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2008年06月 アーカイブ

2008年06月05日

take14増感と三脚とピィウイドリー

「ワールドアパートメント・ホラー」は、“全体的にローキーな画調に。ASA250のイーストマン5297を2倍増感し、若干の粒子の荒れ具合いを表現”することをカメラマン篠田昇の撮影設計として進められた。
この作品の撮影部セカンド福本淳は、ここでフィルムを増感するという表現の意味を教えられた。
「この映画はほぼ8割方セット撮影だったため、予算的なこともあり、お互いをよく知っている美術の細石(照美)さんといかにセットで撮ったように見せないかを考えていたというか、そのことがまず篠田さんの中にあったようです。
それに対するアプローチとして、「宇宙の法則」からずっと使っていた感度250のデイライト・タイプのフィルムを増感して撮ると。
増感すると、単純にいうと粒子がちょっと出てくることとコントラストがちょっときつくなる。黒のディテールが、ノーマル現像で撮るとよく見えていたところがちょっと見えにくくなる。そういう意味では質感がごまかせるというか質感を作れる方向になるので、篠田さんは全編2倍増感でやるよ、とおっしゃった。
ライト(照明)の量もそんなにふんだんに使える規模の作品ではないので、ライトも少なくすんで、というような撮影をずっと続けていまして、撮影の最後近く、夜明けになって外に出るシーンを撮ることになったんです。
外のシーンなので、普通感度250(ノーマルな状態)あれば全く十分なんですが、これも「増感だよ」って篠田さん。まず、これにびっくりしました。
で、それに対して、ぼくは「増感するということは絞りが11とかに入っていいんですか」って思うわけですよ。篠田さんは基本的に絞りは開けて撮るキャメラマンなんで、「だめだ」っていうことになる。
そうすると、NDフィルター(色調はそのままで光量を減少させるフィルター)をわざわざ2枚くらい入れるわけです、3絞り分のファクターがかかるNDフィルターをわざわざ2枚も。ま、1枚くらい(使うこと)はよくあるんですけど。
通常の感覚で、増感するメリットとその必要性は、単純にいうと感度が足りないことなわけです。だけど、感度が足りない分、粒状性が出てしまうことや暗部の描写が悪くなるというリスクを背負うわけです。それを背負ってまでも感度が足りない分を補うために増感をするのが普通なのですが、篠田さんにとって、「ワールドアパートメント・ホラー」という映画は感度が足りないから増感するわけではなく、映像のテイストが増感なんです。
増感することによって、ちょっと粒子が出たり、ちょっとコントラストが硬くなったり、それを映画全体のトーンにしたい。(画調が)ちょっとホラーっぽいし、そっちのほうがおもしろいでしょ。だから全編増感するし、おれはフィルムをこういうふうにと決めたんだから、太陽の下に出たってどこだって、それを撮るためにNDを入れるよ、と。
NDフィルターを入れると、ファインダーで覗くと暗くなって見えづらくなるわけです。それは狙ったテイストを作るために背負わなければならないリスクなんですね。だから、ND2枚とか3枚とか入れてでも撮る。
ラスト・シーンは怨霊を退散させた後、そのアパートの中に平和が戻ったというワン・シーンがあるんですけど、そのシーンはすべてが終わった後だから、今までとトーンを変えたいということで、そのシーンだけノーマル現像にしているんです。
映画を見ると、明らかに何かひとつの出来事が終わったという光と希望に満ち溢れたワン・シークエンスになっていて、あ、現像を変えるだけで、これだけ作れるんだ、こんなにも世界観変わるんだなって、その時初めて感じました」
カメラマンとして作品を表現するためのフィルム選択、及び増感等の現像処理などは不可欠な役割であり、ある意味当然のことであろう。
だが、篠田昇のこうした撮影の考え方には、とことんまでの“徹底”ぶりが感じられる。

