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2003.5.26 UPDATE


指定第21号 小松崎茂の空想兵器



田宮(現タミヤ)は“日本一のイラストレーターに”
プラモデルの箱絵を依頼

 沢島忠(正継)監督の傑作『森の石松鬼より恐い』(60)で、現代の東京からオズの国ならぬ江戸時代の静岡へとタイムスリップして森の石松に変身した中村錦之助(萬屋錦之助)は、さっぱりわけが分からず「まるで空想小説だ」とつぶやきながら首をひねるのであった。そのころSFは「空想科学」などと呼ばれていた。

 僕の世代の心に「空想科学」の種をまき、育んでくれたのは、なんといっても小松崎茂の絵であった。1950年代後半、すでに絵物語のブームは去りつつあったが、それにかわって小松崎が雑誌などに描き始めた表紙絵やカラー口絵を見ては胸をときめかせていた。僕が生まれて初めて自分で買った本は、当時、子供たちの間で大反響を呼んだ『少年少女世界冒険科学全集』(講談社)の1冊だった。全巻、小松崎が表紙絵と口絵を描いていた。本屋の棚の下で爪先立ちしながら1冊ずつ手にとっては、あれこれとさんざん迷った末に『土星の宇宙船』という翻訳ものを選んだ。西部の砂漠にそそり立つ岩山の頂にかかった雲のなかに、巨大な空飛ぶ円盤が浮かんでいるという『未知との遭遇』(77)みたいな表紙絵に心ひかれたのだろう。

 東宝のSF映画を初めて見たのは『宇宙大戦争』(59)だったと思う。小学校の上級生たちにくっついて町まで往復2時間ほどかけて歩いて見にいった。『地球防衛軍』(57)のときは、まだ小さかったので連れていってもらえず悔しい思いをした。映画の帰り、節約したバス代で20円か30円のプラモデルを買うのが楽しみだった。グリコのオマケぐらいのジェット機のプラモデルは部品が4つしかなくて、そのチャチな出来ばえにがっかりした。日本のプラモデルは外国に大きく遅れをとっていた。やがてプラモデルの世界でも小松崎茂の箱絵が子供たちの夢をかきたて、日本のプラモデル産業も飛躍的に成長していくのだが、小松崎とプラモデルの関わりについては田宮俊作著『田宮模型の仕事』(2000・文春文庫)や平野克己編『プラモ・ボックスアートの世界 小松崎茂と昭和の絵師たち』(2000・立風書房)などを読んでほしい。

『宇宙大戦争』には本の口絵でしか見たことのない空想兵器やSFメカが立体化されて大スクリーンを飛び回っていた。『地球防衛軍』のセットや小道具にようやくプラスチックが使われ始めたばかりのころで、今見ればどうということもないが、半透明の機体から光を発する空飛ぶ円盤など、当時はもう夢のような空想科学の実現であった。20円の国産プラモデルとは違う。自分では買うことも作ることもできないホンモノであった。映画を見たあとしばらくの間、僕は小松崎茂がデザインした宇宙ステーションやロケット戦闘機や空飛ぶ円盤の絵をノートに描いてばかりいた。

テレビランド増刊 サンダーバード』(1980・徳間書店)
 特撮人形劇『サンダーバード』(64)のプラモデルの箱絵の原画と小松崎茂が新たに描きおろした名場面を集めた画集。表紙絵は国際救助隊のメカのひとつ、ジェットモグラ。これに似た地底戦車を小松崎は敗戦直後の『地球SOS』ですでに描いていた。小松崎の箱絵で『サンダーバード』のプラモデルを大ヒットさせたイマイ(旧今井科学)は2002年2月、小松崎の死の直後に倒産した。田宮などのプラモデル・メーカーは箱絵を依頼した小松崎を「日本一のイラストレーター」として遇し、東宝などよりはるかに高額の正当な画料を支払っていた。おかげで田宮(現タミヤ)は世界一の模型メーカーとなり、今でも小松崎への恩を忘れていない。



