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第1回 「ブラッド・ピットのエビアン・ボトル」
第2回 「デンゼル・ワシントンと三つの招き猫」
第3回 「ギヨーム・ドパルデューのパープル・ヘア」
第4回 「ホアキン、ラッセル、ワイルド・ナイト」
第5回 「キアちゃん、キアロスタミ」
第6回 「キアヌ・リーブスがヘタくそバンドに一生懸命な理由」
第7回 「愛しのギアさま:Chapter1」

2000.10.03 UPDATE

金子裕子
text by Yuko Kaneko


第8回●「愛しのギアさま:Chapter2」

 
 さて、今回は私が“愛の神”と崇めるリチャード・ギア様を語る第2弾である。『天国の日々』で“リチャード教”に入信して以来、本物を見たさ(触りたさ?)に募った私の思いも3年分。ドッカーンと爆発する、初のインタビューが開始された。といっても、もう、ギア様に笑顔で迎えられてほとんど失神寸前なのだから、勝負は最初から決まってる。栄光の、KO負けだ。

 この86年の来日で携えてきたプロモーションの材料は、キム・ベイシンガーと共演の官能サスペンス『ノー・マーシイ/非情の愛』。なんだが、じつのところ、何を質問したのやら、ほとんど覚えていない。もちろん、このときのインタビュー・テープは大事に保管してある。でもねぇ、聞き直すのは絶対に嫌!だって、シドロモドロの自分の声を聞くほど恥ずかしいことはないんだもん。

 しかし、それでも、走馬灯のようにいくつか頭をめぐるシーンがある。ひとつは、写真撮影のときに、大の写真嫌いのリチャードが途中から“いっしょに撮ろう”といって、私の肩を抱いて離さなかったこと。30数年間生きてきて、けして男性との接触がなかったわけではないけれど、このときの肉体的接触(?)ほど体に電流が走ったことはない。「あぁ〜あ、もう……」とかって、わけのわからない声を発していたのは覚えているし、なんと、その瞬間の証拠写真まで残っている。その見るも無残にヤニさがっている顔も、テープ同様、再見したくないけどね。

 
 そしてもうひとつ、鮮明に覚えているのは、通訳を担当してくださった戸田奈津子さんのあきれ顔と爆笑だ。なにしろ、自分で何を言っているのかわからないんだもの、戸田さんだって通訳のしようがない。「なに?もう一度落ち着いて、いってみて。なにが聞きたいの?」と、何度も根気よく、しかも優しく諭すようにおっしゃる言葉が、今でも耳に響く。まぁね。たとえば、「やっぱり、若いころには苦労もしたんですよね。売れなかったこともあるし。でも、おウチは貧しくないんだから、そうでもないか……」ってな具合だもの、たまったもんじゃない。ちゃんと用意した質問の文字も読めないほどアガってしまい、挙げ句の果てには、その紙を戸田さんに渡して、“これ聞いてください”……。きっと、こんなインタビュアーは戸田さんの長いキャリアの中でも初めてだったのではなかろうか。今思いだしても、赤面 、赤面!

 でもね、ヒョウタンから駒、捨てる神あれば拾う神あり!? こんな希代な体験をしたものだから、戸田さんはしっかり私を覚えてくれたのだ。そしてリチャードを“あなたのダンナ様”とも認定してくださって、なにくれとなくお世話をしてくださる。たとえば、その後のインタビューでは必ず事前に渡した質問用紙を見て、リチャードの嫌う質問は排除してくださるとか、彼がどこで何をしているといったインフォメーションをくださるとか……。それはそれはもったいないほど濃いものなのだが、戸田さんにご迷惑がかかるといけないので、詳しくは書かない。しかし、ひとつだけ、どうしても紹介しておきたいエピソードがある。



illustration by hiroyuki ijichi


 
 それは、リチャードが黒澤明監督の『八月の狂詩曲<ラプソディー>』に出演出来たことだ。この作品の製作が始まったのは、黒澤監督がアカデミー賞の特別賞を受賞した直後の90年。受賞でクロサワ・ブームとなったハリウッドのスターたちは誰もが「クロサワ映画に出たい」と熱望していた時期。シガーニー・ウィーバーなども「ノー・ギャラでも飛んでくるわよ!」といってたくらいだ。そんな時期に『プリティ・ウーマン』のプロモーションで来日していたリチャードを、戸田さんは“黒澤明アカデミー賞受賞記念パーティ”に誘ったのだ。そして、戸田さんの紹介でギアと対面した黒澤監督は「僕の映画に出てみるかい?」のひと言! その時のリチャードの喜びようは、その場で「出ます!」と即答したことでもわかろうというもの。かくして、その時の約束は実行され、その年の夏にはリチャードが箱根や九州でロケを行い、私もしつこく追っかけが出来たというわけだ。

 思えば、この追っかけと、「ほら、日本でいちばんあなたを愛してるジャーナリストよ」という戸田さんのたびたびの口添えがあったからこそ、リチャードに顔を覚えられ、いつでも好意的に迎えられるようになったのだ。そして、憧れのスターとのちょっと親密な関係に味をしめ、飽くなきスター追っかけ人生が始まったのだ。まずは、戸田さんに感謝!



 さて、そんなこんなでリチャード教を盲信し、布教してきた私である。来日するといえば、万難を排しお気に入りのプレゼントを携えて出かけ、ジャンケットがあるといえばニューヨークにも飛んでいった。そして、皮肉屋と称されるリチャードだが、その素顔は、チベット仏教に傾倒した敬虔なブッディストで、知的で思慮深く(ときおり、下半身は別人格にもなったようだが…)、観察眼は鋭い。ゆえに、私がどんなに舞い上がっていても、ちゃんと内容の濃い映画的なコメントをして、後に原稿を書くのに苦労しないように、いつでも気配りしてもくれるのだった。しかも、最近では、「日本に行きたい理由は、1番・京都、2番・戸田さん、3番は……ユウコ」とまで認めるように。まあ、私も努力の甲斐あって、かなり昇格したということか。

 しかし、前号でも書いたように、“神”は子供を作って、俗世に舞い降りてきたのである。普通の、子煩悩なパパに変身して……。

 だから、今年の夏。ニューヨークでの7度目の会見で、ホーマー・ジェイムス・ジグミーと名付けた息子の話をする、トロけそうな顔のリチャードに、神の面影はない。ちなみに、ホーマーは、ギリシャの詩人ホメロスと実の父親の名にちなんで、ジグミーはチベット名前だそうだ。で、そんな説明をしながら、ときおりジッとこちらを見つめる熱視線は、私にはまだまだ有効でクラクラはする。でも、やはり“神”と崇めるには、子供の存在がどうしても邪魔。それに、息子の母親ケーリー・ローウェルとの結婚は「いつかね」とのことで、しない可能性もあるだろうし……。となれば、これからは、私も志新たに、ただの男と女として、愛を貫くほうがいいのかもしれない。そんな、愛の新境地を胸に、リチャードのいるニューヨークを後にした。

 そう、ホーマー君の生まれた2000年1月をもって、私の“信仰の旅”は終わったのだ。






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