take34 ビデオへのアプローチ
80年代前半、テレビ・ドキュメンタリーの仕事で、初めてビデオカメラを経験してから、篠田昇は以後、映画撮影という分野においてフィルム同様にビデオ映像とも付き合いを始める。
もちろん、テレビCMも多数手がけていくが、その撮影技術の方法論は映画撮影そのものと何ら変わるものではなかった。
篠田昇が、初めてガンマ・オフという手法を監督の岩井俊二から教えてもらったのが、「ルナティックラブ」(1994年フジ系)だった。(「take26ビデオをいじる」参照)
ビデオで撮られた「ルナティックラブ」は全編手持ちで撮影された。
その頃のビデオカメラはまだ大きく、相当重たかったのだが、
「その頃流行ったカメラで、ビデオのCCD(*)のユニットだけが抜けるものがあって、小さな箱にレンズが付いて、それにケーブルを本体のVTRに繋いで収録するシステムがあったんです。
これは、16ミリ(カメラ)より軽いんですね。
それに棒とバランサーを付けて、それとピントが送れるようにリモコンを付けて撮りました。
この頃のビデオは基本的にまだズーム・レンズなので、単レンズというものはまだありませんでした。
ハンディカムに近い感覚で撮っていました。たしかソニーのT70というカメラだったと思います」
とこの時のチーフ助手だった福本淳は回想する。
(*CCD=固体撮像素子。これまでの真空管技術の撮像管に代わって作られた半導体で、レンズから入ってきた光を電気(ビデオ)信号に変換するもの。小型軽量、低消費電力、高安定、長寿命、焼付けを起こさない、コメットテール(高輝度の被写体がフレーム内を動くとき、彗星のように尾を引く現象)残像がないなどの多くの利点がある)
しかし、この頃は本格的なビデオ映像への取り組みということより、篠田と福本には彼らの課題、「来たことのある初めての道」(1993年)からの独自の手持ちカメラ・システム=自家製ステディカムの完成にまだ重点が置かれていた。(「take20手持ちへの追及」参照)
そして、篠田昇が次にビデオカメラを手にするのは、代表的作品となった「Love Letter」(1995年公開・監督岩井俊二)の撮影終了後、利重剛監督作品「BeRLiN」(1995年公開)の撮影で、である。
この作品で篠田は、16ミリ・フィルムの他に、8ミリ・ビデオ(High8)で撮影している。
8ミリ・ビデオが使われたのは、ドラマの部分以外の、主人公(中谷美紀)を追いかけている取材のシーンだと思われる。
それをフィルムに起こして、16ミリと8ミリ・ビデオが混在した映像を作り上げているが、これもコンパクトなハンディ・タイプを生かしての撮影に重点が置かれての起用だと思われる。
このあと、ビデオカメラを使っての撮影を行なうのは、「源氏物語 あさきゆめみし」(2000年公開・監督三枝健起)になる。
この映画の撮影期間は定かではないが、2000年7月の公開であったから、大枠ながら1998年から2000年にかけてのどこかになる。
この辺から、篠田昇がビデオ映像そのものについて、本格的に始動していく。
岩井俊二が興味を持ち、カメラの中をいじり始めたビデオ映像。篠田昇もまた、それを追いかけるように魅せられていく。
一体、ビデオ映像とは、これまで撮ってきた映画用フィルムと構造的にどこが違うのであろうか。
日本のテレビジョンは、NTSC規格に基づき、走査線は525本で、1秒間に30フレーム(f)と決められている。
更に、ちらつき(フリッカー)に対処するため、インターレス(飛び越し走査・i)という1フレーム(1画像)を2度に分けて伝送する方式をとっている。
よって、ビデオカメラもインターレス(i)方式の毎秒30コマで撮影されていた。
20世紀終盤に入り、走査線が倍に増加したハイビジョン、そしてHD(ハイディフィニション)システムに時代は進行していた。
同時に、ビデオカメラ、殊に映画撮影用カメラ、及びビデオから映画への変換をするためのプロセス、それを互換性をもったテレビへの推移をも可能にするシステム、それらを含めて、その技術は飛躍的な進歩を遂げている頃でもあった。
1997年、ジョージ・ルーカスは、CG(コンピュータ・グラフィックス)の技術精度の向上とその表現力に確信を持ったことで、「スター・ウォーズ」シリーズの続編再開することを決意した。
過去、「スター・ウォーズ」(1977年)、「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(1980年)、「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」(1983年)とそれぞれ「エピソード4」「エピソード5」「エピソード6」と称される作品群のあと、約16年という時を経ての復活であった。
そして、より高精度で緻密な映像を撮影できる映画撮影用のデジタル・ビデオカメラの開発を、「エピソード1/ファントム・メナス」(1999年日本公開)の撮影前にソニーに要請した。
それは、記録方式が24P(プログレッシブ=順次走査)と呼ばれ、フィルム・カメラ同様毎秒24コマ記録で撮影されるものだった。
これは、優れた映像以外にほぼ全編にわたる合成処理を簡潔に遂行できることやデジタル・データ編集、従来の30コマから24コマへの変換の手間を省く等、様々な利点も含まれていた。
しかし、ルーカスが希望した仕様のビデオカメラは、「エピソード1」の撮影には間に合わず、結局「エピソード2/クローンの攻撃」の撮影前(2000年6月撮影開始)に納入される。
そのカメラは、HDW-F900と呼ばれ、レンズ部分を受け持ったパナビジョンによって、さらに改造を加えた後、ルーカスに納められた。
