかな。
で、エンジンがベンツ・マニアの中でもかなり有名なW123型というすごいエンジンだったらしいんです。
そんなことをぼくに教えてくれて、これはいっぱい積めるぞと篠田さん。
ベンツなんか買う気さらさらなかったのですが、篠田さんに車でその中古車屋さんに連れて行かれて、見ているうちに、ね、確かにいっぱい積めるし、段々とかっこよく見えてきて、親からはベンツなんてでかいからいらないとは言われていたのですが、結局買っちゃいました。
値段はそれなりにしたんですが、篠田さんが交渉して安くしてくれました」
福本はこれら機材をリストにして整理しており、新しいものが出来るたびに、その機材リストに加えていた。
しかし、福本がカメラマンとして自立した時、機材の全ては篠田の練馬の家に移されていった。福本の代わりとなる、その特別な自家製機材を把握できるチーフ、セカンドがいなかったためである。
その後、制作された機材については、管理することになった篠田自身がリストに足していった。
「篠田さんの機材って、ぼく(福本淳)が管理していた以外にもあるんですよ。
つまり、カメラのパナビジョンを借りると、“コの字”を使ったりするんで、そのセッティングの時間を節約できるように、カメラを乗せるスライド・ベースをもうひとつ余分に作ってとか、レンタルする機材とセットで使えるものを三和映材に置いておくので、それも増えていくんです。
それも、ぼくがセカンドの頃はリストにしておいて、必要なものをその都度借りていた。チーフの頃になると、それらは篠田さんしか使わないので、まとめて篠田組用として、篠田さんのエキストラ機材として、三和映材に保存管理されていましたね。
映画だけでなく、CMの仕事もたくさんされていたので、使うこともかなり多かった」
篠田が作成した自家製機材、とりわけ三和映材に保管されているというカメラ回りの篠田仕様の機材。篠田しか使わないので、と福本の言葉があるが、これらは実際向上性に富み、便利で使い安いのであれば、篠田組用としてだけでなく、他のカメラマンも使うことができたのではないのか、と取材し始めた頃の私は素朴な疑問を持っていた。
そんな疑問を長澤雅彦が一蹴する。
「だれも使えないんでしょう、カスタマイズされているから。
篠田さんは、キャメラは動き回るし、いつでも手持ちでいけるようになっているから、無駄なものを全部削ぎ落としているんです。部品にしても、いらないものはいらないって、外していっちゃうんですよ、なるべく、軽いようにと。
だから、他の人は使えないんです。
クレーンだって、カメラを乗せる台から椅子、下の板(プラットホーム)まで全部取っ払うんです。で、鉄の棒を1本立てて、その棒に安全のためにロープで自分を繋いで、片手で棒を持ちながら、カメラを担いで撮影する。
こんな、篠田仕様を使う人はいないと思いますね」
さて、話はレンズに移ろう。
スチル用のズームレンズをムービー用に作り変えてしまったように、福本淳は、篠田昇のレンズに関する知識の豊富さを幾度となく見せ付けられてきた。
初めてのその機会は、1991年相米慎二演出によるオペラ「千の記憶の物語」の中の“記憶の映像”を、ピンホール・カメラで撮影したものだった。
「要するに、穴一個だけで結像させるもので、通常の歪曲したガラス板、レンズを使わないカメラです。素材の厚さと穴の大きさで解像度なり、画角なりが決まるものなんですが、それをムービーのカメラに付けることができないか、映画にできないか、ということを始めたことがありました」
と福本。
隔月誌「DIRECTOR’S MAGAZINE」(クリーク・アンド・リバー社発行)2007年6・7月号「伝説のつくり手たち~篠田昇」(文・金子忠義)にも篠田自身の言葉で、
「穴なんですね、ただの。0.25ミリくらいのきれいな穴を開けて。あとは計算するだけ。レンズにはF値があるけれど、ピンホールの場合、だいたいF400くらいになっちゃうんです。だから、晴れた太陽の下でないと撮れないんですよ。
相米監督に依頼されて、どんな撮り方ができるかな、と思って写真の本を見ていたらピンホールの写真があったんです。で、これは面白いかも、と」(原文まま)
と語られている。
いつの頃かも詳細も不明だが、かつて篠田昇はタウンページで、練馬の家の、たまたまあった近所のレンズ屋を見つけて、一枚のレンズを持って相談に行ったことがあったと篠田いづみは記憶する。
それは一枚のレンズを加工しようとしたもので、そのレンズ屋の長男が、これまでやったことのない篠田からの特別注文に興味を示し、一緒に作業をしていたというものだった。
「篠田さんはタウンページ、イエローページが大好きで、レンズを売っている業者を調べて実際に買いに行ってました。
ぼく(福本淳)も一回だけ銀座の店に行ったことがありました。
