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2002.7.5 UPDATE
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日本のモダニズム建築史に名を残す 建築家・山田守が設計した長沢浄水場 |
ニューヨークの世界貿易センタービルの爆発、崩壊をテレビ中継で見ながら僕は、ああ『宇宙快速船』(61)の特撮とそっくりだ、と感嘆した。それほど『宇宙快速船』のビル崩壊シーンはリアルなのだ。いや、ホンモノ以上だ。世界に誇れる特撮技術だと思う。特に有楽町そごう(現ビックカメラ)や丸の内オフィス街の崩壊シーンは、実写とミニチュアの区別がまったくつかないほど見事な合成だ。この優れた技術を活用した特撮映画をどうして東映はもっと作らなかったのかと惜しまれてならない。
『宇宙快速船』の合成は、もしかしたらコニカラーカメラ(第2回参照)を白黒の特撮用に改造したカメラで撮影したものではなかろうか。ついでに訂正しておくと、コニカラーカメラが『スーパージャイアンツ』第8部(59)に使われたと書いたけど、第7部以前の白黒作品に特撮用改造カメラが使われていたのかもしれない。コニカラーカメラについては近年、日大芸術学部が研究報告を出版したが、市販はされていないようなので詳細は未確認。さらについでに補足すると、大映ビスタビジョンカメラ(第1回参照)は70ミリカメラに改造されて『釈迦』(61)の撮影に使われたそうだ。
太田浩児監督のニュー東映映画『宇宙快速船』はH・G・ウェルズ原作、ジョージ・パル製作の傑作『宇宙戦争』(53)を、変身ヒーローものに仕立て直したお子様向けSFだ。お話は他愛ないものだし、ヒーローに変身した若き科学者・千葉真一が操縦して宇宙人の円盤と戦う空飛ぶスーパーカーもハリボテ然としている。それでも、この映画のミニチュア・ワークと合成技術は今見ても驚くべきものだし、特撮ファンからは高く評価されている。特撮のクレジットはないが、のちに『宇宙からのメッセージ』(78)を手がけた矢島信男の仕事だそうだ。特撮とともに僕が驚いたのは、映画の主な舞台となる宇宙研究所の建物だった。
ゴルフコースのように松や雑木の疎林がどこまでも続くなだらかな丘陵に、ぽつんと超モダンなビルが建ち、広い芝生の庭にオブジェのような噴水が点在している。こんな日本ばなれした施設が一体、どこにあったのか。いろいろ調べてみたら、それは日本のモダニズム建築史に名を残す孤高の建築家・山田守が晩年に設計した長沢浄水場だった。先日、多摩川堤をサイクリングがてら写真を撮りに行くと、浄水場は大学や大病院やゴルフ場に包囲されていた。が、建設当時は何もない山の中だから、他の山田の傑作のように人目を引くことはなかった。山田とともに東大建築科で学び、1920(大正9)年、過去の様式建築からの分離を目指す分離派建築会の結成に加わった堀口捨己は、山田の死に際して次のような追悼文を書いた。記述に記憶違いもあるが、それはさておく。
「山田君の建築としては丸の内の電話局は早く出来たもので、第三回かの分離派展に出したもので、世を驚かしたものでした。その後目ざましい活躍振りで、(中略)近ごろの作品には京都に京都タワーホテルがあり、問題(注・景観論争)を起したものでした。東京にはオリンピックの折に武道館が建てられた。(中略)その後の作品としては川崎の長沢浄水場の設計は、これらに打って変っていいものと私は思うが、何故か世間では認めていないようであるのは残念です」(1966・東海大学新聞)
専門家にも無視された山田守の傑作に目をつけ、『宇宙快速船』で大々的かつ効果的なロケを行った東映のスタッフの炯眼には敬服させられる。建物に合わせて曲線や曲面を多用したセットの美術も立派だ。巨匠・村野藤吾の傑作、有楽町そごうに目をつけたり、当時の東映特撮映画の美術スタッフには、よほど建築に造詣の深い、センスのいい人がいたに違いない。『少年探偵団』シリーズ(56〜59)の旧徳川公爵邸の廃屋(国立競技場の西隣にあった都内屈指の巨大洋館。跡地には東京体育館が建つ)、『黄金バット』(66)の多摩聖蹟記念館(聖蹟桜ヶ丘に現存)なども、よくぞこんなロケ地を見つけ、しかも撮影ができたものだと思う。
長沢浄水場は東宝砧撮影所から近いため、のちに『妖星ゴラス』(62)で富士山麓宇宙港ビルとして、また三橋達也主演『国際秘密警察・火薬の樽』(64)ではナチス残党の日本支部として撮影に使われた。が、東宝のスタッフには、この建築の斬新さと面白さを画面に生かすセンスと技術が欠如していたらしく、猫に小判であった。
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長沢浄水場(2002年撮影)