「パイレーツによろしく」でのパンサードリー、「ワールドアパートメント・ホラー」でのミニジブなどの特機に関してもそうだ。その作品の撮影のほとんどに使用している。正しい言い換えではないが、長澤の言葉(take12)のように、いかに三脚を使わないかの徹底した姿勢のように思えてくる。
「いつの頃なのかは覚えていないのですが、三脚を使うことがないので借りるのをやめようと言い出したことがありました、篠田さん。
そんなに高いもんじゃないんですけど、大と小、それとハイハット(ローアングル用)をセットで借りると日一万円ちょっとなんですが、映画だと撮影日数もあるし、レンタル屋さんによっては週5日単位の計算になるところもあるので、それなりにするんです。
じゃあ買っちゃおうかという話もあったのですが、これはこれでメンテナンスが大変なんです。
ある時、実際に三脚を借りなかったんです。
で、借りないと何が起こるかというと、ぼくら(撮影助手)が大変な目に会うんです。三脚というのは、カメラマンが撮影するだけのものではなく、ぼくらは三脚の上にカメラを組んでロール・チェンジをしたり移動したり、カメラのセッティングだって、三脚がないと地べたに置いて作業しなければならない。結構大変だったんです。
それでこの時は借りてくれと頼んで、借りることになったのですが、しばらくして篠田さんがやっぱりいらないって言ってきた。そういう理由ならカメラを乗せる台を作れ、っていうことになったんです。「夏の庭」(1994年・監督相米慎二)の頃には、その作った台の上で作業していましたけど」
大まかな性格であった昇にしては、随分と細かなところまで気を配っている様子が伺える。しかし、こと撮影道具や機材に関しては、工夫と工作好きな性格と予算的に厳しい環境下での倹約管理という川上皓市の教えとが相まってそうさせていることは確かなようだ。
それは以後、無駄な金を使わず、創意工夫のオリジナル機材が随所に登場してくるからだ。これに関しては昇のみならず、右腕福本との悪戦苦闘ぶりも報告できると思う、失敗作も含めて。

さて、昇は本来ならば、この「ワールドアパートメント・ホラー」でピィウイドリーを使いたかったと語っている。
ピィウイドリー(PeeWeeDolly、以下ピィウイ)とは、アメリカ・チャップマン社製フィッシャードリーの軽用タイプとして開発されたもので、パンサードリーが電動であるのに対し、ヘッドが油圧で上下するのが特徴だ。
また、パンサーは踏台が正方形なのに対し、ピィウイの踏台は縦長の長方形になっている。現在はバリエーションも増え、映画撮影の多くに活用されているドリーである。
ドリーとは前回記述したように移動撮影用の台車ではあるが、元来アメリカで三脚の代わりとして発案された機材だ。
一旦重量のあるムービー・カメラを三脚に備え付けると、助手が担いで移動し、置いてからも高さを調節するため、二人以上で三脚の脚を上下させなくてはならない。さらに正確なポジションを決定するまでの微調整を行う手間隙や時間がかかる。
これを簡易化したのがドリーで、ピィウイの場合、ゴム製タイヤが付いているため、右左に位置をずらすことが容易で、ある程度の高さ(ピィウイの場合、最大約60数センチの高低)の上下動をオペレーター(特機部)が操作する。移動するためにはレールが必要となるが、平らなところであればそのまま移動車としても活躍することができる。
構造は、両側にある足場の真ん中に、油圧で上下する屈式のアームが設置され、後部に椅子と押し棒、油圧用ノブが付いている。
「このピィウイって、いろいろと変態するんですよ」
と福本淳。
「普通に使う場合はタイヤを台の斜め前方と斜め後方にセットするんですね、四つ。この状態が標準のスタイルで普通のレールの幅用なんですが、タイヤが収納式になっているんですよ。
例えば、レールの敷けない狭いところに行く時、タイヤの幅を狭くすることができる。台の内側に収納させて台(足場)の幅分までは狭めることができるんです、安定は多少悪くなるんですが。
駆動系も二輪駆動と四輪駆動の二種類あってノブで切り替えるんですが、四駆だと全部のタイヤが同じ方向を向く。タイヤ自体を全部真横にも向けられるんです。だから真っ直ぐ進んで、そのまんまある角度の方向に進められる。後は前部だけこの位置とか後ろだけこの位置とか、いろいろなタイヤのポジションを代えた使い方ができる。
持ち運びのためタイヤを折り畳んで完全収納もできるんです。
篠田さんはその辺をいろいろ組み合わせて、シチュエーションに応じて使い分けていました」

