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take21手持ちの進化形とレンズ

1993年1月、篠田昇に本編の撮影依頼がくる。
映画撮影デビュー作「ラブホテル」以来の、厳密にいえば、「お引越し」の助っ人撮影を間に挟んだ相米慎二監督作品「夏の庭」(1994年)だった。
篠田は舞台となる神戸の街をロケハン中、いくつかのアイディアを思いついたと、「映画撮影」No.123(日本映画撮影監督協会発行)で記している。
「神戸は背後に雄大な山々を頂いており、人物や街並みと共に是非ともそれらを収めたかった」
そして、
「少年たちとお爺さんの身長差(演じる三國連太郎は180センチ以上)も考えると、上下のフレーム幅がある方が有利」
という理由で、
「通常のビスタサイズよりも上下の幅が広い、ヨーロピアンビスタ(画面サイズ1:1.66)を選択した」
さらに、
「神戸に着いた瞬間に感じたのは、コントラストの少ないフラットな光の街だということだった。小学校のグラウンドなど、土の色は黄色で明るく、その影響か樹々のグリーンも明るく感じられる」
そのため、これまで使い知り尽くしていたデイライト・タイプのフィルム、イーストマン5297の使用から、
「コントラストや色の彩度が高くしっかりした画面が撮れる低感度フィルム、イーストマン5245をメインで使い、フラットな光源を補って画面が甘くなることを防ごうと考えた」
さらに、篠田のプランは広がる。
「増感現像という特殊な処理を部分的に行う」
ことによって、フィルムのトーンを変えた。これは再三増感や減感の話を福本淳から聞いていることと同じ理由によるものだ。
「通常、低感度のフィルムを増感することは皆無といってよい」
それを敢えて試みたのは、
「昨今のフィルムの性能アップには目覚しいものがあるが、それがアダとなり、ボロボロの家や庭の雑草などが、実際よりもきれいに写される危惧があった。
5245は粒子が細かく、増感してもほとんど画面の荒れが目立たないが、色バランスには崩れが生じ、黒の締まりが悪くなる。
映画では当然ながら黒の締まりが重視されるが、私はそれを逆手にとったのだ」
では、どこら辺りにその増感を施したのか。
「子供たちが庭の雑草をむしり終え、お爺さんとの間に友情が芽生えはじめるシーンまで行っている」
よって、そのシーンは、
「思惑は功を奏し、画面に独特の寂れた感じを与えた」
と、篠田昇は自信あり気に述べている。



「夏の庭」の撮影は、7月後半から開始された。
篠田のアイディアが実行されていく中、もうひとつ注目すべき撮影法のポイントがあった。それは手持ち撮影の進化だった。
スタッフの宿舎用としてホテルを借りていたが、そのホテルの下に製作部が借りた美術倉庫のガレージがあり、その一角に撮影部用の工房が設けられた。それを仕切っていたのは、セカンドであった福本淳だった。
「この撮影で、ぼくが篠田さんに付いてやってきたことがかなり円熟期を迎えたというか、ピークに差し掛かっていたというか、そんな時期だったんです。
撮影自体は相米監督の作品なんで、毎日大変は大変なんですが、夜のシーンはそんなになかったんです。朝は早いんですが、滅茶苦茶深夜までというのはなかった。
で、撮影が終わって(工房へ)帰ると、フィルムはサードに任せて、ぼくは篠田さんからああしろこうしろといろいろ要求があった、その言われたことを作ったり、修理したり、ドリルや卓上ドリル、加工用の道具を使って。
その頃の主な仕事は、手製のステディカムやビジコン関連のものだったんですね。「来たことのある初めての道」での最大の失敗は重量なんです。とにかく、そこから軽量化することを何度も繰り返していた。
レンタルのビジコンは性能がよく信頼性とか安定性とかがいいという反面、(値段が)高い、重いというデメリットもある。
ですから、手製にすると、この重量が雲泥の差で軽くなる。
それと篠田さんはフィルターを沢山使う方だから、二枚とか三枚とか入れることのできる特殊なマット・ボックスというのが必要になってくる。
それは大体フィルターを入れる部分とかは金属でてきていて、重いんです。それを手持ちの時は軽くしてくれという篠田さんの要求に対して、プラスチックの素材を買ってきて、切って、フィルターが入るようにして、レンズにそのまま付けれるようにした。
というように、軽い素材イコール軟い素材を使って、どんどん軽量化をしていって、「夏の庭」の時の手持ちは、これまで肩に乗せて撮っていたものが、横に、脇にカメラを抱え込んでとか、手のひらに乗せてとかになって、ファインダーではなく液晶のモニターを見て撮影していました。
しかし、篠田さんって、宇宙一握力の強い人ですから、手持ちでカメラを握ると、その握るところにマット・ボックスがあると、変な力が加わって、閉まるのが閉まらなくなったり、いろいろとトラブルが起こる。そういった修復を繰り返しやってました」

