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take13 終わりなき進化

篠田昇は季刊誌「映画撮影」(日本映画撮影監督協会発行)の中で、何回か自ら手掛けた作品についての撮影技術論や撮影報告を載せているが、「NO.100」(1988年)で「パイレーツによろしく」(1988年・監督後藤幸一)を取り上げている。この作品は昇にとって「ラブホテル」(1985年・監督相米慎二)、「やるときゃやるぜ!」(1987年・監督山名兌二)に続く劇場公開映画3作目にあたり、14年前の「竜馬暗殺」で当時チーフ助監督だった後藤幸一との再会の作でもあり、かなり感慨深いものがあったようだ。
この中で昇は日本映画で初めて使用したというパンサードリーについて記述している。
「撮影の90%がキャメラをパンサードリーに載せて行われた。これは従来のエレマックドリーと同様に、床が平面であれば縦横方向はもちろん、直角・円形移動とをレール無しでやって退け、更にリモートコントロールを駆使して、指先1本でキャメラと私とフォーカスマンを搭載したまま、スムーズな上下運動とスピードコントロールができるという画期的なパワーを持っている。
(中略)この作品のように20畳、30畳のワンフロアーの中を立ったり座ったりする動きを、また現代の生活空間そのものを自然に違和感なく表現するには、パンサードリーの導入が不可欠であった。
もはや、クレーン、ドリー、etc.を“特機”と呼ぶ時代は終わりつつあるのだ。私はこの「パイレーツによろしく」を撮り終えた瞬間、この機材を誰でもがあたり前に駆使することを確信した。」(原文まま)
つまり、この時点から昇の考えの中に、自らの撮影法として(従来でいう)“特機”の必要性が芽生えていたのだといえる。と同時に、最後の言葉は昇のカメラマンとしての進むべき道を示唆している。
つまり、従来クレーンやドリーなどの特機と呼ばれたものの扱いは特機専門のオペレーターに任せていたシステムから、“誰でも”とは自分もしくは全てのカメラマンという意味であり、その誰でもが操る時代になるのだと自信を持って語っている。
全部自分でやらないと気がすまない性格にも一因するだろうが、確かに昇はこの後、言葉通り特機を撮影機材の一部として試行錯誤を繰り返しながらも自分流に改造を重ね、撮影に取り込んでいく。
*ドリー(Dolly)=カメラとオペレーターを乗せる移動撮影用の台車のことで、据付ヘッドが油圧、空気圧、電動等で上下できるようになっており、移動方法はタイヤ式、レール式などがある。ドイツのパンサー社のパンサードリー、アメリカ・チャップマン社のフィッシャードリー、その軽用版のピィウイドリーなどがあり、日本ではパンサーとピィウイが主に映画で使われている。
*パンサードリー=台車が正方形で、その真ん中に三段式の支柱があり電動で伸び縮みできるような仕組みになっている。折り畳みの四本足を伸ばし、着脱式の鉄板をその上に乗せてカメラマンやフォーカスマンのスペースを確保する。パンサーの特長はカメラマン自身で上下させられること、そして曲線(円)移動ができること。

蛇足ではあるが、実はこの季刊誌「映画撮影」に書いた撮影報告は直接篠田昇本人が書いたものではない。文章を書くことを苦手としていた昇は口述筆記とまとめを前妻のMさんに頼んでいた。彼女と別れた後は、昇に相談され、私が若いフリーランス・ライターを紹介していた。