 
「『スター・ウォーズ』? 見てない。
俺の考えたとおりになっているもの」

 前回の作品リストを見れば分かると思うが、小松崎茂が関わった映画は『宇宙大怪獣ドゴラ』(64)を除いて、いずれも東宝特撮映画史上に残る傑作ぞろいだ。いかに小松崎の力が大きかったか、その功績はもっともっと評価されてもいい。スケッチやデザインだけでも劇映画の美術監督やアニメーションのレイアウトに匹敵する重要な仕事だが、そもそも『地球防衛軍』や『宇宙大戦争』以前に、すでに小松崎は同じようなSF絵物語を描いていたのだから、映画そのものも小松崎に負うところが大きいと思う。押川春浪原作『海底軍艦』(63)も、映画化されるずっと前にすでに小松崎が絵物語を描いていた。

 小松崎茂が太平洋戦争末期に描いた「空中戦車」という空想兵器は現代の攻撃ヘリにそっくりで、これが半世紀以上も前に描かれた絵だとは、にわかには信じがたいほどだ。H・G・ウェルズ原作の英国製SF映画『来るべき世界』(36)に登場するヘリコプターは今見ても未来的な、ルイジ・コラーニ風の斬新なデザインに驚かされるが、小松崎が描いた攻撃ヘリへのリアリティにはもっと驚かされる。当時のヘリコプター(オートジャイロ)はオモチャみたいなものしかなかったのだから。

 著名な天体画家チェスリー・ボーンステルはジョージ・パル製作『月世界征服』(50)のセットのためにギザギザの月の山を描き、地面には細かいひび割れを描いた。遠景になるほどギザギザやひび割れが小さくなっていた。パースペクティブを誇張して狭いセットを広く見せるための工夫だったのだろうが、現実の月世界の風景とはかけ離れていた。小松崎茂はボーンステルとは違う月世界を想像していたという。彼が『宇宙大戦争』のために描いた月世界の絵は、もっと現実に近いリアルなものだったが、その絵は没にされて結局、ギザギザの山に修正されてしまった。

「『スター・ウォーズ』? 見てない。どうして見ないかっていうと、俺の考えてたとおりになってるもの。SF映画としては『2001年宇宙の旅』、あれが一番じゃないかな。円谷先生が生きておられたころはね、東宝さんもいいのを作りましたよ」という小松崎茂の 言葉はウヌボレでもなんでもない。例えば彼が『地球防衛軍』のためにデザインした宇宙人のドーム基地は『スター・ウォーズ』(77)の要塞デス・スターとそっくりだ。映画では上半分のドームだけが地中から現れたが、もとのデザイン画ではデス・スターと同じ球体の要塞都市にして巨大な宇宙船だったのだ。

 そのドーム基地総攻撃に投入されたのが、ハロゲン・ヒーターの親玉みたいな巨大パラボラ・アンテナ型の熱戦砲で、以後、この空想兵器は東宝SFの定番となった。そのスタイルを最も洗練させたのが『フランケンシュタインの怪獣・サンダ対ガイラ』(66)に登場した東宝自衛隊の新兵器・メーサー光線車である。これはたぶん『モスラ』(61)でモスラの繭を攻撃した原始熱線砲(小松崎茂デザイン)の改良型だろうから、もともとは小松崎が発明したようなものだ。

根本圭助編『小松崎茂の世界 ロマンとの遭遇』(1990・国書刊行会)
 小松崎茂の画集の決定版。戦前の東京のスケッチ、戦時中に描いた空想兵器、戦後の絵物語、少年雑誌の口絵、SF小説の表紙絵、プラモデルの箱絵、映画『海底軍艦』のメカ・デザイン画などとともに、小松崎ファンからのメッセージも収録。松本零士は「聖書のような重みを持った」集大成だと、感激の言葉を寄せている。彼の他にも数多くの漫画家や、子供のころに柏市の小松崎邸を羨望の目で眺めていたという高木ブーらもメッセージを寄せていてファン層の厚さを証明。



