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take6 ひとり立ち

篠田昇を知る人ならば、だれもが認めるこだわり。このこだわりの美学は、大方、物に
対してである。そして、それは普通っぽいのだけれどどこかちょっと違う、あるいは他人
にはどうでもいいような、そんな些細なこだわり方だ。
この“些細な”ことが実は重要なキーワードだと私は考えている。こだわりはもちろん、些細な出
来事、些細な疑問、些細な発見・・・些細な何かに異様な興味を持っていたし、特別な驚
きを示し、そしてそれを楽しんでいた。それは他人とは違う何かなのだ。
そして、これはある面、性格や嗜好性へとつながっていく。

ここで昇の人柄の輪郭を私なりの記憶の断片で拾ってみた。
・昇は誰にでもやさしく接してはいたが、肌の合わない(嫌い)人間には、以後近づこう
とはしなかった。だから、傍からは嫌いな人間なんていないように見えた(のではないか)。
・子供を叱る昇を何回か見た。それは昇が車を運転していて、横から自転車に乗って飛び
出してきた子供に執拗にクラクションを鳴らしたり、わざわざ車を止めて車道で遊ぶ子供
たちに「こらー、そんなとこで遊んでると轢かれるぞ」と叫ぶものであった。そこまでし
なくてもと少し過剰な気がしたので、聞いてみると「(放っておくと)この次はあいつら、
死ぬことになるからさ」と答えた。
・自分の家(部屋)に人を泊めるのが好きなくせに、人(友人)の家に泊まるのは好きで
はなかった。自分の好きな様に作った場所に居心地を求めていたのだ。
・興味あることには得々と饒舌になり(この時、よくツバをこぼすことがあった)、人に
押し付けるきらいがあった。かといって、他人の好きなことに関知することはなかった。
・小説や漫画はあまり好きではなかったと思われる。私は昇がこの手の本を読んでいる姿
を見たことがなかった。
・冗談が好きで、特に自分の冗談に悦に入ることがあった。大学時代、なぜだか昇と岩城
と私は江古田から池袋に向かう午前の通勤ラッシュに遭遇したことがあった。吊り革に3
人は掴まり、いつものようにおしゃべりをしていた。池袋近くになった頃、信号待ちのた
め停車することが度々起こった。前にすわっていたおばさんが窓越しに「まったく遅いわ
ねぇ」と大きな独り言をあげた。すかさず昇は「この電車は西武(セーブ)だから、さ」。
数秒の間があり、おばさん以下周囲の人たちの大爆笑が起こった。昇の顔はしてやったり
の得意顔になっていた。
・大学時代に後藤和夫とふたりで住もうと西武線沿線のアパート探しをしたが、昇は外観、
部屋の形や内装が気に入らないため、何件見ても決まらなかった。結局、ふたりの計画は
頓挫し、しばらくして昇は中野にアパートを見つける。
「他と非なるものを探すっていう感じだった。注文がものすごくうるさい。そんなもん、
絶対にないと思ったもの。だれの影響なんだろうね、昔でいうハイカラみたいな」
と後藤は言う。
・私や後藤和夫が好んだ性風俗には全く無関心であった。但し、ストリップは一緒に見た
ことがある。
・マージャンや競馬のような賭け事はしなかった。おいちょかぶやポーカーなんかをやっ
た記憶はあるが、特別熱くなることもなかった。パチンコはたまに神保町の人生劇場や江
古田でやっていた。これらは自分から進んでやることはなく、すべて誘われてやっていた。
・大好物はカレーライス、カツ丼、ハンバーグ、餃子、オムライス、豚肉しょうが焼き、
ソース焼きそば、スパゲティーナポリタンなど極めてオーソドックスな、しかも濃い味の
食べ物ばかり(昇の好物として有名な焼肉は、まだ私の知る範疇にはなかった)。
ある日、アメ横での買い物帰りに、世界にこの店にしかない絶品があると昇に連れていか
れたのは、アブアブの近くの奥まったところにある怪しげなレストランだった。その食べ
物の名は「西洋カツ丼」。なんてことはない、ドリアの上に玉子でとじたカツ煮が乗っかっ
ていた、かなりヘビーなものであった。
・キッチン・カロリーのように、キッチンと名の付く食堂が好みだった。理由は食べたい
ものがたくさんあるからだと。
・そういえば、缶詰にも詳しかった。

