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2008年08月 アーカイブ

2008年08月26日

take19「東方見聞録」回り

・初めてのシネスコによる撮影。
・以後ワイド・アップの原点ともいうべきクローズアップ・レンズの多用。
・三脚でもなく手持ちでもない撮影ピィウイドリー+ミニジブ(ミニクレーン)の合体。

こうして、「東方見聞録」から篠田昇の独特な撮影が形付けられ、動き出していくわけだが、実はこれだけではなく、更に細かな撮影技法がいろいろと散りばめられている。
この映画で助監督を務めた長澤雅彦がそのいくつかを語ってくれた。
「今はもっと進化しているんですけど、当時はまだ日本に入ってきたばかしのバルーン・ライティングというものを使いましたね、月明かりに。
大きさでいうと、長さが約9メートル、高さが2、3メートルほどのマユみたいな形のものがあって、中にヘリウム・ガスを入れるんです。
ある程度の高さまで上げて、ロープで調節して固定するんです。で、そこに強いライトを当てるんです。そうするとレフ板の役目を果たす。柔らかくて、割と広範囲に渡る光が地上を照らすんです。1台じゃ足らないので、2台、3台、多い時は4台飛ばしました。
暗闇だから、黒いロープだったら映らない。篠田さんは手持ち撮影で、360度自由に撮ってました。
篠田さんみたいな撮影にはとても向いた商品だったんです。
月明かりを作るライトを当てると影が出るんですよ、普通。
それはやっぱりウソになってしまうから、なるべく影が柔らかく、影が見えないようなものにしたいということで、照明技師と一緒に試していました。
今は、気球自体の中にライトが入っていて、影が出ないようになっていますけれど」

撮影が始まる前、篠田が悩んでいたと語るのは、セカンドだった福本淳。
「篠田さんは日蝕のシーンをどうすれば表現できるのかと、悩んでいました。相当悩んだ末に、減感することにしました。
日蝕というのは、昼間なんだけど、太陽がないから、影がでないようなイメージがあります、薄暗いという。
フィルムを減感すると、粒状性がよくなり、コントラストが浅くなるんです。で、コントラストと色の彩度が浅くなるように減感をしたら、おもしろいんじゃないかということで、減感のテストを相当やりました。
結局、感度250のフィルムを8分の1減感しました。3絞り分の減感で、感度が30になっているんです。「ワールドアパートメント・ホラー」の時の増感と同様、フィルムのトーンが変わることを生かすためにやるということが、日蝕シーンへのアプローチだったんです」

「東方見聞録」は撮影中の事故により、約2ヶ月間の中断を余儀なくされた。予算の関係だけでなく、事故の余波というか、同じロケ・セット、撮影場所での再開というのは道義上まずいという配慮があったのかもしれない。よって、撮影のために作られた大型のメイン・セットは解体されてしまった。

「最低限必要な芝居道具や美術だけでセットを作りました。そんな簡易的なもので、1週間もなく撮り、それから龍の合成の撮影をするスタジオに入りました。龍の合成を撮るために多分2ヶ月近くはかかりました。
龍が出てくるくだりというのは、絵コンテが全部あって、かなりのカット数がありました。クランク・インする前から龍のアプローチというのは、蛍光ピンクというものが決まっていて、それに付随するテストとかもやっていたんですが、蛍光感を出すために、蛍光塗料を塗って、それにブラック・ライトで照明をして撮影したんです。
なおかつフィルムで合成素材を撮って、合成素材はビスタビジョンという横走りのカメラを使いました。普通の映画は縦走りなんですが、昔の合成用の素材は情報が多いほうがいいということで、そういうカメラにしたんです。
機材が煩雑な分、時間が余計にかかるし、ブラック・ライトでのライティングも時間が多くかかった理由ですね。
篠田さんがどれほど合成に詳しいのか、よくわからなかったのですが、多分初めてのことだったと思いますね。
ぼくらが撮影した滝の青図面があって、縮小した龍が百分の一とか五十分の一とか、その縮尺に合わせて滝の青図面を手に入れる。
そして、滝のどこにカメラを置いた時に、龍がどの位置にいるか全部計算して、しかも滝だから、高低差もあるわけです。その高低差の青図面もあって、龍からどれくらいカメラを離してとか、龍の目に対してカメラをどのくらい引くかとか、また全部計算していたんです。
それをやって、カメラを決めて、ライティングして、なおかつ龍は芝居をするので、目が動いたり、口が動いたり、腕が動いたり、全部リモコンで操作しているので、一日に多くて3カットくらいしか撮れませんでした」
その出来映えについて、
「どちらかというと、よくできたな、と気に入った感じでした、篠田さんは。井筒監督は結構喜んでいましたね」
と福本。
また、篠田はイマジカでの試写に訪れたある関係者に、この合成シーンに関して、
「コダック(フィルム)を使用したので非常にいい発色になった」
と自慢していたという。