この手持ちの、NOBOCAMシステムは試行錯誤を続けながら改良に改良を重ねていくが、そのほぼ完成に近い形で撮影されたのが、「突然炎のごとく」(1994年、監督井筒和幸、P長澤雅彦)だったと、福本は言う。
「16ミリで、全編手持ちなんです、「突然炎のごとく」は。「来たことのある初めての道」の進化版ですね。この時は、ヤジロベエとかじゃなくて、単純にカメラと液晶モニターとピント用のリモコンが付いていて、カメラに棒が付いている状態で全編撮影しました。
この頃の16ミリのカメラって、いい機種とか出たりしているんですけど、そういうのはレンズが大きくなって、よりいいレンズになっている。
篠田さんはその大きなレンズは絞りが三枚絞りといって、三角形なんですが、それが好きじゃないので、昔のこんな小さなクック社のレンズを使う。
クックのレンズのほうが絞りの枚数が多いし、解像度は若干落ちるんですけど、味があるので、好きなんです。わざわざクックのレンズで撮影するので、そうするとカメラの世代がひと昔のものになる、マウントの形自体が違うので。その辺でもちょっと軽量化されるんですね。
「東方見聞録」の時に買ったガラスのフィルターというのが、一枚4×5.65インチの大きさなんです、いわゆるパナ・サイズと呼ばれる規格の大きさなんです。
これを使うわけなんですが、そのクックのレンズって、本当に小さいので付けるのが大変なんです。そのマット・ボックスとかも、軽量の素材で、プラスチックとかで作りながら撮影してました。
パナ・サイズのフィルターは小さいなりに切って加工してしまえば、軽量化になると思われるでしょうが、そうすると今度は35ミリで使用できなくなってしまう。やはり基本は35ミリですし、枚数も限られていますし。
ぼくが篠田さんとやってきた作品の中でも、全編通して手持ち撮影して、相当面白くできたのが、「突然炎のごとく」なのかなって思っています」

福本の話によると、この手持ちスタイルは以後、岩井俊二監督作品へと継承されていくのだという。

「夏の庭」の撮影中の記録も、篠田は「映画撮影」に記している。
「さて、物語が中盤まで進むと、嵐の夜にお爺さんが子供たちに戦争体験を語るシーンがある。キャメラは家の中をグルリと移動し、その間約7分という長いカットだ。
これをいかに撮影するかということで、監督と前夜に打ち合わせをした。監督は「シーン前半は広めのレンズで、三國さんが苦い思い出にのめり込んでいく後半は長めのレンズがいいな」と提案されたが、私はあまりズームレンズが好きでなく、ワイドと長めの中間の50㎜レンズを使ってみる、という妥協案に達した。
このカットは最初、ハンディカメラで撮りはじめ、途中でクレーンに移し替えるのだが、映画用のズームレンズは大きくて重量もあり、7分ともなれば、1.000ftの大きなマガジンを付けて撮影せねばならない。が、できる限り監督の要望には応えたい。すぐさまキャメラレンタル店に連絡をったが、あいにく貸し出し中という。残された手段は自分で作るのみであった。
翌日は午後より撮影予定で、私は早朝から神戸の中古カメラ店を訪問。そして、レンズ後部を切断して繋げば使えそうなものが1本見つかり、1万4千円にて購入する。昼前よりリハーサルが始まったが、やはり50㎜レンズではどうしても芝居がつかみとれず、購入したレンズの改造に着手した。
結局リハーサルの間、4時間かかったが、これが予想以上にいいものに仕上がった。この手製ズームレンズは、後半、子供たちがサッカー試合の帰り、お爺さんの家に立ち寄るシーンで再度使用している」(原文まま。但し下線部誤字表記修正)