こうした他愛ないエピソードは、思い出そうと思えば次々に出てくる。
ついでながら、take2にて私は昇の金銭感覚(ケチ)について述べたが、これにまつ
わるおもしろい話が聞けた。
「篠田さんもぼく(長澤雅彦)も割りと暇だった時期がありまして、篠田さんは(Mさん
と別れた後)ひとり暮らしをしていて、練馬の田原電気という電気屋さんの二階に住んで
いました。いづみさんとは付き合いをしてた頃です。このアパートに週三日か四日は泊ま
っていましたね。仕事ないもんだから、篠田さんの白いベンツでプロダクションとかに冷
やかしに出かけた後、酒飲んで、泊まって、朝起きると腹減っているから弁当を買いに行
って、なぜかその時の弁当代はぼくが払っていました。篠田さんは味噌汁作って待ってる
んです」
「照明の中村(裕樹)と飲み屋で話したことがあった。昇って、いつも払わないんじゃな
いかって。やつら(昇と中村)いつも現場やっているじゃない。そうすると撮影終わると
撮影部や照明部のスタッフで風呂に行くのよ。そん時も昇は払わないんだって、中村は言
うのよ。ぼく(川上皓市)が覚えているのは、車。ガソリン入れるのに絶対満タン入れな
いんだよ。10リッターだけとか1000円だけとか。必ずちょっとしか入れないんだ」
なかなか笑えるエピソードだ。しかし、私を含めてだが、みんな何故見逃して済ませて
いたのだろうか。まるで直接、昇に忠告した人はいないみたいだ。

師匠川上皓市は、私がこの「カメラマン篠田昇の残したもの」で解明しようと考えてい
たある疑問を口にした。
「昇はこだわりがすごいじゃない。カメラにしても車にしても。だから映像に対しても絶
対彼なりのこだわりがあったはずなんだよ


1982年から川上皓市のチーフとして、東陽一監督「ザ・レイプ」「ジェラシー・ゲーム」
「セカンド・ラブ」
の撮影につく。
この撮影でサードについた根岸憲一は、
「右に出るものがいないくらい、名チーフでした。川上さんもすごい人なんですが、回り
を仕切って現場を動かすのは篠田さんでした。計算力もすごくて、川上さんでもわからな
かったくらいだったと思います。なにしろカメラマン以上のことを全部こなしてましたか
ら」
と昇の仕事ぶりを絶賛する。
「こういうことだよと一回決めたら、後はもう昇に任せていた。だから現場では監督とフ
レームのこととかに専念できた。どういう風に撮るとか(の撮影設計)は、相変わらず飲
みながら雑談含めて毎日しゃべっているわけですよ、本当に毎日。昇がチーフの頃は楽だ
ったね、何も心配しなくてよかったから」
カメラマン川上皓市の言葉からも信頼しきった関係が素直に見えてくる。