2000年4月、ラスベガスで開かれた世界最大の放送機器展NABに、ソニーはHDW-F900を始めとするHD24P対応関連機器に「CINEALTA(シネアルタ)」と命名し、映画用に特化したブランドとして発表した。
こうして、HD24P仕様のビデオカメラHDW-F900は、その夏に発売の運びとなった。
よって、99年前後の「源氏物語 あさきゆめみし」撮影時には、まだこのHD24Pは登場していない。
当時の「源氏物語 あさきゆめみし」を福本淳は振り返る。
「おそらくガンマ・オフを使ってらっしゃると思うんですが、かなりコントラストの強い画を撮影されていました。
普通、ビデオからフィルムに起こす技術というのは、ひとつのフォーマットがあるんです。
ビデオを現像所に入れて、どういったフィルムに焼くことで、ネガを作るという決まったフォーマットがあるんです。
篠田さんは、この時ラボ(イマジカ)に対して、“なんでそのフォーマットでなければいけないのか、なんでそのフィルムでなくてはいけないのか”という疑問を投げかけたんです。
イマジカとしてみれば、一番コントラストも解像度もいいフィルムを使うということで、テストを重ねた上で、このフィルムを使うというあるフォーマットを作っていたんですけれど・・・。
篠田さんは、ビデオで撮影すると、フィルムと一番違うのは、粒状での感じ方だと考えたようで、敢えて粒状性の少ないフィルムに焼くことはないのではないか、と。
そこで、イマジカに、フォーマットとしてのフィルムじゃなくて、もっと粒子の出る感度の高いフィルムで焼いてくれ、と注文を出した。
それでテストを重ねた結果、感度の高いフィルムで焼くと、確かに今までイマジカがやってきたビデオからフィルムに変換されたものよりかは、フィルムの持っている粒子がちょっと見えてきた。
その質感がよくなってきたのを更に高めるために、篠田さんは、そんだったらビデオをフィルムに変換する時に増感したらどうか、と提案したんですね。
増感することによって、コントラストも増えるし、粒子もより出る。
これもテストを重ねていって、「源氏物語 あさきゆめみし」は、最終的に2タイプのフィルムの現像を変えたものでテストし、見比べて、どちらで全部焼くかということをやりました。
これは、今は24Pのカメラがあるので、当たり前の技術としてあることなんですが、篠田さんはビデオで撮られて、ご自分が求めている映像により近づけるために、相当なやり取りをラボと繰り返し、テストを重ねていって、できあがった映像なんですね。
ぼくらが単純に知っている、ビデオからフィルムへの変換した映像というのは、(当時の)映画館に行くとCMが流れてますよね、テレビで流れているCMが。あれなんです。
そういうものとは全く違うビデオで撮影したものをスクリーン上で見られることになったので、かなり面白い技術だなあ、なんて思っていたら、割とすぐに24Pのカメラが出てきましたね」
篠田は、こうした「源氏物語 あさきゆめみし」での映像作りのため、現像所(イマジカ)とやりとりを繰り返していた一方、ビデオカメラのメカニズムそのものについて、ソニーと接触していた。
福本によると、篠田は「ルナティックラブ」や「あさきゆめみし」を見せて、フィルムの特性やその現像のことやコントラスト等、ガンマを変えることで画がこんなにも変わることを説得していたらしい。
「当然、向こう(ソニー)だって、技術屋さんだから、理論的に知ってはいるんですけれど、非常に使いづらいものだった。だから、これまでだれも使ってなかっただけの話なんですね。篠田さんは、こういう風にすれば、もっと面白い映像がたくさん撮れますよ、っていうプレゼンをしてたんだと思います」
多少、時間の幅があるものの、丁度この頃ソニーはルーカス・フィルムへ納入するHD24P仕様のビデオカメラを開発中であった。
であるから、映画に特化したビデオカメラを作りたい、最終的にフィルムに戻す時になるべくフィルムに近いものに仕上げたい、と考えているソニーにとって、撮影監督篠田昇に接触することは、容易に想像できる。
「24Pのカメラが製品化される以前に、ソニーの技術の方が相談にくるようになって、いろいろなフィルム・タイプで、実際にフィルムで撮って現像したテストをソニーさんに渡して、それをソニーさんがデータ化して、カメラに反映させているような、そんなやりとりをしていました」
と福本淳。
福本によると、そのソニーの技術の人間は、24Pカメラ開発部の責任者で、早坂と名乗っていたという。
早坂高志。
彼は当時、HD24P制作プロジェクトの実働部隊のリーダー的存在で、カメラだけでなく、VTR、スイッチャー、DME(デジタル特殊効果装置)、モニター等、HD24Pビデオ・システム全般の開発に取り組んでいた。
のちに、早坂は、“ミスター24P”と呼ばれる存在となり、篠田昇とは、盟友の関係を築いていくことになる。
しかし、早坂は篠田との出会いは「リリイ・シュシュのすべて」の撮影終了直後、2000年のクリスマス頃だという。
「リリイ・シュシュのすべて」は、日本で初めて、HD24P仕様のビデオカメラHDW-F900で撮影された。
ふたりの出会いを、福本は24Pカメラの開発中に、早坂は出来上がってから、と語るその時間差は、単なる記憶違いからなのだろうか。
取材協力:篠田いづみ
*参考資料
「ソニー厚木スピリット」(立石泰則著・小学館)
「デジタル映画撮影術」(ポール・ウィラー著・フィルムアート社)
最近のコメント
稲村幸夫 on take29知らなかったいくつかの事: はじめまして、カメラ
本庄冬武 on take23くされ縁: 本庄克彦の長男、本庄
なべやん on take11【番外編】伝説の花見: 岩井監督ファンでした
まつだ on take 10 スチル“P.S I love you”: はじめまして こんに