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指定第4号
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「広瀬正の遺稿『テイクワン』+東洋キネマ」
指定第8号+第10号
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「山田守のSF未来都市/長沢浄水場」
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「山田守のSF未来都市/東京中央電信局と聖橋」
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山田守のSF未来都市/東京逓信病院」
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「伊豆めぐり/『有りがたうさん』の乗合バス」」
指定第19号
「伊豆めぐり/しいのみ学園、五所亭、蜂の巣」
指定第20号
「小松崎茂のピクトリアル・スケッチ」
指定第21号
「小松崎茂の空想兵器」
指定第22号
「火星の土地権利書」

2003.8.8 UPDATE


指定第23号 宇宙人・土屋嘉男



ソウソウたる面々が来ていた
空飛ぶ円盤観測会

 土屋嘉男のエッセイ集「思い出株式会社」には、マルセル・パニョルの自伝を映画化した「プロヴァンス物語」2部作『マルセルの夏』('90)『マルセルのお城』('91)を思わせる少年時代の天国の日々と、彼が体験した不思議な出来事の数々が綴られている。その体験がきっかけとなって宇宙やSFに興味を持ち、宇宙人を演じるまでに至ったのだろうか。とにかく彼は、ただSFが好きなだけのフツウの人ではない。

 1936年、小学3年の土屋少年は山梨県塩山の自宅上空を静かに飛行する物体を見て、母にも見せた。銀色のハシゴ状のものに卵型の物体がついていた。のちに南山宏(「SFマガジン」元編集長)に話したら、彼の友人も同じころに同じような物体を見たという。

 太平洋戦争中の1942年、塩山から近い大菩薩峠へ登ったとき、甲府盆地上空を飛び回る帽子のような形の物体を見た。それは富士山中腹から現れて甲府上空へ、さらに土屋少年の眼下まで飛んできてピタリと停止し、富士川本流へ飛んでから、またこっちへ来たかと思うら鋭角反転して笹子峠を東京方面へ猛スピードで飛び去った。翌日、学校へ行くと「昼間のヒトダマが出た」と騒いでいたが、土屋少年はアメリカの新兵器だと思った。

 1947年、アメリカで「空飛ぶ円盤」という名称が生まれた。数年後、ジョージ・アダムスキーの本を読んだ土屋さんが、大菩薩峠で見たのと同じような円盤が出てきたので手がふるえるほど驚いた。土屋さんは今ではアダムスキーを信じていないというが、当時は多くの日本人が衝撃を受け、空飛ぶ円盤ブームが起こった。

 空飛ぶ円盤にいち早く注目してSF絵物語「地球SOS」を書き始めた小松崎茂は、連載第19回(「少年画報」1950年4月号)の誌上に、円盤の実在を確信するメッセージを掲げた。そこに添えられた毎日新聞の切り抜きには「生きていた空飛ぶ円場 身長一メートル弱の乗員」という見出しがある。円盤の追撃事件が飛行機事故と同じような記事になっているところが、時代を感じさせて面白い。当時の日本人は、それほど円盤にマジメな興味を覚えていた。SF小説「美しい星」を書いた三島由紀夫もそのひとりだった。その三島と松竹蒲田出身の脚本家・北村小松(第8回を参照)が円盤仲間であり、北村の追悼文を三島が書いた、という意外な事実を田中真澄著「小津安二郎のほうへ」(2002・みすず書房)で初めて知って、僕も三島全集をめくってみた。

 「あらゆる空中現象に関心を持つ北村氏は、もちろん円盤にも深い興味を寄せていたが、まだ一度もわが目で見たことがないのを残念がり、同じ思いの私と、嘆きを分かつことになった。ついに二人とも、どうしても円盤を見たいとう熱情にかられ、某協会の円盤出現予告(!)にある時刻を信じて、夏の宵々、わが家の屋上へのぼって、氏が東の空を受持てば、私は西の空を受持ち、熱い希望にあふれた虚しい時を幾度かすごした。(中略)氏も、こういう、仕事を抜きにした風流人の付合いを喜んでおられたようで、私ばかりでなく、氏は最後まで、空に興味を持つ青年たちの友であった。私は今、いい小父さんを亡くした悲しみでいっぱいだ」(1964・朝日新聞)

