take11【番外編】伝説の花見
もう30年前のことになろうか、昇と私がそれぞれの道を歩み始めて間もない頃、
「この前、村山貯水池に花見に行ったんだ。いい桜見つけたんだけど、もう朝から雷と暴風雨でさ。テント立てて宴会やったけど、やってるのは俺たちだけ。子供たちも来てたんだけど、楽しいわけないじゃない、もう帰ろうよ帰ろうよって騒ぎ始めて。いい加減酔っ払ってきて、しかも土砂降りも止みそうもないから帰ろうかということになったんだ。
帰りの西武線、台風みたいな日だから客がひとりもいないんだよ。で、車両の真ん中にゴザ敷いて宴会の続きを始めたんだ。そしたら、また子供たちが騒いで、「大人は狂ってる。お前たちは狂ってる。昇は狂ってる」って泣き始めたんだ。おかしいだろ、楽しかったな」
とうれしそうに昇は話していた。
これは推測するに、撮影部の先輩である川上皓市、小林達比古、あるいは住田望の家族たちとの交流の一コマだったと思われる。
そして、
「ぼく(長澤雅彦)が篠田さんと出会った頃はもう始まっていまして、親しくなり始めた13年くらい前(2007年取材)には、撮影助手とかディレクターとかぼくとか何人かのこじんまりとした花見でした。多くて30~40人くらいかな、上智大学の近辺、桜並木の高さがこう下から眺めると丁度いい具合で、風情があるいい場所でした。それと集まりやすいのと大学の便所を借りれたんです。後半はニューオータニに行ってましたけど。
最初の頃は篠田さんがひとりでやってくれたんです。それから人が増えてきたので2,3千円の会費を払って、お酒はみんなの持ち寄り、食べ物はとりあえず篠田さんが揃えてくれて。焼肉は必ずやってました。
篠田さんがだんだん売れっ子になってくると人が増えすぎちゃって、200人だか300人だか。だから最後の頃は篠田さんに紹介してもらわないとわからない人のほうが多かった」
「ぼく(根岸憲一)は仕事で行けなかったんですが、とにかくすごい人数が、何百人とかが上智の土手を占領して、自前で屋台まで出しちゃったりしてますから。スタッフは篠田さんに声かけられれば当然ハァと行きますが、タレントや役者さんたちがいっぱい集まっちゃって、回りも大騒ぎになって。それで警察が来て、取り止めになったって聞きました。伝説ですね、篠田さんの人徳で有名人がこんなに来て。他に聞いたことないですよね」
恒例の花見が取り止めになったという記憶はないと長澤雅彦は言う。
「ただ警察沙汰は毎年でしたね。あんだけの大人数が焼肉やって焼き鳥やって鍋やって、相当なことをやってますから。基本的には公道ですからね。
下に赤絨毯を敷くんですよ。芸能人も急に増えまして、通行人もびっくりしてました。あれ、松たか子じゃないかって。
昼から始まって夜中の12時くらいまでやっていました。みんなベロベロになるんですよ。篠田さんの年間の最大行事でした。篠田さんと関わった人間であそこに行ったことのない人って、ひとりもいないと思います」
これだけ大勢の人間を昇はどのように取り仕切ったのだろうか。
「次第に大変になってきたので、篠田さんと仲のよかった制作プロダクションが会場設定とか調達とかするようになってきました。最後はある芸能プロダクションが共同開催みたいな形でやってくれて、お金関係はそこが出してくれてたような気がします」
この花見の席でも昇は昇らしい行動を見せてくれる。
「笑ってしまうのは、普通花見なんかの様子はビデオで撮りますよね。篠田さんは35ミリのムービーキャメラを持ってまして、アリフレックスの2Cっていう小型のキャメラを。それにフィルムをつめて、花見なのに35ミリのキャメラ回して遊んでいるんですよ。みんなの酒飲んでいる姿を撮って。
で、二、三日後に連絡があって、ラッシュやるから来い、と。イマジカの第一試写室でその花見の映像を無理やり見せられて、10分くらい、音はないんですけど。ホームビデオみたいな映像を映画のキャメラで、しかもイマジカで現像させて、試写室とって、映写させて、そんなことする人いませんよね」
撮影部のリーダーとして撮影現場を仕切るのは当然のことであろうが、こと花見に関しても昇は親分肌というか大将のような存在であったようだ。
昇の告別式当日、会場へ出向く直前に喪主篠田いづみはフォルクスワーゲン・バスに乗り、昇と共にここ上智の土手を訪れ、別れを告げている。それほど昇にとって思い出深いところだったことがうかがえる。
もうひとつ昇が率先していた恒例のイベントがあった。
「それと昔は新年会というのがあったんです、篠田さんの家で。最初は駐車場だったですかね、あとからは家の三階に移りましたけど。餃子とかものすごい量を作りますけど残らないんです。夜中までやっていて、みんな最終電車で帰りました。
ある年の新年会に、絶対来いって言われて、いつなら大丈夫か、もしお前がだめなら日を代えるからと。きっとぼく(根岸憲一)にだけじゃなくて、みんなにもそういう気持ちを、お前に来てほしいんだ、という気持ちを伝えているんだと思いますよ」
長澤雅彦も昇の人柄を懐かしむ。
「現在の家では三、四回くらいですかね、そう多くはないんですが、新年会は。それもなくなりましたね、篠田さんの身体の調子とは関係なく。あまりにも大変だったんですよ、家に入りきらなくなったんです。限界をはるかに超える人数でしたから。
篠田さんって、どんな人にも分け隔てないんで、政治的というか営業というか会社のえらい人とかを優先的に呼ぶとか絶対にしない人だったから、どんな小さな役割の人であっても、仲良くなったやつは必ず呼ぶ、そういう姿勢の人でしたから。どんな人でも声かけてましたから、数が収まりきれなくなったんです。人間を選ばない、そんな人だった」
取材協力:篠田いづみ