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2004.3.25up
モニカ・ベルッチ、ヴァンサン・カッセルのベイビーを妊娠
2004.3.22up
カンヌ映画祭のクロージング作品は…
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映画作家が怒りの反乱!? 2004.3.5up
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2004.4.5 UPDATE

木村ひろみ

text by Hiromi Kimura
 
映画雑誌「Studio Magazine」創刊200号の中身とは?
 月刊映画雑誌「Studio Magazine」は、来月発売号で創刊200号を数える。200号記念として、ヴァンサン・カッセル&モニカ・ベルッチカップルが再び(というのは、一昨年ギャスパー・ノエの『アレックス』('02)が公開されたときにもモンディーノが2人の親密な写真を撮影し、表紙に使われているから)表紙を飾り、上記2人の独占インタビュー他、数々の読者プレゼント(スピルバーグ、ルーカスの直筆書簡、ジュリエット・ビノッシュやティム・バートンのオリジナルデッサン、オドレイ・トトゥやカトリーヌ・ドヌーヴが使用した映画脚本…などなど)が用意されている。これだけ豪華な内容で(といってもプレゼントがあたるかどうかはもちろん別として)、お値段はたったの3ユーロ。

カンヌ「国際批評家週間」のプレジデントが決定
 カンヌ国際映画祭のコンペティションと並行して展開され、今年で43回を数える部門「国際批評家週間」の今年のプレジデント(開催名誉会長のようなもの)にはフランス人映画監督ジャック・ロジエ(日本では1950年代に彼が監督したドキュメンタリー『十代の夏』しか公開されていませんが、彼はその後に『アデュー・フリピィーヌ』('63)、『MAINE OCEAN』('86)など、素晴らしいフィクションを撮影しているのです)が就任することが決定した。

キリストの生涯を描く問題作「パッション」をめぐる論争
 「キリストを殺したのはユダヤ人だ!」と公言するメル・ギブソンの新作「パッション」(5/1土〜 全国ロードショー)の公開は、フランス中のユダヤ人コミュニティーからの抗議をはじめとし、数々の物議をかもしだした。 結局来る31日に「Quinta Communication」が配給公開することに決まったのだが、自らも製作&配給を行ない、パリでは3番目の規模の映画館経営を展開するMK2の代表マラン・カルミッツは「この作品を自社の映画館で公開することを拒否する」と記者会見に応えた。カルミッツはこの作品が「キリスト宗教の体制完全主義への讃歌であり、人体への軽蔑と人類への嫌悪のうえに成り立つ犠牲者録」だと述べ、この作品が修正主義とユダヤ人迫害精神にのっとっていることを強調している。なるほど、言論、思想の自由を謳う民主主義社会において、メル・ギブソンが撮ったユダヤ教を意図的に批判、差別する作品を公開することは禁止できない、にしても、マラン・カルミッツ側にはその作品公開を拒否する権利はある、というわけです。


『NE FAIS PAS CA!』
監督:リュック・ボンディー(フランス・ドイツ)


 スイスのチューリッヒ出身のリュック・ボンディーといえば、今ヨーロッパの演劇シーンで最も注目される演出家のひとりに数えられる。「その彼が映画に手を出した!」というので(というのは結局私の勘違いで、実のところ彼1970〜80年代に長編2作の監督をしているし、ドイツではテレビドラマも数本監督していた)、興味津々見に行った。

 ニコール・ガルシアとミキ・マノイロヴィッチ(エミール・クストリッツア監督の作品で世界的に有名になったともいっていい俳優、最近はフランス映画にもかなり出演していてとても流暢にフランス語を話す)夫婦と、ナターシャ・レニエが演じるその娘夫妻の関係を軸に、「夫婦の関係ってなんだろう?」と問いかける…といえば格好がいいけれど、この問いは作品を見た後になっても答えを得られず、自由奔放に浮気をする彫刻家(マノイロヴィッチ)の妻(ガルシア)の過去の浮気体験や、とんでもなくやきもち焼きの夫にうんざりして両親の家に出戻りした娘(レニエ)が心に浮かべる夫との甘い生活の思い出など、過去のシーンのフラッシュバックがかなりの割合を占めているのは、やっぱり軸となる現代の話に面白みが欠けるからだろうか、と見ながらすでに意地悪に思っていた。

 ボンディーが演出する舞台作品はいくつも見た。古典でも現代劇でも、常に格好よく、前衛的で新しいアイデアを持ち込む演出家だと思っていた。今回はキャストや登場人物たちのいる環境など、「器」はボンディが好きそうに「モダンで格好よく」設定されているとはいえ、あんまり中身のない、というか映画化の意味を持たないストーリーに「????」という疑問符ばかりが浮かんだ。この作品を見ながらひとつ感じたのは、監督が演劇をまったく意識していない、というか、演劇の「え」の字の影をも感じなかったことだ。演劇では優れた才能を見せるボンディーが、映画となるとどうしてこうも凡才しか発揮できないのか? 映画と演劇は分立しなくてはならず、両立しないものなのか? ベルイマンやリヴェットなど、演劇を映画に取り入れ成功した例は数あるのに、ボンディーの場合は摩訶不思議である。


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