 田中真澄による北村小松は「飛行機マニアとして知られ、模型飛行機作りでは日本の草分けの一人、わが国航空小説ジャンルの開拓者でもある」というから、ナルホド、円盤に興味を持つのも当然だ。彼の脚本作品『マダムと女房』('31)のラストに飛行機が飛んできたのも、そういうわけだったのか。北村の航空小説の映画化『燃ゆる大空』('40)の特撮を担当したのは、同じく飛行機マニアの円谷英二だった。

 土屋さんも三島由紀夫と公私にわたる交際があったが、初対面はビルの屋上で開かれた空飛ぶ円盤観測会で、そこには「あとで思うとソウソウたる面々が来てた」という。『地球最大の決戦』('64)に出てくる円盤観測会は今見ると冗談みたいだが、現実にもあったのだ。劇中には宇宙怪獣キングギドラの飛来と地球の危機を予言して狂人扱いされる自称金星人の美女も登場するが、これは2年前に三島が書いた「美しい星」にヒントを得たものか。脚本の関沢新一は家中に鉄道模型を走らせたりしていた趣味人だから、あるいは彼も円盤観測会のメンバーだったのかもしれない。彼や土屋さんや円谷や小松崎ら、世間から見れば子供っぽい趣味人や風流人が集まって作ったのが当方のSF映画だったのだ。

画面左端は大菩薩嶺(2057m)から大菩薩峠へ下る尾根道。画面右上が富士山、尾根の右側が甲府盆地、左側が奥多摩・東京方面にあたる。この長居尾根道の南端に旧甲州街道の笹子峠と中央本線の笹子トンネルがある。戦時中、土屋さんはこの雄大なパノラマのなかを飛び回る空飛ぶ円盤を目撃したのだ。ちなみに、大菩薩峠を甲府側へ下ったところに今も残る山荘で、中里介山が大河小説「大菩薩峠」を執筆した。土屋さんが円盤を見たときも、介山はそこにいたのだろうか。介山は戦時中も文学報国会への加入を拒否した数少ない作家のひとりだったが、戦争末期に死去。大菩薩峠には彼の文学碑が建つ。



 
「光もの」観測法
5つの実例

 土屋さんは親戚の子供たちなどから「UFO、見せて!」とせがまれてしょうがないという。「俺のもんじゃないからな」と苦笑しつつも、何か予感がして「光もん、出るよ、光もん!」と待っていると、これが出たりするから子供たちも大喜び。土屋さんはUFOを「光もの」と呼ぶ。静かに風流を愛でるのが正しい観測法らしい。以下は実例。

1 僕が土屋邸を訪ねる1ヵ月前の1981年正月、「今年もUFOちゃん、出てくんないかなァ、なんて思ってたらさ」、グレーのヘルメット型のUFO4機編隊が出現。自衛隊機が現れて追跡したが、UFOはパッと消えていなくなった。こういうのを自宅にいながら見られるのだから、うらやましい。

2 これも自宅の窓から目撃。夜空の雲が緞帖みたいにゆっくり割れて、金色に輝く茶封筒型の巨大UFOが姿を現した。そういうときは「けっこうなものを見せていただきまして」と拍手でも打ちたいような気分になるそうだ。まさ、そんな、『未知との遭遇』('77)じゃあるまいし。しかも東京郊外の住宅街で。と疑う人もいるだろうが、とても作り話とは思えない。ちなみに土屋さんの見たところ『未知との遭遇』のスピルバーグはUFOを目撃したことはないだろう、とのこと。事実、スピルバーグは子供のころに遠足を休み、遠足に出かけた友だちがみんなUFOを見たので悔しがったという。

3 ある夜、小さな光が土屋さんのクルマを追跡し、屋根をかすめて飛び去った。帰宅後に撮影した屋根の写真も見せてもらったが、こげ跡みたいな筋がくっきりと映っている。この種の小型UFOは『未知との遭遇』にも出てきたが、英国のミステリー・サークル周辺でも頻繁に目撃され、ビデオとDVDが発売された長編記録映画『サークル』('02)に、その映像が収録されている。白昼堂々、サークルの見物人のすぐそばを「光もの」がゆうゆうと横切っている様は、ウソみたいな光景だ。