「ワールドアパートメント・ホラー」(1991年監督大友克洋)は35ミリ(フィルム)で製作された作品だが、もともとは16ミリで撮るほどの低予算だった。
しかし、監督の大友も撮影の篠田もこの作品は是が非でも35ミリで行きたいと考えた。二人は35ミリで撮るための障害を取り除くためにはどうするかを話し合っていたと福本淳は振り返る。
「篠田さんは、カメラをタダで借りてくると言ってました。それは三和映材というレンタルの会社がありまして、そこでもはや現役ではないすごく古いカメラを、使われていないのだからタダで貸してよと。レンズも使っていない玉(レンズのこと)でいいよと。
で、本当にだれも使わないBLのⅠ型(アリフレックス社)という小さなカメラとレンズを借りてきました。すごく小さなレンズで、レンズに小さな金具が付いていて、その金具でピントを送るクック(Cooke)というメーカーのものでした。
世界でもシュナイダーとかツァイスとかいろいろなメーカーがそのようなレンズを作っているのですが、日本で一番在庫があるし、篠田さんもこのクック玉を欲しがっていました。
14.5ミリから100ミリまで12本くらい、ズームもありましたが、結局はみんな単焦点(のレンズ)で撮りました。
なおかつ同録(同時録音)の撮影なので、古いカメラで同録する場合、レンズの回りに防音ブリンプというものを付けるんです。
これって、多分篠田さんが十数年前の「サード」(1978年)で使っていたのと同じ機材なんですよ」
季刊誌「映画撮影」NO.112(1991年)での篠田昇の「ワールドアパートメント・ホラー」撮影記によると、
「デイ・シーンは廊下にある台所の窓(2階)と1階に通じる階段からだけの光りで薄暗く、ナイターは廊下の天井の蛍光灯と階段に吊るされた裸電球をキーライトとして、全体にローキーな画調にしたかった」
「自然光(蛍光灯、電球も含めて)に近い光で撮影したかった」
そのためにデイライト・タイプの高感度フィルム、イーストマン5297を選択したとある。
このフィルムは「パイレーツによろしく」「SO WHAT」(1988年・監督山川直人)、「噛む女」(1988年・監督神代辰巳)で使用し、「宇宙の法則」(1990年・監督井筒和幸)に至っては全編に使用したという使い慣れたフィルムだった。
「16ミリではいかにフィルムの性能が飛躍的に進歩した現在でも、高感度フィルムの粒状性は決して良くなく、今回のようにローキーなトーンでは特に暗部のディテール、黒のしまり具合いなどに問題が生じる」
「ASA250の5297を全編2倍増感してASA500で撮影したい。(中略)増感することによる若干の粒子の荒れは、この作品のイメージを表現するのにふさわしい」
という撮影設計が、35ミリへの選択を余儀なくさせ、福本淳の話でのカメラとレンズの選択に繋がっていったものと思われる。
作品にもよるのだろうが、当時の昇の「ライト(灯)を見た目に近く、自然に再現する」イーストマン5297の例のように、カメラマンには気に入ったフィルム、使い慣れたフィルムがあり、まずそれをどう使い分けていくかを考えるという。
それはメーカーの違いもあるだろうし、タイプ、色味、コントラスト、発色等理由は好みを含め様々であるが、ある意味カメラマンの特徴を推し量るベーシックな要素だといえる。
だが、これから数年後、カメラマン篠田昇はフィルム選択をしない百八十度違った映像へのアプローチを試みていくことになる。
彼にとっては未知の領域、デジタルの世界が待ち受けていた。
そしてそれは運命的邂逅ともいうべき岩井俊二との出会いでもあった。

話は「ワールドアパートメント・ホラー」に戻す。この撮影の9割にミニジブというミニクレーンが使われていたことは既に伝えた。「パイレーツによろしく」の時のパンサー同様、撮影の状況にもよるのだろうが、その使用頻度の高さは、昇にとって(当時)扱いやすい、お気に入りの道具であったことを物語る。
そして福本は、篠田昇は「ワールドアパートメント・ホラー」の撮影を機に、このミニジブを中心にオリジナリティ溢れる使用法を展開していくのだと続ける。
「このミニジブが移動車に乗っかるのは、「ワールドアパートメント・ホラー」から始まっているんです。
この時の移動車はものすごく安価なフォーカスドリーという折りたたみ式の軽量のもので、レールがプラスチックなんです。タイヤもプラスチックみたいなものの上に枕木も布製で、16ミリやビデオの軽いカメラでの撮影に使われるものなんです。だから、その上に(35ミリの)カメラとミニジブが乗るとかなりな重量なんですよ。
普通、篠田さんはカメラを持ったまま自分で歩くんですけれど、その台の上に板を出してあげて、篠田さんがその上に乗ってカメラのオペレートをする場合もあるんです。こうなるとものすごい重量になっちゃって、移動車のタイヤが壊れたことがこの撮影で二回くらいありました」
「映画撮影」No.112では、本来はピィウイドリー(詳細は後述)を使いたかったのだが、予算が許さなかったので、その代用としてフォーカスドリーとミニジブの組み合わせを考えたのだと昇は語っている。