ところが、「セカンド・ラブ」の撮影中、川上皓市はチーフ篠田昇の手際に違和感を感じ
始めた。
「チーフの仕事っていうのは、キャメラマンが考えた光のバランスを、例えばキーライト
の強さとかをメーター上きちっと正確に測るのが仕事で、言われたようにしなくてならな
い。すべての決定はキャメラマンがして、チーフはそれに従うものなんだよ」
が、チーフ昇はある勝手な行動に出た。
「昇は自分で考えた露出をきっているのよ。ぼくには言われたようにやったと言っておい
て、ラッシュ見たら違うということがよく起こった。ぼくの考えと違うバランスできった
りしたカットが多々出てきた。要するに、昇は我慢しきれなくなって自分の表現をやりだ
したんだな。
その時は、何やっているんだお前、言うとおりにやれよ、って怒ったんだけれど・・・。
一方で昇の気持ちはわからないでもなかった。2年間で3本同じキャメラマンのチーフをや
るというのはかなり辛いことだしね、おもしろくもなんともないじゃない。ぼく自身CM
では随分チーフやったけど、劇映画では1本しかやってない。チーフ1本やればもう自分
の世界に行けるんだよ。だから、昇の気持ちがよーくわかった。チーフは何本もやるもん
じゃないというのが、ぼくの考えなんですよ」
そして、川上は続ける。
「でも、ぼくは困るわけさ。こっちの考えた画にあがらないと。光のバランスとかはキャ
メラマンの領域だからね。
で、ここまで来ちゃったんなら、チーフを卒業しなさい、と昇に話したわけだ。
昇は昇で、これまで川上から聞いてきた世界を否定して自分の世界を作ろうという意志が
あったね、かなりはっきりと」

こうして篠田昇はひとり立ちしていくわけだが、まずはテレビのドキュメンタリーもの
を手がけていく(詳細次回)。
そして翌年、「湾岸道路」(監督東陽一)の撮影で、カメラマン川上は再び篠田昇を呼ん
だ。
「2台カメラを使うときのBキャメラマンをやってもらった。その時は一応キャメラマンだ
から、結構うれしそうに撮っていたよ、生き生きしていたな」

昇が抜けた以降、川上皓市の撮影体制に大きな変化が生まれた。
「小林(達比古)や昇とかは考え方とかが一緒のところがあったと思う。だから、このシ
ーンはきちっと光が当たっているんじゃなくて落ち着いたいい調子にやってくれと頼むと、
はーい、渋くですね、ってやってくれる。ラッシュ見ても全然問題ない。そういうイメー
ジがちゃんと伝わりあっている関係だった。
ところが、そんな昇があんなことをしたから、また間違えられちゃ困るから、いちいちチ
ェックするようになっちゃった、ぼく自身が。露出測ってもいちいちチェック、あそこは
どうなっている、ここはどうなっていると細かいところまでいちいちチェック。だから、
昇から後の助手さんたちからはうるさいキャメラマンだと思われていた」

プロデューサーで映画監督でもある親友長澤雅彦は、かつてカメラマン篠田昇の撮影助
手論を聞いている。
「助手たちは、どうしても縦社会だから、上へ上へ上がっていきたいわけですよ。早くセ
カンド、チーフになりたい。篠田さんはサードでは早く機材覚えて、機材管理して、ま、
篠田さんの場合は自分で作った特機などの機材も多くあり、それを覚えるのも大変なんで
すけどね。で、それからセカンドになって、セカンドに長くいろ、セカンドをじっくりや
れって、言ってました。セカンドになってフォーカス送るようになって、そこが一番大事
で面白いとこなんだって。フォーカスを送る作業は違いがわからなければ送れないわけだ
し、実際に回しているカメラの横で、キャメラマンの意図を共有している映像を知る一番
のチャンス、勉強なんだ、と。そういう助手の立場は絶対にカメラマンになった時に役立
つから、と。自分自身の経験からそういうふうに言っているのだと思います。何でみんな
チーフになりたがるのか、チーフなんてカメラマンになってからでもやれる仕事なんだか
ら、チーフは1本2本やってカメラマンになればいい、のだとも言ってました。
しかし、篠田さんって、ものすごく個性的なカメラマンですし、カメラワークもそうです
よね。だから、いつまでも篠田さんのセカンドやっていると特殊なカメラマンなってしま
う心配とか、他のカメラマンについた方が自分のためになると思って、篠田さんから離れ
た助手は、ぼくが知っている限り2,3人はいましたけど。
篠田さんはこの件を、「いゃー、残念だ。意図をもってやっていることを理解してもらえな
いのは残念だ」と言っていましたね」

取材協力:篠田いづみ

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2007年08月02日 11:42に投稿されたエントリーのページです。

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