このピィウイドリーに関して面白いエピソードがあると福本は話す。
「東京ディズニーランド・タッチザファンタジー」をやった時のことです。この映画は開園10周年記念の企画で作られたものなんですけど、とにかくディズニーランドを撮影すること自体が大変なことだったんです。容易に機材を園内に入れられないし、レールを敷いてはいけない、撮影は必ず三脚使用のこと、などいろいろな制約でいっぱいでした。
それを監督の富永(一)さんと篠田さんとで交渉してひとつひとつ取り外していったんです。その中に、ピィウイドリーの使用許可があったんです。
富永さんは、開園中の臨場感も含めて、お客さんが本当に楽しんでいる生の姿を撮りたいと考えていましたし、それに対して篠田さんは開園中にピィウイドリーで撮影したい、と。
で、篠田さんは関係者を集めて、デモンストレーションをやったんです。
使用するカメラと三脚、そしてピィウイドリーを持っていきました。
関係者の中には、外資系なので外国人も何人かいて、みんな「これが噂のピィウイドリーか」と注目しているわけです。篠田さんはタイヤを外に出した、一番大きな状態で持っていってましたので、非常に仰々しく見えるんですね。
で、対比できるようにと、横に三脚を置き、「このピィウイというものはよくできていて、三脚より尖っていないし、安定もいいので倒れたりして人がケガをすることもない」って、実際に揺らして見せるわけですよ。三脚は倒そうと思えば倒せるじゃないですか、でもピィウイは簡単には倒れない、っていうことを見せておいて、「でもピィウイは大きい、場所とるよね。でもこれが小さくなるんです」って、タイヤをカシャカシャカシャカシャって収納したんです。
一番小さくすると三脚とそんなに変わらない。こんなに小さくなるものなんですって実演して見せると、外国人の方を含め、ピィウイを初めて見るクライアントから、おおーって拍手が起こったんです。
で、この状態であれば倒そうと思っても倒れない、三脚みたいに爪とかがないので危なくない、こっちの方が絶対安全です、と言い張って、その場でオッケーをもらいました。
ただ条件として、撮影する時間帯が決められ、その中でしか撮影できないことと開園中でもキャストとエキストラを仕込んで、そのシチュエーションで撮影しなければならないということでした。まだまだ制約に縛られている部分は残されていましたけど」
機材だけでなく、制約のある状況をも取り除いていく行為は、単に我を通すという次元から自らの撮影理念を貫くための正当性ゆえのことであると納得せざるを得ない。そのためなのか、何という戦略的な交渉上手! こんな昇は見たことがなかった。
大嫌いな制約をクリアにし、自由に伸び伸びと思ったように撮りたい、それが昇の素直な気持ちなのだろう。

制約が残されている以上、まだ続きがある。
「開園中の撮影ができるようになったのですが、篠田さんも富永さんも段々と物足りなくなってくるんです。
仕込まれた人々(キャスト&エキストラ)の笑顔と本当に遊びに来た客の笑顔は全然違う、本当の客の顔を撮らなければディズニーランドのPRにならない、と後半に言い始めて。
この時は同録ができる大きなカメラで撮影していたのですが、撮影を終えた現場から次の現場への移動中、篠田さんの私物のアリフレックス2Cで、遊びに来た子供たちや家族とか、撮りたいものを見つけては手持ちで歩きながら撮ってました。
2Cも一応35ミリのカメラなんで、普通のビデオ持つのとは訳が違い、バッテリーが必要なんですよ。
で、篠田さんにミッキーマウスのカバンを買って来いと言われまして、リュック式の。その中にバッテリーを入れて、そこからケーブルを出して撮っていました。
仕舞いには、カメラを持っていると見つかる、見つかるといい顔が撮れないから、ミニーかなにかの人形を買って来いと。それをカバンの上に乗せてケーブルを隠し、カメラも抱くようにして隠しながら歩いて、子供が可愛い表情してるなと思うとパッと出して撮っていましたね。
撮り終わってから、今こういう主旨のものを撮っているのですが、使用許可をいただけますか、って聞いて、署名してもらって。それは膨大な量になったと思います」
当たり前のことながら、いい画を撮るということは、いい作品(仕上がり)への道程であることを、昇は人一倍に努力し実践していたのである。
いい悪いは別にして、いい作品の出来上がりを期待してなのか、こっちもいいよあっちも面白いよ、と自らのノルマを越えて撮ってしまう、そんな気持ち(ハート)を持ったカメラマンだったのではないだろうか。

