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「山田守のSF未来都市/長沢浄水場」
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山田守のSF未来都市/東京逓信病院」
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「伊豆めぐり/狩野川、山城、大仁ホテル」
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「伊豆めぐり/『有りがたうさん』の乗合バス」」
指定第19号
「伊豆めぐり/しいのみ学園、五所亭、蜂の巣」
指定第20号
「小松崎茂のピクトリアル・スケッチ」
指定第21号
「小松崎茂の空想兵器」

2003.8.1 UPDATE


指定第22号 火星の土地権利書



土屋嘉男のアドリブ“火星の土地”と
火星権利書騒動

 小松崎茂がデザインした『地球防衛軍』('57)のドーム基地の中で着々と地球侵略計画を進める宇宙人を演じたのは土屋嘉男だった。山梨県塩山の笛吹川のほとりの旧家で生まれ、天真爛漫、自由奔放に育った土屋少年は、しばしば甲州に釣りに来ていた井伏鱒二(ただの釣り好きのオジサンと思っていた)と出会い、その縁で太宰治とも知り合い、太宰にすすめられて俳優を志願。演劇のことなど何も知らなかったが、友人から知恵をつけられて覚えたスタニスラフスキーの名を間違えて「スタコラサッサの本を少々」などと俳優座の面接試験で答えたらバカウケして、なぜか合格。黒沢明監督の家に居候しながらデビュー作『七人の侍』('54)に出演、東宝では本多猪四郎監督『ゴジラ』('54)も製作中だった。土屋嘉男は本多のセットを勝手にのぞいたりしてSF映画への期待を高め、やがて東宝SF映画の常連俳優のひとりとなった。

 どうもヘンな人らしいから面白そうだと思って土屋嘉男の家を訪ねたのは、小松崎茂に会った翌年の1981年のこと。『地球防衛軍』のドーム基地のデザイン画の複写写真を彼に見せると「そうだよ、俺はこの中にいたんだよ!」と嬉しそうに笑う。彼も小松崎画伯に負けない無類の話し好きで、税金の申告の打ち合せに来ていたマネージャーをほったらかして「地球のことなんか、どうでもいいんだよ。宇宙へ帰るときが来たらこの家も何もかもくれてやるよ」と、まったく疲れをしらずにしゃべり続け、ゆうに単行本一冊分ぐらいの話を聞かせてもらった。別れぎわにサインを求めたら「宇宙の友より」と書いてくれた遠来の友を呼び捨てにもできないので、以後土屋さんと書かせてもらう。

 東宝が初の宇宙SF映画『地球防衛軍』を作ると聞いた土屋さんは、早速、本多監督に宇宙人をやらせてほしいと申し入れた。「っえ!?だって、顔も分かんないんだよ。誰がやってるか分かんないよ。それでもいいの? 本当にいいの?」と、本多監督は土屋さんの酔狂な申し出に驚いた。「いや、そんなことは何でもいい。とにかく俺は宇宙人がやりたい、と。そしたら本多さん、感激してね、すごい喜んでくれた。俺も嬉しかったね」

 こうして土屋さんは日本映画ではたぶん初めて、世界でもまだ数少なかったであろう、宇宙からの侵略者を演じる俳優になった(それ以前にも『宇宙人東京に現れる』の善良な着ぐるみ宇宙人などはいたが)。火星から飛来した放浪の宇宙人ミステリアンが富士山麓の地下にひそかに建設中のドーム基地が姿を現し、日本人科学者たちをドームのなかに招き入れる。土屋さん扮するミステリアンの「統領」は、フルフェイスのへルメットのなかから無表情な声で地球へ飛来した理由を告げる。

 「あなたがたもすでに人工衛星を打ち上げて月や火星へ行く準備をしているではありませんか。しかも勝手に火星の土地を売りさばいたりしている人々すらいる。別に野心はありません」と言って半径3qの土地を要求する。が、侵略の意図はミエミエなので、地球防衛軍が総力をあげてドーム攻撃を開始する。その防衛会議の資料として画面に登場する絵は、小松崎茂が描いたメカ・デザイン画やピクトリアル・スケッチの一部である。これは前々回に書き忘れたので補足しておく。