 
自宅全焼とともに消えた
小松崎茂完全自作の模型

 小松崎邸を訪ねた少しあとだと思うが、数多くの東宝特撮映画を手がけた本多猪四郎監督をゲストに迎えた特撮大会というイベントが開催された。その会場のロビーになんと、メーサー光線車のホンモノのミニチュアモデルが展示されていた。けっこうデカイ。ほこりまみれになりながら、よくぞ残っていたものだ。その隣には円錐形の大きな金属のカタマリが横たわっていた。こちらはなんと、『海底軍艦』の万能潜水艦・轟天号の先端のドリルなのだ。これまたよくぞ残っていたもんだと感心したが、円谷英二の遺産だから大切に保存しようなどという殊勝な考えからではなさそうだ。このドリルは軽合金のカタマリを削り出して作った立派なものなので、捨てるのももったいない、また何かに使えるかもしれない、と思って倉庫に転がしておいたのだろう。いかにもケチな東宝の考えそうなことだ。それにしてもドリルだけ残しておくとは、その中途半端にケチな根性がよけい歯がゆい。もし完全な形で轟天号が残っていたなら(最大のモデルは全長5m近くあったそうだ)、円谷英二と小松崎茂の遺産として、これほどふさわしいものはないだろう。

 イベントのスタッフだった知人は、東宝の倉庫の床に落ちていたキングギドラのウロコを1枚だけ無断でいただいてきた、と言ってその宝物のウロコを見せてくれた。彼は保管状態の悪さを嘆きながら倉庫内の写真も見せてくれたが、天井から吊るされ、哀れにも朽ち果てつつあるキングギドラは、日本の漁船の網にかかったニューネッシーの腐乱死体さながらであった。轟天号のドリルとメーサー光線車も朽ち果ててしまう前に小松崎茂ゆかりの昭和ロマン館(前回参照)へ寄贈すべきである。そのドリルとメーサー光線車の写真がわが家にあるはずなのだが、いくら探しても見つからないので、今回お見せすることができないのは残念。どこに埋もれているのやら。これでは東宝のことは言えない。

 そのかわりに珍しい写真をお見せしたい。小松崎茂邸の玄関脇のショーケースのなかに帆船や軍艦や飛行機の模型がずらりと並んでいた。軍艦のいくつかは昔の木製ソリッドモデルかと思ったが、のちに根本圭助編『小松崎茂@ 帝国連合艦隊』(99・ワールドフォトプレス)を読んで、その軍艦の正体がわかった。小松崎は眠る間もないほど多忙な仕事の合間にも、外国タバコのカートンを使って大好きな軍艦の模型を自作していた。「プラモデルが、まだ発売されない頃の話で、プラモデルより、もっと精密な艦を作っていた。専用の大きなガラスのケースに並べて飾られていたが、これも自宅が全焼した際、消失してしまった」という。

 23年前に僕が見た模型の一部が手作りの紙の軍艦だったらしい。なにしろ小松崎茂が完全自作した、世界にひとつしかない模型だったのだ。そうと知っていれば、ぜひオミヤゲにもらっておくんだった。気前のいい画伯のことだから、ひとつぐらいはくれたかもしれない。そうすれば、ひとつでも火災から救うことができたのに、と悔やまれる。その写真だけでも、今では貴重な遺産なのかもしれない。

小松崎茂の模型コレクション(1980年撮影)
 この写真の白っぽい船の模型が、画伯が自作した紙の軍艦だと思う。絵と同様、模型の出来ばえも見事なものだった。これらの模型も、ライカなどのカメラのコレクションも、壁にかかっていた油絵も、1995年の火災ですべて消失した。「あくまでも画家が本業。ゴロゴダの丘をテーマにした絵を死ぬまでに描くつもりでね、キャンバスだけはもう買ってあるんだよ」と言って画伯が見せてくれた何枚もの大きなキャンバスも、そのまま灰になってしまったのだろうか。



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