やがて、このピィウイドリーは、この上にミニジブを乗せるという昇の奇想天外なアイディアを「東方見聞録」(1992年・監督井筒和幸)で展開することになる。


撮影協力:篠田いづみ

2008年06月18日

take15 ワイド・アップ

映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のDVD特典映像の中で、行定勲監督は篠田昇の撮影について、こう語っている。
「ものすごくそばにいる、いつも。俳優さんとかも撮られていて、篠田さんにある種、心を開くんでしょう、きっと。普通だったら、ある距離で美しい映像を撮ることは可能だと思うんですけど、篠田さんはすごく近い、被写体と。被写体に近く、撮っていく。ワイド、広いレンズを使って近くに寄って撮る。
それがいやじゃないんです。
望遠できれいに撮って、凛とした表情を撮るのはあると思うんですけど、篠田さんほどあれだけ近づいて美しい映画撮れる人って、まれだと思うし、これからもまねしようとしてもできない人だと思う」(インタビュー中一部抜粋)
事実、最新作である3人の監督によるコラボ映画「TOKYO!」の一話「TOKYO! ショッキング東京」(監督ポン・ジュノ)の撮影を担当した福本淳は、
「篠田さんの画作りで育ってきているので、被写体との距離の取り方とかもものすごい影響を受けています。
ですが、こういう時、篠田さんだったらカーンと引いてワイドで撮るよなと思って、それと同じことをしたつもりでも、見えるものが違う印象になってしまう。
篠田さんの真横にいて、目の当たりに見てきていても、それと同じ方法論で撮ろうとしても篠田さんのようにはならない。これは実感としてあります。
自分が撮影していくうちに、篠田さんよりはどんどん玉(レンズ)は長く(標準~望遠よりに)なっていくんですね。
やはり影響を受けているといっても、そういうものは持っているつもりでも、絶対に越えられない一線がどこかにある。篠田さんにしかできないことって、確かにあるんだなって感じています」
と、10年近く篠田の下で働き、学び、時には盗み、じかにその方法論を体験してきた男は、自分では到達できない篠田昇ならではのテクニカルな特異性を肌で感じている。


「ワールドアパートメント・ホラー」で、被写体からわずかの近距離で撮影する篠田の姿に違和感を覚えた福本は、こんな篠田の言葉を思い出していた。
「以前、すごく意外なことをおっしゃっていたんです。篠田さんは「噛む女」(1988年・監督神代辰己)という作品をご自分でも気に入っている映画だったんですが、この映画のマスター・レンズは60ミリだとおっしゃった。これは60ミリというレンズが主な使用レンズになるということで、それで画作りをしたと。
そういった意味では「ワールドアパートメント・ホラー」は18ミリなんですよ。そういう撮り方をされている方が、60ミリ主体で撮ったということと両立するのかな、と何か不自然さを感じました」
しかし、こうした福本の思惑をよそに篠田はワイド・アップを、つまり18ミリのワイド・レンズで被写体を近距離で撮ることを徹底して続けていった。
以後、多くのカメラマンと仕事をした福本は、毎度毎度ではないにしろと前置きをしつつ、「マスター・レンズは何ミリにする」と公言したカメラマンは、後にも先にも篠田昇だけだったと話す。
これを福本は、作品を撮る場合、普通監督とのアプローチが変われば、当然変わるべきスタンスを曲げなかった篠田の意志だと解釈している。

