take8 【番外編】白いベンツ
まだまだ沢山の人の話を聞かねばならない。が、自分の都合も加えて先に進まない日々が続く。早く形だけでも篠田昇の映像観や撮影法に触れていきたいのだが・・・。
本編は昇がようやく独立したあたりにたどり着いたが、この頃に関する話の中に、やたらと登場するのが、“白いベンツ”だ。
「映画の世界に進まれてからも時々会社(ドキュメンタリー・ジャパン)に遊びに来ていました。何か白いオープン・カーみたいな車で、ベンツでしたっけ。篠田さんは車は結構好きでしたね、ああいうアンティック系のものが。小物にしてもそうでしたね、ちょっとお洒落な感じで。」(プロデューサー河口歳彦)
「昇がテレビから映画で活躍していくようになってからも、時々うちの会社(えふぶんの壱)にも遊びに来てましたよ、一年に4、5回くらいかな、ふらっと。ひとりで来てました、車で、ベンツね、自慢しに来てたんです。映画の話をよくしてましたね、山口も早く映画作れって、叱咤激励されてました。」(えふぶんの壱代表山口秀矢)
80年代の後半から90年代にかけて、年に数回は昇と会っていたが、大方新宿の飲み屋で会っていたせいか、私はこの白いベンツを見た記憶がない。
ただ、昇が
「この前さ、石井聡互をさ、おれのベンツに乗せてやったらさ、サンルーフから身体のり出して、おおはしゃぎ。あいつは狂ってる」と自慢していたことを覚えている。
ついでながら、その数年前「今、車、何乗ってるの?」との私の問いに、なぜだか「アスカ(いすゞ)」と恥ずかしそうに話していたことも思い出した。
「東京ディズニーランド タッチ・ザ・ファンタジー」を完成させた1990年(平成2年)の暮れに、私は偶然、昇に会った。その頃、私の会社は新宿御苑の近くにあり、会社に戻ろうとしていた時、商店街の一角をものものしい撮影隊が占めており、その真ん中には高さ10数メートルの大きなクレーンが立っていた。その天辺に昇がいた。「ワールド・アパートメント・ホラー」(91年大友克洋監督)の撮影であった。
撮影中でないことを確認した私は、昇に声を掛けた。昇は手を振った。3軒隣りのマンションに私の事務所があるから時間あったら寄れ、と伝えた。昇はオッケーと答えたが、結局は来なかった。
「ぼくはベンツの古いやつばかり乗っているんですけど。篠田さんの影響で」
と語るのは長澤雅彦。長澤は岩井俊二監督「ラブレター」のプロデューサーであった。
「篠田さんはとにかく自分の車で現場に行くのが何より大好きで、車じゃないと動かない。ロケバスに乗るのも嫌いでした。
「ラブレター」で北海道に行った時も、監督車にするからおれのベンツ乗せていいかって、フェリーに。現場移動とかも全部篠田さんのベンツでやっていました。
どこへ行くにも車、ベンツでした。
しかも古いやつが大好きで、いかに昔のベンツが素晴らしいか、洗脳されるように聞いていました。
女優の室井滋さん、彼女も多分、篠田さんの被害者、一緒に勧められた古いベンツを買ってましたから。
篠田さんが平塚に古いシャンペン・ゴールドのベンツを買いに行く時、ぼくもクーペなんかががほしいなって言ったんですよ。
そしたら、長澤、いいのあったよ、おれが買うところにあったよって。つまり一緒に見に行こうや、なんです。要するに篠田さんは自分の都合で修理の車も持っていかなくてはならない、運転手がもうひとり必要だったんです。
でも一緒に行って、これはいいぞっていうのを試乗して買いましたけど、ぼくも」
これからもこの白いベンツはいろいろな方の話に登場すると思われる。こだわりの人、昇の中でも一際特別なものであったようだ。
取材協力:篠田いづみ