小田急小田原線生田駅の南、川崎市多摩区三田の丘陵に東京都が建設(1957年竣工)。山田守の設計を無視した無残な改修がなされ、この写真から原形を想像することは困難。本来は、右側のベランダのドアの枠に至るまで曲線や曲面でデザインされていた。左側の窓もアルミではなく、細い鉄のサッシがほとんど目につかず、ガラスのなかにキノコ型の列柱とアーチが透けて見えていた。スケルトンというか、建物の左側だけを大きなガラスですっぽり包んだようなデザインで、普通の窓ではなかったのだ。外壁には建売住宅みたいなモルタルかペンキが吹きつけられ、モダンで広々とした芝生の庭も、今では雑然としている。これがもしフランク・ロイド・ライトの設計だったら修復保存され、自由学園のように重要文化財になっていただろうに。
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近未来SF映画『ガタカ』に登場する 巨匠フランク・ロイド・ライト風建造物 |
長沢浄水場本館の外壁と右手に延びるガラス張りの長い廊下のなかに林立するキノコ型列柱は、巨匠フランク・ロイド・ライトの名作、ジョンソン・ワックス本社ビル(1939年竣工)にヒントを得たものだろう。ライトは吹き抜けのオフィスに流線型の巨大なキノコ型列柱を林立させて、人工の森のような空間を創造した。分離派結成以来、曲線や曲面を終生のモチーフとした山田守は、自らのモチーフにライトの傑作を重ね合わせてみたくなったのだろうか。そして外壁にまでキノコ型列柱を張りつけて長沢浄水場をデザインした。キノコではなく、噴出する水のイメージをそこに見る人もいる。たぶんそのとおりだろうが、いずれにしてもライトに似ている。この無邪気な大胆さが安直な模倣、あるいは戦前のままの時代遅れの分離派建築、映画のセットじみたハリボテ建築と誤解されて、よけい評価されなかったのかもしれない。
ライトは日本では旧帝国ホテルや目白の自由学園などの設計者として奉られ、「ライト式建築」などという日本独自の呼称まであるが、ライト自身はいつまでもそこにとどまっていたわけではない。彼はすでに戦前から最新の流線型を積極的に取り入れ、晩年は原子力エレベーターを備えた高さ1マイル(!)の超々高層ビルなどSF映画のような未来都市の計画案を多数描いていた。そのなかで実現したほとんど唯一の例が、最晩年に設計したカリフォルニア州マリン郡庁舎である。
ライトの死後、1959年から建設が始まった(今も未完成らしい)白亜のマリン郡庁舎は、近未来SF映画の傑作『ガタカ』(97)の宇宙開発会社として画面に登場する。フランスパン型と円盤型の巨大UFOが丘の上に着陸したかのような(新興宗教の総本山のようでもあり、凡作、怪作と見る向きも多い)この建築は、映画のセット・デザイナーの妄想の産物かと思えるほど現実ばなれしている。『ガタカ』が全編に50年代風の匂いを漂わせているのは、50年代にライトが夢想した未来都市を画面のなかに完成させようとした監督の意図によるものだろう。
山田守の建築は一言でいってカッコイイ。特に夜、周囲の雑然とした日本の風景が姿を消した闇のなかにライトアップされて浮かび上がるとき、未来的な美しい曲線はさらに際立つ。その好例が京都タワーだ。京都タワーは『ガタカ』の未来都市にも見事にマッチするはずだ。長沢浄水場は、スケールの点ではマリン郡庁舎に遠く及ばないが、そこには小さいながらもSF映画のような未来都市が実現し、山田守と東映のスタッフが描いた夢は『宇宙快速船』のなかに結実して今も光り輝いている。その未来を夢見る心は決してライトや『ガタカ』に劣るものではない。(この項つづく)
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『GA グローバル・アーキテクチュア』第1号(1970・A.D.A. EDITA Tokyo )
現代建築の名作をシリーズで紹介した写真集。第1号ではライトが設計し、今も世界中から見学者が絶えないジョンソン・ワックス本社ビル(1939年竣工)を特集。表紙の写真は、あとから増築された流線型の研究棟。窓のように見えるのは普通の窓ではなく、新素材のパイレックス・ガラスチューブをスダレ状に垂らしたもの。斬新すぎて欠陥もあったが、補修されて今もよく原形を保っている。建物中心をエレベーター・シャフトが貫き、壁や柱のない特殊な構造も画期的だった。シャフトが木の幹、各階の床が枝に相当し、窓が木の葉のようにぶら下がっている。銀座和光の時計台の前に建つガラス張りで円筒形の三愛ビルも同じ構造だろう。 |
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