何故この時期あたりから“寄り”の撮影、ワイド・アップを多用するようになったのか、ワイド・アップにこだわるようになったのだろうか。
「ワイドでものすごく近くで撮ること自体は、「東京ディズニーランド~」でもやっていましたし、もっと前の「危ない話」(1989年・監督井筒和幸)でも見られました。
ただ、ぼくが篠田さんと仕事をしてて思ったのは、他のカメラマンと比べても、すごいワイド・レンズを使うカメラマンだということです。
ズーム・レンズが付いていても、一番(広角に)引いて撮っていました。
師匠の川上さん世代のカメラマン、もしくはそれより上の世代のカメラマンの方々というのは、ズーム・レンズを付けていても普通一番引きでは使わないんです。若干ズームを、ちょっとでも長くして(標準~望遠よりに)撮りたがる。
本当に18ミリとか、いわゆる広角レンズというのは、実景であったり、シーンの導入部として必要なショットの時に使う。それ以外の時には滅多に使わない。
ましてやセットの中で18ミリなんていうレンズは使わないものなんです。
それは日本家屋の事情やセット状況でワイド・レンズを使うと、全てがシンメトリーに作られているわけですから、柱も真っ直ぐ、障子や襖も長方形、正方形で成り立っているんで、歪むということと距離感がずれてしまう。18ミリで四畳半を撮影すると四畳半に見えないわけですよ。広い部屋に見えてしまう。
そういうことを嫌うこともあって、例えば、小津監督の35ミリ・レンズ(標準サイズ)で撮っていくということが基本的にあって、セットで18ミリ使う人なんて本当にいないんですよ」
さらに、
「(ズーム・レンズを)引いて撮るんですけど、それが説明のための引き画ではなく、人を撮る時でもグィッと寄って撮る。
ぼくは映画やドラマで、きちんとピントをやる(セカンド)のは、篠田さんのところが初めてだったので、ワイド・レンズの至近距離の深度のこととかは勉強しましたし、やっぱり至近距離でのフォーカスってものすごく大変で、それはワイドであっても近づけば近づくほど深度がないのでかなり大変なんです。
しかも(篠田さんの)カメラはじっとしていない。
ぼくはそれでピントに関しては相当訓練されたと思っています」

「ある時、カメラマンの木村大作(*)さんが撮影の準備をしていて、ぼくとほぼ同期の撮影助手がピン打ちしていたんです。
ピン打ちというのは、レンズには距離の数字が印字されていますが、ぼくらはそれに白いテープを巻いて、そこに自分たちで測った正確な数字を打ち直していく。この作業がピントマン(セカンド)の準備での一番重要な仕事なんです。
で、その同期の木村さんの助手が打ったやつには5フィート、一番近いところで5フィート(約152センチ)までしか打ってないんですよ。それより手前(近距離)は打ってないんです。使わないんですね、5フィート以下は。
ぼくが使っていたスケール(カメラと被写体間の距離を計るメジャー)なんか、1フィート(約30.5センチ)から3フィート半(約106.7センチ)の間は、数字が読めなくなるくらいボロボロになっているんですよ」
*木村大作=1939年生。代表作は「八甲田山」(1977年・監督森谷司郎)、「復活の日」(1980年・監督深作欣二)、「海峡」(1982年・監督森谷司郎)、「誘拐」(1997年・監督大河原孝夫)、「鉄道員」(1999年・監督降旗康男)、「憑神」(2007年・監督降旗康男)などがある名カメラマン

従来のカメラマンと違い、いかに篠田の“寄り”が凄まじかったことがわかる。つまり、彼のような撮影法が当時では異色であったということだ。
私は、take1と2で学生時代、ライカの贋物“ニッカ”なるカメラを昇は愛用していたと記した。いつも首から下げていたそのカメラは28ミリという広角の単眼(レンズ)だったのを思い出した。