この時の撮影風景を、福本は思い出す。
「台風のシーンなんですよ。三國さんが戦争に行って、残した家族の話を子供たちにするシーンなんです。
少年たちがコスモスが心配だから、台風の中、家の中に入るところから、お爺さんが語り終えるところまで、1カットなんです、多分7、8分のカットです。
撮影前にリハーサルは丸一日くらいかけてやっているんですけど、篠田さんは「いゃー、これはズームしないとだめだな」って、言ったんです。
当時は映画のズームレンズって、非常に大きくて重い、しかも至近のピントも5フィートまでしかこないし、絞りも4、暗いんです。夜の室内の撮影で、絞りをとれるだけのライティングすることも難しい。
「ズームしないとだめだなあ」「手持ちにもしなきゃいけないしなあ」というのが、リハーサルが終わった日の篠田さんの感想でした。
両立しないわけなんです、ムービーの機材では。
ぼくはこの時、手持ちを優先させるのかなって思っていました。
で、本番の日、夜の撮影なので、午後から準備開始でした。
そうしたら、篠田さんが「おい、いいの、あったよ」って、スチルのタムロン製のズームレンズを持ってきたんです。ものすごく小さいのを。多分、午前中に中古カメラ屋だかに行って、探してきたんですね。
スチルのレンズを付けろって言うわけですよ。もちろん、そのまま付くわけがない。
ムービーとスチルのレンズって、バックフォーカスといって、スチルのほうが焦点を結ぶ距離が短いんですね。
なおかつ、スチルのレンズには絞り用のリングが入っているので、これを取らないとバックがこないだろうからといって、篠田さんはレンズを分解し始めたんです。
絞りのリングを外してしまうと絞りの調節が外からは効かなくなって、下に隠れている棒で絞りをいじる、そういう状態にして。
ぼくはぼくでアクリルでマウントを作り始めた。バックが合わせられるように何枚か作りました。
で、マウント付けて、レンズをカメラにはめて、ピントを見て、バックが合っているか調べて。バックの調節って、1ミリ以下の世界なんで、ピントがくるまで、マウントのアクリル板をやすりで削っていくんです。
チョッチョッて削って、カメラに付けて見て、もうちょいだから、またチョッチョッて削って。あ、行き過ぎた、行き過ぎると今度は紙をその分乗せるんですよ。そうやって作っていきました。
元のレンズにネジが切ってあって、そのネジ山を、ほんとに細いネジ山を開けて、接着剤で埋めて、付けて、ピントもきて、ズームもできて、絞りも明るいし、万々歳。
ところが、レンズは小さいんですが、カメラ自体は1000フィート巻きという10分撮れるフィルム・マガジンを付けないといけないので、カメラ自体はでかいんですよ、それに重いし。
普通、ムービー用のレンズの場合、レンズの部分を持っても大丈夫なんですが、ちゃんと固定されているから。
ま、あまり持つことはないんですが、何かの拍子で当たったりすることがよくある。
それが篠田さんとぼくが作ったレンズだと、当たるとポロッって落ちちゃうんです。
本当に気が遠くなるくらい、コロッ、コロッ落ちて、そのたびに接着剤で付けて、というのを繰り返して、一時はもう撮れないんじゃないかって思うくらいでした。
本番って声がかかった時、助手がカメラを篠田さんのところまで、肩まで、よいしょっと上げようとした時に、当たってポロッと、とか。
それに、この撮影というのは、ちょっと普通じゃないんですよ。
三國さんの、お爺さんの話というのは、ひとつのこの映画の肝だったりするんで、まず、子供たちが台風の中をわぁーと入ってくるまでは、手持ちでラフに撮っておいて、メインの居間に入って、お爺さんが座って語り始めてからは、割とどっしり構えなくてはならない。
最初、あやふやなレンズが付いているカメラを篠田さんは手持ちで歩いて撮っていて、それをみんなでフォローしながら、レールの上にピィウイが乗っていて、そこに雲台が付いてまして、そこに撮影しながら、カメラをそぉーとはめていく。
それがはまったら、篠田さんは不安定なレンズでズームをしだす。こんなことをやらなくてはならなかった。
でも、撮ったんですよ。見ても他のレンズと比べて解像度が低いとか、そういったことが全くなくて、すごいきれいな映像に仕上がってました。
ムービーにスチルのレンズを使おうなんて、こんなことを考える人って、いませんよね」
手持ち撮影の状態から、篠田の場合はピィウイになるが、三脚など固定された雲台に撮影しながら、はめていく作業を、福本は“脱着”と呼んでいる。
篠田の撮影では結構やっている方法なのだが、普通あまり聞かないやり方と思われる。

そして、レンズ。
篠田は「映画撮影」の中で、20年以上も前に設計されたパナビジョンのSPシリーズのレンズを使用したとある。その理由としては、フィルム5245のコントラストの高さを考慮し、解像度のいいシャープなレンズを使うことは不適当だからとしている。
しかも、「ラブホテル」を撮影した1985年の頃までが、このSPシリーズ全盛の時であり、篠田は、日本に20セット近くあったレンズ全てをチェックし、データを取っていた。
篠田いわく、レンズの型番は同じでも、解像度やキャラクターがかなり違うのだ、と。
そして時が経ち、あるCM撮影で、このSPシリーズを使用しようとしたら、既に3セットしかなく、しかも篠田が使おうとしたレンズはパナ本社に返却されていたという。
それを篠田は、パナの日本代理店である三和映材を通して、返却(交換)を依頼した。
そのレンズが「夏の庭」で使われることになったのだそうだ。

福本は言う。
「篠田さんのレンズの知識は、半端じゃありません」
半端ではない篠田のレンズに関する知識とは、一体どのようなものだったのだろうか。


取材協力:篠田いづみ

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2008年09月19日 15:20に投稿されたエントリーのページです。

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