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指定第1号
「大映ビスタビジョンカメラ」


2001.5.16 UPDATE


指定第2号 「コニカラーカメラ」



実用的かつ独創的なカラー映画撮影機
それがコニカラーカメラだ

 JR新宿駅東口前、新宿通りの高野ビルにコニカプラザという小さなカメラ博物館がある。そこで、ひときわ異彩を放つキカイ。重機関銃のような、土俵下でアグラをかいている横綱のような、このキカイこそ、テクニカラーカメラ(前回の写真参照)をもしのぐ3色分解式カラー映画撮影機、コニカラーカメラなのだ。本来なら、このカメラこそ日本映画遺産第1号に指定すべき物件なのだが、準備の都合で後回しになった次第。

 米国製3色式テクニカラーはまずディズニーの短編アニメで使われ、長編劇映画第1作は1935年。その後、改良を重ねながら約20年間にわたってカラー映画の王座に君臨した。テクニカラーは、黄赤青の3版とスミ(黒)版を重ねて天然色を再現する4色印刷に似ている。まずレンズから入った光を2分割し、フィルター層を通して3本のモノクロフィルムに露光させる。フィルムのうち2本は重ねてあるので光(ビーム)は2分割でいい。3本のフィルムを3原色に染色し、白黒ポジと重ねてカラープリントを作る。3版のネガが一度に撮影できるので、これをビームスプリッター式ワンショット・カメラという。

 テクニカラーよりも低コストで少量プリントに適したカラー映画システムのために開発されたワンショット・カメラ、それがコニカラーカメラだ。「コニカラー・システムは、日本で開発したカラー写真関連技術の中で、もっとも独創的で実用性も高かった」(石川英輔『総天然色への一世紀』1997年・青土社)『カメラレビュー クラシックカメラ専科』第21号(1992年・朝日ソノラマ)の矢島仁氏の記事にコニカラーカメラ全機種が紹介されているので一部を引用させていただく。

 「コニカラー・システムの研究開始は戦時中の1942年。44年10月、ワンショットではなく3版を順次撮影する方法でアニメを試作。敗色濃厚ななかでカラー映画の研究を続けた技術者たちの苦労と情熱は並大抵ではなかっただろう。翌年、空襲ですべてを失い、敗戦。48年に研究を再開。連日の徹夜作業の末、コニカラーカメラ第1号が完成したのは52年。翌年、試作映画『可愛い魚屋さん』が公開された。55年、日活のカラー映画第1作として『緑はるかに』公開。主演は14歳の浅丘ルリ子、これがデビュー作。『カメラレビュー』誌に掲載されているカメラテストのプリントに映った彼女は実に可愛い。残念ながら白黒ページだが、画質の良さは分かる。「コニカラーの画質は、今見ても驚くほどすぐれているが、原価も驚異的に安かった」(『総天然色への一世紀』)


コニカラーカメラ400型。レンズが本体前方左側(この写真では右手奥)に45度傾いて突き出したデザイン。内部で光を3分割するための、独特の設計だった。コニカプラザの展示品は金属製の重厚な三脚に乗っている。
(撮影:藤田真男)


コニカラーカメラ、オクラ入りの陰に
裕次郎の“鶴の一声”があった…

 コニカラーカメラは光を3分割して完全な3色分解をするので、画像はテクニカラーよりも鮮明。現像方式も異なる。複製プリントも容易に作れるので洋画の焼き増しにも利用され、ジェームズ・ディーンの遺作『ジャイアンツ』(56)などが、この方法で焼き増しされて上映された。

コニカラーカメラは100型から400型まで計9台が作られた。テクニカラーカメラでさえ22台だったというから9台は立派だ。400型の重量はテクニカラーカメラの3倍弱の88kg。ブリンプ(防音カバー)をかぶせると144kgもあった。まさに横綱だ。

 コニカラー映画は約60本。400型で撮影された作品が多く、日活『ドラムと恋と夢』(56)『ジャズ娘誕生』(57)『危険な年齢』(57)『肉体の悪夢』(57)、松竹『赤い陣羽織』(58)、新東宝『スーパー・ジャイアンツ 第8部』(59)などがある。コニカプラザの展示品も400型で、日活『乳房と銃弾』(58)『知と愛の出発』(58)などに使われた。当時の日活のポスターを見ると「日活コニカラー総天然色」の文字がある。

 その画質を高く評価されたコニカラーカメラだが、より簡便なカラーネガフィルムの普及によって1959年に姿を消した。日活では石原裕次郎の出演作を撮影中、スタッフのミスで小さなトラブルがあった。裕次郎がスタッフにいい顔を見せようとしてか、失敗の責任をコニカラーカメラに押しつけて「こんなカメラはやめちまえ」の鶴の一声でオクラ入りしてしまったという。『殺しの烙印』(67)など日活で鈴木清順監督とコンビを組み、のちに鈴木監督『ツィゴイネルワイゼン』(80)なども撮影した永塚一栄カメラマンは「いいカメラだったのになぁ」と、しつこく裕次郎を恨んでいた。長谷部安春監督も「永塚さんが、あのカメラを好きでねぇ。重いから大勢で担いで運んで、撮影は大騒ぎだった。おみこしカメラって呼んでたんだもの」と、笑いながら懐かしがっていた。

 コニカラープリントは可燃性のセルロイドベースだったため、ほとんど廃棄された。現存するプリントは『可愛い魚屋さん』を含む12ロール、ネガは『緑はるかに』1本分、40ロールのみ。

コニカラーカメラは9台のうち8台が現存。主に映画関連の企業が所蔵しているが、初めに紹介したコニカプラザ(入場無料)のほか、ペンタックスカメラ博物館(日本最初のカメラ博物館。栃木県益子工場内。平日のみ。無料)と東映太秦映画村文化館(京都。無休。有料)でも展示しているはずなので、お近くの方はぜひ一度、見学に行ってみてください。


『陽炎座』(81)撮影中の鈴木清順監督(左)と永塚一栄カメラマン。鈴木監督の父親に近い世代だが、いたってお元気でした。撮影作品には鈴木監督『春婦伝』(65)、長谷部安春監督『俺にさわると危いぜ』(66)などの傑作がある。
(撮影:藤田真男)



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