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2002.4.1 UPDATE
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指定第8号+第10号
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広瀬正の遺稿『テイクワン』+旧東京宝塚劇場 |
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服部良一と松竹楽劇団と
戦時中のジャズ音楽 |
1937年8月、PCLは東宝に吸収合併されたが、紙恭輔は東宝に移籍しなかった。1937年末、『愛国行進曲』(♪見よ東海の空あけて〜)が発売されて100万枚を売り、戦時中の準国歌ともいえる大ヒット曲となった。1938年4月、松竹楽劇団(SGD)第1回公演『スイング・アルバム』が帝国劇場(松竹が東宝から借りていた)で上演された。正指揮者・楽長が紙恭輔、副指揮者には紙の希望で服部良一が招かれた。ふたりで作編曲をし、紙のジャズ仲間だった益田兄弟の末っ子・貞信が次郎冠者の名でショーの構成にあたった(貞信の父の益田男爵は『コロッケの歌』の作者で、太郎冠者の名で帝劇の芝居も書いていた)。アメリカ帰りの中川三郎のタップダンス、ロケット・ガールズのラインダンス、笠置シヅ子の歌など豪華なショーを上演。笠置は帝都の人気をひとりでさらい、双葉十三郎や野口久光らも熱烈な笠置ファンになったという。服部良一の自伝『ぼくの音楽人生 エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史』(1982・中央文芸社/1993・新装再版)には当時の思い出が、実にイキイキと描かれている。
4回の公演を手がけたのち次郎冠者はSGDを去り、紙恭輔も1年たらずで退団。あとに残った服部良一は大車輪で奮闘しながら映画音楽にも進出し、紙が抜けたあとの東宝の映画音楽も手がけた。原節子がモダンガール(!)を演じた佳作『東京の女性』('39) のために服部が作った曲は、淡谷のり子の歌でレコード化されたが厭戦的として発売中止。続いて『タリナイ・ソング』('40)も発禁。♪足りない 足りない お米が足りない なんていう奴 元気が足りない、という歌詞だった。
1939年、赤坂フロリダが閉鎖され、ラスト・ステージではティーブ釜范(かまやつひろしの父、森山良子の叔父)らが演奏をした。1940年10月、全国のダンスホールも一斉閉鎖。同年、帝劇が東宝に返還されたこともあってSGDショーの規模は縮小し、検閲の強化に伴い時局に合わせた軍国調の内容に変えていったが、1941年1月、ついに解散。その後、服部良一は仕事が極端に減り、検閲をごまかしながらラジオでジャズ的な演奏をやったりしていたという。そのころ、紙恭輔はどうしていたのだろうか。秋山邦晴著『日本の映画音楽史1』(1974・田畑書店)に掲載された紙の主要映画音楽リストでは、1941年から1949年までの間は空白となっている。
1941年12月、太平洋戦争に突入。翌年1月、米英楽曲追放、ジャズ・レコード発売禁止。敵性語(英語)も禁止され、コントラバスを妖怪的三弦などと言い換えた。それでも1943年の全面禁止以前にジャズ・コンサートが異様な活況を呈した時期があり、なんとグレン・ミラーの『イン・ザ・ムード』もすでに演奏されていたという。
松竹での川島雄三監督の長編デビュー作で、戦争末期とは思えない軽やかな小品『還ってきた男』('44)には、ハワイ帰りのお嬢さんが亡国的な白いドレスをひらひらさせながら登場。彼女が訪ねたレコード店にはビクターのポスターが張られ、マスコットの犬までいるが、やがて「時局に鑑み廃業」する。お嬢さんは非国民と思われないように軍需工場に就職はするが、他の女工と違ってモンペではなくアメリカ風のオーバーオール姿なのだ。ちょっと過去を描くことによって米英的な文化を画面に復活させようとしたのである。敗戦まぎわに作られた松竹映画『米英撃滅の歌』('45)では開戦前の回想シーンとしてラジオからジャズが流れる。夫とともに国際都市・上海へ渡ってジャズを続けようとした高峰三枝子は帰国後、「ジャズはアメリカの謀略だったのよ」と語る。もちろん、これは禁じられたジャズを画面に流すための口実であり「あのころはよかった」というのがホンネだろう。
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内田晃一著『日本のジャズ史』(1976・スイング・ジャーナル社)
著者は元ジャズマン。ジャズ草創期の生き証人100名以上(満州映画協会理事長・甘粕正彦が服毒自殺するとき、お茶を運んだ元女子事務員までいる)に直接取材した大労作で、レコード、トーキー映画、ダンスホール、ラジオなどとも関わる極めて貴重な史料でもある。本書のあちこちに紙恭輔が登場し、『スイング・ジャーナル』読者人気投票の歴代ランキングにも何度かランク入りしている。 |
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敗戦後の紙恭輔とその仲間たち |