その時は、3種類のレンズを買って、それを何とか結像させようと筒を作って、ムービー・カメラの前に付けて、一緒にやったんですが、うまくいきませんでした」
しかし、こうした篠田の作った加工レンズはいろいろな映画で活躍している。
「「BeRLiN」(1995年、監督利重剛)の中で、始めのほうだったと思うのですが、中谷美紀さんが風俗嬢の役で、その全裸の中谷さんを背中から撮っている画は、篠田さんが作った一枚レンズで撮影したものなんです。
それと「世界の中心で、愛をさけぶ」で山崎努さんのしげ爺の昔好きだった女の人、思いを伝えられずに亡くなってしまった女性、その女校長の若かりし頃の写真が写真館に飾ってあったでしょ。あれは堀北真希が写真だけで出演しているんですが、あれも篠田さんが一枚レンズで撮った劇用写真なんです。
堀北真希って今の子だけれど、どう見てもその写真って、本当に何十年も前に撮った写真でしょ、っていうくらい古びている。
今ではデジタルで加工もできるんですけれど、篠田さんは広角の一枚レンズという、物凄く解像度も悪く、言ってみれば性能の低いレンズで撮った写真なんで、すごい味があるんです。
しかも山崎さんの役どころって、プロの写真家だから、そのプロが撮ったという設定のアンティークな質感が物凄くよく出ている。
やはりこの一枚レンズで撮らなければ、ああいう風にはならない。篠田さんはそこにこだわっていた。
(映画の)撮影前の準備をしていた頃に合間をぬって撮影したのですが、ぼくはこの時立ち会ってはいないんです。ぼくの下の助手が付いていて、その子は写真が物凄く好きな子で、「すごいですね、篠田さんは。あんなことができるとは思いもしませんでした」って、えらく感心していました」
また、岩井俊二監督と組み始めて間もなく、ビデオによる撮影に取り掛かっていた頃、篠田は友人である写真家杉山芳明を訪ねた。ハッセルブラッドを借りにいったのである。
「ハッセル、持って行っていい?」と篠田。
「うん、いいよ」と杉山。
「ボディ、切ってもいい?」
「何で? だ、だめだよー」
「レンズを使いたいんだ」
「おいおい、勘弁してくれよー」
という会話がなされた。
それは、ビデオカメラに付いている従来のレンズではなく、ハッセルのシュナイダー製レンズを付けて映画を撮ろうと考えての行動であった(詳細は後日に予定)。
加工とは違うが、篠田のレンズに対するこだわりの一文がある。
take21にて、パナビジョンSPシリーズのレンズの使用経緯について記したが、これについて、篠田自身が「映画撮影とは何か~キャメラマン40人の証言」(平凡社刊・山口猛編、監修佐々木原保志)の中で語っているので、追記する。
「僕が使っているパナビジョンのレンズは、暖かさを持ったキャラクターなので、レンズ自体が好きなんです。それで、シネスコ以外のパナビジョンのレンズは同じレンズを使っています。ただそのセットは古いレンズで、日本にはあまりないものです。
けれども、古いレンズだから悪く、新しいレンズだから優れているとは限りません。僕は同じナンバーのレンズを『ラブホテル』から使っていて、そのルック、諧調が気に入っているのです」(原文まま)
ここで、シネスコ以外のパナビジョンのレンズという限定した言葉があるが、実はシネスコのレンズについても同様のことを篠田は行なっていた。
「パナ社でテストしたレンズ(take18)を使う時も、極力同じシリアル・ナンバーのものを使うようにしていました。
同じ75ミリでも、ぼく(福本淳)らがアメリカでテストしたのは、15本もあるんですけれど、その中でこれがいいと決めたレンズがある。
その決めたレンズを、篠田用のセットとして、代理店でレンタルしている三和映材に残してもらっていました。
アナモ・レンズだけでなく、他のレンズも同様です。
やっぱりシリアル・ナンバーが代わるとピントの切れであったり、多少の色の転びとかが変わってくるので、ナンバーを管理して、同じものを三和さんに対しては要求していました」
ハッセルのレンズをビデオカメラに付けようなどと、門外漢である私には到底理解できることではない昇のレンズへのこだわりは、このままでは終われない奥の深さを秘めている。
私自身は、これからも回を追うたびに伝えなくてはならないテーマとして捉えているし、もっとその奥を知りたいと思っている。
ただ、一概にはいえないのだろうが、これまでの一連のレンズの話を聞いていると、どうも昇は味のある古い感覚のレンズが好みであったようだ。
そして、それが、光が滲むような、光が掠れてぼけるような、遠近感の希薄な、といった篠田独特の映像世界を、或いはその一部を作っていったのだろうと考えると、私には少し篠田のやろうとしていたことが、ほんの少しだけ見えたような、そんなある感慨が湧いてくるのであった。
取材協力:篠田いづみ