そして、このワイド・アップの撮影に大きく関わっているのが、ミニジブ(ミニクレーン)で、以後、篠田の撮影はこれ抜きでは語れないほど、重要なポジションを創り上げていく。
例えば、こんな1カット(1シーン)があるとする。男が歩いていくと前方に女が立っており、男は女の前で立ち止まり、会話が始まる。
従来の三脚による固定撮影であれば、女の手前に男が立ち止まる厳密な位置を定めて演技が行われるが、立ち止まる位置が少しずれてしまうと女と重なってしまうため(もしくは離れすぎてしまう)、NGとなる。
これをミニジブで撮影すると、上下とか多少の(左右の)振りがカメラでできるため、カメラ側での修正が可能になる。しかも篠田のように手持ちで寄っているカメラ・ポジションであれば、この修正はより自然に行えるというわけだ。
このミニジブ効果は撮影する側だけではなく、実は役者側にも利点があるのだと福本は言う。
「(役者が)立ち位置を気にすることなく、役に徹して気持ちで動ける、ある程度演技の自由が効くようになるんです。
篠田さんは、被写体が動けばカメラも一緒に動かなければいけない。常に被写体に寄り添った画を撮りたいとおっしゃっていた。
被写体と常に一定の距離を保って、その人(役者)の内側へ、より(役の)気持ちに入っていけるような場所(アングル)を作っていくために、篠田さんにとって、ミニジブのような特機は絶対に必要なものだったんです」
役者にとって振舞いや台詞以外のノルマを取り除いてくれる篠田のミニジブ撮影は、役に集中できる意味で大変ありがたいことなのであろう。細かいことをいえば、多少の身体や顔の向きだって、気にしないでいられるのだから。
まずはこういうところから、役者との信頼関係が生まれるのかもしれないが、まだまだこれは撮影する側から見ただけの解釈に過ぎなかった。

この当時、つまり十数年前の映画撮影の状況というものは、概して大きなムービー・カメラをでーんと三脚に乗せ、どっしりと構えた撮影方法が一般的であった。
手持ちや移動やクレーンなどを駆使し、常に動き回っている篠田のような撮影は珍しく、特に役者さんたちには不思議がられていたようで、まだ理解はあまりされていなかったと思われる。

「栗田(豊通)さんがカメラマンをやられた相米監督の「お引越し」(1993年・監督相米慎二)という映画で、大文字焼きの日の撮影でカメラ四台使うことになったので、篠田さんとぼく(福本淳)たちは応援という形で参加したんです。
撮影に入る前に飲み会があって、篠田さんはかなり酒が入ってご機嫌でした。それは隣りに桜田淳子さんがいたせいもあるのでしょうが、篠田さんはその桜田さんに、いかにミニジブとか移動とかを使うと、場所を決めなくても一番あなたが素敵に見えるところにカメラをもっていくことができるんですよっていう話を懇々とされていた。
そうしたら、その後多分桜田さんが、私は篠田さんに撮ってほしいみたいなことを(スタッフに)おっしゃったようで、篠田さんは桜田さんのパートを撮ることになったんです。
桜田さんはこれまでのカメラマンと違う方法論を持つ篠田さんに撮ってもらいたいと思ったんでしょうね、きっと」

また、時は飛ぶが、「UNDO」(1994年・監督岩井俊二)の撮影で、篠田昇と初めて出会う主演の山口智子はかなり戸惑っていたらしい。それは延々と続ける篠田の手持ち撮影に対してであった。
これまでの付き合い上、山口は岩井監督の現場は知っており、ずっと長いシーンを取り続け、しかも一回終わると同じシーンを別のアングルから撮影する、これを何回も繰り返す岩井演出に対し、それを手持ちだけで山口を追う篠田の映像に半信半疑だった。
何で手持ちばかりなんだろう・・・、ちゃんと撮ってもらえてるのだろうか・・・。
しかし、出来上がった作品を見た山口の思惑は一変したという。

こうして徐々にではあるが、監督のみならず、役者たちにもこれまでにない映像で自分たちを素敵に撮ってくれるカメラマンとして、篠田昇は認知されていくのである。


取材協力:篠田いづみ

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