ディレクターズ・カンパニーが倒産した時期に、私は新宿で昇と会った。
昇は、全て差し押さえ状態になっている現在の状況を語りながら、プリント(ポジ)した本編を現像所から持ち出して、隠していると言った。
そして、
「日本じゃ、多分もうだめだから、アメリカに持って行って、売り込もうと思っているんだ」
と熱く語っていた。
その時は、多少の冗談を含んでいる話だと思っていたが、今思うと本心だったに違いない。
当時の模様をディレクターズ・カンパニーの社員であった長澤雅彦は振り返る。
「大変だったというより、物凄かった、あの時は(ディレクターズ・カンパニーの倒産)。
バブルの頃だったので、銀行系の不動産会社がお金を出していて、10億円以上とか。それが回収できないわけですから。それにいろいろな軋轢が絡んで、イマジカはイマジカでネガを出さないとか、たくさんのことが起こりました。
試写用に焼いたプリントが何本かあって、その1セットを篠田さんはずっと持っていました。
だから、なぜ「Love Letter」をシネスコでやったかというと、篠田さんがこれを見てくれと岩井さんに、イマジカで内緒の試写をしたんですよ。それが篠田さん所蔵のプリントだったんです」
これについて、篠田は「映画撮影とは何か~キャメラマン40人の証言」(平凡社刊・山口猛編、佐々木原保志監修)の中で、こう述べている。
「このシネスコに関しては、岩井さんと何度も話をして、そのすごさを強調したのですが、言葉ではわからないから未公開の「東方見聞録」を見てもらいました。すると1カット見ただけで、岩井さんは「篠田さん、これを見たらシネスコしかないじゃないですか」と言って、決まったわけです」(原文まま)
隔月誌「DIRECTOR’S MAGAZINE」(クリーク・アンド・リバー社発行)2007年6・7月号の「伝説のつくり手たち~篠田昇」(文・金子忠義)の記事中で、岩井俊二は答えている。
「Love Letter」とか「四月物語」ではシネスコっていうもっともフィルムよりの世界を篠田さんは力説していました。最初、シネスコって言われても横に長い、ということしか知らなかったんです」
「横長にすると、ともすれば構図というところにハマりがちなんだけれども、篠田さんが目標にしていたシネスコがなぜいいかというイメージは真逆。観客が見ているうちに両サイドが自然に消えていくことで迫力が強調されるんです。もし篠田さんに構図的な話をされてもハマらなかったと思いますよ」

結局アメリカへの売り込みは実現しなかったものの、2年後、岩井俊二にこれを見せ、シネスコの映像の素晴らしさを納得させて、「Love Letter」の撮影にこぎつけた。篠田の執念が形になったわけだ。
しかし、昇はどのようにして、「東方見聞録」のプリントを手に入れたのだろうか。この1セットを入手したと思われる話が長澤から聞けた。
「フィルムの現像が試写会に間に合わなくて、ロールは全部で7巻あったのですが、6巻目まで(プリントが)上がったところで、ぼくはそれを持って新幹線に乗って、死ぬような思いで、京都の試写会場まで届けました。その後、篠田さんが7巻目を追っかけで持ってきたんです」
当時はまだこうした何から何まで自分たちでやる自主制作映画のような仕組みが残されていたようだ。そうした中、多分身近にあったこの1セットを手に入れたと思われる。
しかし、助監督であった長澤の仕事をカメラマン篠田が手伝っているという光景も、一般にはなかなか理解しずらいものがあるのではなかろうか。
後述することになるが、篠田は自分の役割である撮影が終了しても、その作品が出来上がるまで編集や録音などにいろいろと関わっていくのである。ここら辺りも篠田昇の大きな特徴でもあるのだ。
話の続きがおもしろい。
「その日は知っている顔が篠田さんとふたりだけだったので、お疲れお疲れで飲みに行ったんです。やっとまあ、できたという開放感もあって、大酒を食らい、大変でした。
次の日、ぼくは二日酔いで、気持ち悪くて何も食べられない。篠田さんは一見元気なんですよ、おれは全然大丈夫だよって。そして、朝からカツ丼食っているんですよ。
で、その日、試写が無事終わったということで、東映の京都の人たちが接待してくれたんです。高そうな料亭に監督と篠田さんと一緒に行って。
そしたら、篠田さん、見栄張ってカツ丼無理して食ったために、気持ち悪くなりましてね。高級料亭に来ているのに、一口もつけず、一滴も飲まず、ずっと吐いていました」
まったく昇らしいエピソードである。


取材協力:篠田いづみ

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