敗戦後の紙恭輔の足跡を駆け足で辿っておこう。1945年末、東京宝塚劇場が占領軍に接収され、占領軍将兵のためにショーを上演するアーニー・パイル劇場となった。紙は1947年にGHQ音楽監督に就任。1949年からはアーニー・パイル劇場専属オーケストラを指揮したが、1952年、劇場の返還によって解散。この年、広瀬正は自らのジャズバンド、スカイトーンズを結成。紙はバンド名だけを残したアーニー・パイル・オーケストラを主宰して米軍将校クラブに出演。次々と台頭する新人ジャズメンに押されて時代遅れとなったのか、まもなく経営難で解散。後半生はアメリカ式の音楽家のユニオン(職能別労働組合)を作ろうとしながら、何の成果も得られずに終わった。組合はアカだからイヤだという会員や会費を払わない会員も多かったため周囲の協力を得られず、また本人にもたいしてやる気がなかったらしく、名ばかりの会長となり「ペーパー(紙)ユニオン」などと皮肉も言われた。そこで広瀬正が実務を手伝っていたのかもしれない。
PCL時代(1933〜37)の紙恭輔の映画音楽には『ほろよひ人生』『純情の都』『只野凡児人生勉強』(木村荘十二監督)『エノケンの青春酔虎伝』『あるぷす大将』『坊っちゃん』『すみれ娘』『吾輩は猫である』(山本嘉次郎監督)『乙女ごころ三人姉妹』『サーカス五人組』(成瀬巳喜男監督)『権三と助十』(JO製作、伊丹万作監督)などがある。戦後は『幽霊男』『透明人間』('54・小田基義監督)など。『透明人間』のキャバレーのショーは『バンドワゴン』('53)の焼き直しかと思われるが、いかにもMGMミュージカル風の音楽だ。音楽はやや古めかしい感じだし、セットも貧相だが、泥くさい盆踊りみたいな東宝ミュージカル映画『君も出世ができる』('64)なんかに比べれば、はるかにスマートでモダンではある。最後の映画音楽であろう『蜘蛛男』('58)などはひどいB級映画で、音楽にかける金もなかったらしく、紙恭輔の手抜きとも思える仕事ぶりが見ていて気の毒なほどだ。
敗戦後、服部良一は笠置シヅ子の『東京ブギウギ』『銀座カンカン娘』や『青い山脈』などの映画主題歌を次々とヒットさせた。紙恭輔には、服部のような映画主題歌、流行歌のヒット曲がなかったことが、ふたりの明暗を分けた一因かもしれない。
広瀬正著『エロス』の主人公が1937年秋、再び紙恭輔を訪ねると、PCL映画製作所は東宝砧撮影所と名前が変わり、音楽部長の紙恭輔は主計少尉として応召してスタジオから姿を消していた。その後、日本は戦争の泥沼に突入し、ジャズもテレビジョンもオリンピックも万博も、何もかもが夢と消えて主人公たちの運命も一変する。いわば日本のロスト・ジェネレーションの青春を描いた小説であり、意外な結末のあと、エロス(愛の女神)というタイトルを改めて噛みしめると不思議な悲しみに襲われる。このSF小説の主人公は著者自身の、また著者と同時代を生き、戦争によって青春を奪われたモダンボーイたちの分身でもあろう。
1972年3月9日、広瀬正は赤坂の路上で倒れてそのまま帰らぬ人となった。その日の午後、広瀬正が紙恭輔を訪ねようとしていたのは、新作『テイクワン』の取材のためだったのだろう。彼は『マイナス・ゼロ』『エロス』の延長上に自らの青春と昭和史、日本のジャズ・エイジを重ね合わせて、『テイクワン』に投影しようとしていたに違いない。この遺稿は、すでに800枚も書き上げられていたが、SFでさえなかなか理解されなかった時代だから、未完のジャズの本など出そうとする出版社はなかったのだろう。実に残念なことである。
3回にわたり、くだくだと書いてきたが、初めから僕の手に余るテーマだということは承知していた。書いてる本人が面白くないのだがら、もし読んでる人がいたら、もっと退屈したと思う。申し訳ない。誰かもっと楽しく、かつ感動的に紙恭輔と彼が生きた時代を描いてくれないものかと思う。広瀬正には、それができたはずだが、彼の急死によって、それもかなわぬこととなった。そして紙恭輔も9年後の1981年に亡くなった。紙恭輔が生まれてから今年でちょうど100年、広瀬正が急死してから30年がたつ(これを書いている今日、3月9日が命日だ)が、もはやそんなことを気にかける人は誰もいない。
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旧東京宝塚劇場(1992年撮影)
東宝の総帥・小林一三が宝塚少女歌劇の東京進出のために建設(1933年竣工)したモダンな大劇場。設計施工は東宝、阪急、宝塚の建物を数多く手がけた竹中工務店。建設費250万円という莫大な予算が余ったので日比谷映画劇場も建てられ、さらに有楽座を建設、日劇を買収。小林が構想した日比谷アミューズメント・センターの核となったこれらの大劇場は戦争末期には風船爆弾の秘密工場と化した。敗戦後、米軍に接収されアーニー・パイル劇場と改称した宝塚劇場では紙恭輔が専属オーケストラを指揮。紙恭輔が関わった日本の映画史、ジャズ史の記念碑的な劇場、映画館である旧帝国劇場、東洋キネマ、旧東京宝塚劇場は次々と姿を消して今はない。『エノケンの千万長者』(36)には日比谷映画街を車で一周する場面があり、新築まもない宝塚劇場や日比谷映画を見ることができる。
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