「ワールドアパートメント・ホラー」の撮影は、基本的にセットで行われた。主人公の二階の部屋と廊下である。
オープンの屋外撮影は最初と最後のシーンのみ、アパートの一階と、二階に続く階段部分がロケ・セットだった。
この一階と階段のロケ・セットで撮影中、昇はずっとクレーンを使っていたが、階段を上がっていくシーンで、人物を追うためにミニジブを組もうと言い出した。
「(ミニジブを)組むことは組めるけれど、動けないんですよ。後ろに壁とかがあって。
そん時、ぼそって篠田さんが言うわけですよ、「お前、動けねぇじゃねぇかよ」って。
ぼくとしてもその通りなんで、「はい」としか言いようがない。
そしたら、「そこまでカメラの視点がなくなるような撮り方を今までやってきたのに、何でここでカメラを動かさないで撮らなきゃいけないんだ」みたいなことを言われたんです。
カメラって、ひとつの視点じゃないですか。それはカメラマンにとっても観客にとってもひとつの視点になっている。そのひとつの視点が動かないで横にだけパンをする、それって客観的だという気持ちが篠田さんの中にあると思うんです。
そういう客観的な映像じゃないのをずっと撮りたいんだ、と。
だから、(カメラを)ミニジブに付けるのはいいが、パンしなきゃいけないことが嫌だったんですね。視点が被写体と一緒になのか、もう少し被写体に対して“気持ち”が入っていく方向のことをやろうとしているんです。その言葉がものすごく印象に残っています」
カメラの視点がなくなるように撮る、とはどういうことなのか。
視点のあるなしなのか強弱なのか、観客にカメラの存在を意識させないという意味なのか。
客観的でない映像を撮るとはどういうことなのか。どちらにせよ、かなり重要なキーワードである。

同じく、被写体に対して“気持ち”が入るとはどういうことなのだろうか。
ある日、多摩美術大学の講師(詳細は後述の予定)をしていた昇に呼ばれた根岸憲一は、
「来いと言われたから行ったんで、何で呼ばれたのかはわかりませんでした。学校のスタジオにはレールが敷かれてあり、移動車とビデオカメラがありました。
篠田さんは自分で作った簡易クレーンをもってきて、生徒たちにこんな簡単な移動車とクレーンでもすごい画が撮れるんだよと説明して、実際にやって見せるんです。
そしたら、モニターを見ていた生徒たちから「オワーッ、すごい!」っていう歓声が上がるんですよ。こんな簡単な仕掛けでこんなすごい画が撮れちゃうんだ、みたいな。
ぼくはいつも見慣れているんだけれど、みんながこんなに大騒ぎするほどすごいもんなんだ、篠田さんの技術ってすごいって、驚いたことがありました。
篠田さんの画って見てもらえればわかりますが、ブレるんです、揺れるんです。手持ち(撮影)でブレたり揺れたり(被写体から)はずれたり、そうなりながらも一生懸命に気持ちをぐぐぐって集約していく、それがピタッと決まって感動に繋がるんだと思います」
長澤雅彦も篠田の気持ちのあり方について、スチル撮影(take9)ではあるが、
「まるで呼吸するようにカメラが動いて、フィルムに写し撮られる寸前まで、最高のアングル、最高の瞬間を探しながら見ている。~常に動いていることで、瞬間瞬間を切り取っていった」
と評している。
カメラの視点がなくなるように撮る。
客観的でない映像を撮る。
被写体に対して“気持ち”が入る。
これらはどこかでシンクロするのであろうか。今は答えらしきものはない。
疑問を残したまま、なおかつその疑問を解くために、先を進める。

福本は「ワールドアパートメント・ホラー」の撮影に於いて、これまでに経験のない異様な撮影光景を目にした。
「ほとんどの場合、カメラが被写体のこの辺(30~40センチくらいの近距離)にあるんですよ。そんなに寄るのって普通ないと思うんですが、それはそれは徹底していました。
クック玉という古いレンズを使っていたので、ピント自体は1・何フィートくらいはくるんですけれど。
「宇宙の法則」では長回しが多かったので、ぼくの中にはそういう印象はなかったですし、「ラブホテル」あたりの作品を見ても、そういう画ってあまりないんです」
篠田昇が劇的に変化していく撮影法のひとつ、作品の半ばから後半の多くに、執拗に見られる“寄り”のショットの始まりである。


取材協力:篠田いづみ

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2008年05月07日 14:42に投稿されたエントリーのページです。

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