4 平野威馬雄が主催する「お化けを守る会」に出席したとき、庭先を光る球体がフwフワと飛んでいった。参加者には多くの著名人がいたが、ヒトダマ派とUFO派に分かれて大騒ぎ。土屋さんは、あわてず騒がず、これが何であるかは分からないけれど、未確認飛行物体なのだからユー・エフ・オーには違いないと思うわけである。平野威馬雄はUFO研究家でもあり、土屋さんが大菩薩峠での目撃話をしたら、「UFOを上から見たってのは、いいなァ」としきりにうらやましがったそうだ。平野威馬雄は混血児救済のために「レミの会」も主宰していた。彼の娘の平野レミ、つまり和田誠夫人が、父方の祖父ヘンリイ・P・ブイ(日米協会初代会長)のお墓参りにアメリカへ行ったときのこと。ヘンリイの没後、彼の屋敷に住んだのがロスチャイルドだったというから、お墓もホワイトハウスの小型版みたいに霊廟だ。そのお墓参りのときに大きなUFOを目撃したとかいう話を30年ぐらい前の雑誌に書いていた。レミちゃんや土屋さんみたいな浮世ばなれした人にはUFOを見る天性の才能が備わっているのだろうか。

 と箇条書きにすると警察調書みたいで、面白みもリアリティもなくなってしまうのは残念だが、それにしても土屋さんの行く先々でこうも不思議な現象が起こるというのが、なにより不思議だ。彼自身は「ときに言うんですよ、横尾忠則さんが“あなた、宇宙人でしょ”って。僕も“うん、実は宇宙人なんだよ、誰にも言わないで”って」と、楽しげに微笑むばかり。地球侵略に失敗し、「まだ見ぬ未来へ」脱出しようとして円盤ごと自爆した『怪獣大戦争』('65)のX星人が、実は脱出に成功して、僕の目の前で微笑んでいるようにも思えるのだった。

 キャリア70年近いUFOウォッチャー、こんな人は日本映画界はもちろん世界的にもきわめて珍しい。というわけで今回は特別に無形文化財として土屋嘉男その人を日本映画遺産に指定する次第。土屋さんが「おじいさんだったけど、夢見る青年だった」という円谷英二が宇宙ロケット型モニュメントの下で眠っているのなら、大親友だった土屋さんのお墓には空飛ぶ円盤のモニュメントがふさわしい。もし、その円盤が出現した暁には、円谷のロケットとともに改めて有形文化財に指定しよう。それは趣味や風流を楽しみながら映画を作る人々がいた、信じられないほど幸福な時代の記念碑となるだろう。

 土屋さんはUFOを見そうな人も、なんとなく分かるという。「あなたは、いつか見ますよ。いつとは言えないけど、誰にでも言ってるわけじゃないんだから」と彼は僕に請け合ってくれた。その数年後のある夜、薄い雲のなかをフワフワと不規則に動き回る満月ぐらいの光を複数、目撃した。土屋さんに電話したら「うん、それはきっとUFOだよ」と励ましてくれたのだが、僕は半信半疑だった。そのまた、数年後、フィリピンのピナツボ火山が大噴火した年。火山灰の影響による異様に美しい夕焼けを撮影して、あとでプリントしたらピンクの夕焼け空に5つの白い光が横一直線に並んでいた。飛行機ではない。ピントと露出を決めながらファインダーをじっくり覗いているときには、そんなものは見えなかった。ゴミでもない。うーん、やっぱり土屋さんの予言は当たったのか?


これは1979年ごろの「月刊OUT」(みのり書房)の表紙なのだが、残念ながら雑誌そのものは紛失して白黒の複写写真しか残っていない。表紙イラストは小松崎茂が新たに描きおろした『地球防衛軍』の名場面。ヘルメットをかぶった宇宙人ミステリアンを演じたのは土屋嘉男。

第20回でお見せしたかった『サンダ対ガイラ』のメーサー光線車の写真(1982年撮影)を発掘したので遅まきながら紹介。僕の記憶以上に巨大なミニチュアモデルで、うしろの机と比べると大きさが分かる。しかも記憶以上にボロボロの残骸だから、すでに廃棄されたかも。余談だが、タイムスリップグリコに便乗したバンダイの駄菓子に、メーサー光線車を含む東宝の空想化学兵器がオマケとして付いている。小松茂がデザインした『モスラ』の原子熱線砲と『怪獣大戦争』のX星人の円盤、『ゴジラ』のオキシジェン・デストロイヤーまである。グリコと違って中身が表示されているので安心。


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