 この「火星の土地」云々というセリフは土屋さんのアドリブで、実は宇宙人のジョークだったのだ。当時の観客はみんなこのジョークを理解して「映画館でドッときたね」と、地球人にまぎれて映画館を偵察してきた土屋さんは言う。このジョークを説明すると、まず戦前のドイツに宇宙旅行協会という民間団体があって、戦後、日本にも同じものができた。土屋さんは早速、入会した。

 「最初の会員でして、徳川夢声さんも入ってましたね。その趣旨は─―笑わないでくださいよ─―将来、宇宙旅行ができるようになったら、優先的に会員を乗せるって書いてあった(笑)。そう、ソ連が人工衛星を打ち上げる前です。それで大親友だった円谷英二さんも会員にした。そして本多さん、プロデューサーの田中友幸さんを入れて、あげくの果て東宝の重役だった森岩雄さんまで入れちゃって」

 1952年、日本宇宙旅行協会理事長・原田三夫(東大理学部を出て戦前は科学雑誌の編集に携わった。彼の息子が漫画『ロボット三等兵』の作者・前谷惟光)とSF画家・小松崎茂が『少年クラブ』誌上で対談した。しばらくして日本宇宙旅行協会から火星の土地権利書が発売された。

 「これは人々の関心を宇宙へ向けるために、“洒落”として売り出されたものだったが、(中略)総理になるずっと前の中曽根康弘や中村メイコ……そのほか多くの有名人が火星の地主になった。茂もかなりの土地を購入? した。(中略)権利書には、火星に移住したあとの火星人たる心構えが記されてあった。科学尊重、芸術愛好、寛大、無欲、友愛、そして男女を超越して平和を守ること─―とあった」(根本圭助著『異能の画家 小松崎茂』 1993・光人社)

 日本宇宙旅行協会東宝支部(仮称)の面々も、こぞって火星の土地を購入した。が、東宝支部長ともいうべき古参会員の土屋さんは買わなかった。「宇宙人はいると思ってるもんだから、宇宙人の土地を勝手に売買することはよくないと言って、頑として買わなかった。もちろん、シャレでやってるわけですから、俺もシャレで答えてるわけですよ」。そして『地球防衛軍』で宇宙人を演じたときも、シャレでアドリブを入れてみたというわけだ。ちなみにソ連が人工衛星を打ち上げたのは1957年10月で、その2ヵ月後に『地球防衛軍』が公開された。

土屋嘉男と愛用のフラメンコ・ギター(1981年撮影)
「よほどのヒマ人でないとマスターできない」インドのシタールなど、いろいろな楽器を弾く。フラメンコ・ギターはスペイン放浪中にジプシーの盗賊一家の家に居候してマスターした。その激しい音を初めて聞かせてもらって僕はびっくりした。土屋さんはスペインを愛した怪優・天本英世とも仲良しだった。彼のうしろに並んでいるのは趣味のスキーや釣りの道具。登山やモトクロスも趣味。登山は若いころから大好きで、山に茶碗を埋めてきて、再び登ったときに掘り出してお茶を飲むという不思議な習性の持ち主でもある。



 
宇宙人を嬉々として演じる
ノオテンキ土屋嘉男

 『宇宙大戦争』(59)では土屋さんは月面の宇宙人の秘密基地を攻撃する隊員のひとりを演じた。このときは「重力が違うんだから、全員がスローモーションのようにやらないとおかしい、と言い張って」そのように演じた。「アポロが月へ行ったらそのとおりだったじゃないですか。そういうことは嬉しいですよォ」と土屋さんは言うのだが、主演の池部良のエッセイによると彼や科学者役の千田是也は「何が悲しくて、こんな映画に出なきゃならんのかね」という感じらしいから、土屋さんを見て「こいつ、何を張り切ってんだ」と思っていたことだろう。

 その後、土屋さんは『怪獣大戦争』(65)で再び宇宙からの侵略者を演じた。これまた張り切って、自ら宇宙語まで考案。意味不明なX星人語のなかの「クァックス!」という単語は芥川龍之介『河童』の河童語を流用した。「そういうのはマジメにやりましたよ。本多さんだって、すごいマジメに撮ってたもの。だから俺、本多さんていい人だなあと思って。まだまだSFがバカにされるころだったな」

 いくらバカにされても土屋さんは浮世ばなれした遊びにマジメに取り組んできた。宇宙や未知の現象への興味も遊びのひとつだ。大マジメでツチノコを探し、罠までしかけたこともある。「仕事は嫌いだねェ。田舎の甲州じゃ、俺みたいな人間のことをノオテンキって言うんですよ」。土屋さんと同じ中学を出た友人・深沢七郎の小説『笛吹川』によると「ノオテンキということは馬鹿ということではなく向こう見ずという意味」だそうだ。

 井伏鱒二も太宰治も俳優座の試験官も黒沢明も本多猪四郎も、誰もが浮世ばなれした土屋さんのノオテンキな魅力に自然に感化されてしまう。若き円谷英二は飛行学校に入学したものの、肝心の飛行機がなくて飛行機乗りにはなれなかった。特撮監督となってからも彼は大空への夢と憧れを捨てず、彼の墓石の横には宇宙ロケットを模したモニュメントまで建てられた。そんな円谷をある日、土屋さんがサイドカーに乗せてあげた。ちゃんと飛行帽とゴーグルも用意した。円谷はホンモノの複葉機に乗っているように大喜びしたという。いい年した大人ふたりが、まるで子供のようにはしゃいでいる姿を想像してほしい。土屋さんには、いい年した大人を子供に返してしまうような不思議な才能があるのだ。そうでなければ、東宝のお偉方まで宇宙旅行協会に入ったりはしないはずだ。土屋さんの遊びごころによって、東宝のSF映画がどれだけ楽しく豊かなものになったか知れない。

 目には見えないが土屋さんの偉大な業績の象徴として、日本宇宙旅行協会東宝支部(仮称)の火星の土地権利書を日本映画遺産に指定したい。権利書を買わなかった土屋さんはもちろん持ってないし、小松崎茂が持っていたのは火事で焼失したはずだから、残るは岡本喜八監督である。何年か前、二度目に会ったときに権利書のことを聞いてみたら「まだ金庫のなかにあるんじゃないかな」とのことだった。岡本監督が亡くなったあと、夫人や娘さんたちが「こんなものを後生大事に金庫に入れて。子供っぽい人だったからねェ」などと笑いながらごみ箱に捨てたりしないよう切に願うものである。(この項つづく)

『思い出株式会社』(1993・清水書院)
 土屋嘉男が少年時代の思い出を綴ったエッセイ集。そのあとがきで70歳に近い彼は「今でも僕は『大きくなったら、何になろう』などと思うことがある」と書いている。うらやましい人だ。彼の最新エッセイ集『魚はゆらゆらと空を見る 釣りバカ放浪記』(2002・新潮社)も、釣りなんか興味ないという人が読んでもムチャクチャに面白い。土屋嘉男の『クロサワさーん!』(1999・新潮社)しか読んでない人は、ぜひ他の2冊も読んでほしい。黒沢明や我々のように、およそ凡庸な人生を歩んできた人間なら誰でも、土屋さんの浮世ばなれした生き方とバカ話にたちまち魅了されてしまうはずだ。

大地主の岡本喜八監督(1981年撮影)
 「監督になった次の年、昭和34年10月15日には、かなり馬鹿でかい買い物をしている。未だに一金一千円也の領収書と土地権利書が後生大事にしまい込んであるのだが、この土地、なんと火星のソリス・ラクス(太陽の湖)地方の東地区というところに十万坪てんだから、『よっしゃよっしゃ』の元総理もメではない大地主である」(岡本喜八著『ただただ右往左往』1983・晶文社)。その権利書は金庫に入れたままらしいので、岡本監督は今も火星の大地主なのである。


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