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2004.5.21 UPDATE


指定第30号  『処女ゲバゲバ』のバット/金枝に触れた映画人 戦後編



再び「神聖にして冒すべからず」の存在へ。
立ち向かう松竹

 戦後、自由な天皇批判を許していたマッカーサーとGHQは1946年、米よこせデモの皇居乱入事件や、人民広場(皇居前広場)での食料メーデーのプラカード「朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね」の作者に不敬罪が適用された事件などをきっかけに方針を転換した。のちに東京高裁は「不敬罪は名誉棄損の特別罪として存続する」とし、最高裁判決もその点をうやむやにしたまま、天皇は再び「神聖にして冒すべからず」存在となっていった。幕末に続いて、日本はまたもや生まれ変わるチャンスを逸したのだ。

 軍人、政治家、資本家、そして天皇の戦争責任に言及した亀井文夫監督のドキュメンタリー映画『日本の悲劇』('46)も問題にされ、一部で公開後、GHQによって上映を禁止された。その処分についてマスコミが報道することも禁じられた。この映画については平野共余子著『天皇と接吻』('98・草思社)に詳しい。

 1952年、まだ人民広場と呼ばれていた皇居前広場で血のメーデー事件が起こった。事件後、多数の学生、教師、労働者、共産党員が逮捕され、事実上の解放区となっていた朝鮮人集落も警官隊に急襲された。メーデーの2日後、平和条約発効と憲法施行5周年を記念した皇居前広場での式典において、天皇自らが再び過ちをしないことを誓ったうえで「あえて自らを励まして、負荷の重きに耐えんことを期し」と、退位説を否定した。

 戦時中、佐々木啓祐監督、佐分利信主演『都会の奔流』('40)という松竹映画が作られた。時局に逆らう不良学生が実質的な主役の、まるでアプレ(戦後派)映画を先取りしたかのような大胆な異色作だった。脚本は猪俣勝人。その猪俣の脚本を渋谷実監督が映画化した『現代人』('52)はアプレの汚職役人・池部良が破滅するまえでを描いた映画だ。劇中、デモ隊と警官隊が皇居の門で激突するシーンがある。セットとは思えないからロケが許可されたのだろうか。日本が独立したおかげでGHQの検閲もなくなり、厳しい規制が一時的に緩和されたのかもしれない。

 『叛乱』('54)は2・26事件の青年将校と指導者が処刑されるまでの物語だ。佐分利信監督・主演で撮影が始まったが、佐分利信が病気で倒れて監督は阿部豊に交替した。将校たちの指導者・北一輝は明治天皇の御真影を拝んでお告げをする神がかり的な人物だが、相棒の西田税はもっと合理的な人物として描かれる。将校たちが「天皇陛下万歳!」と叫んで次々と処刑されていく。北が「ひとつ、我々も天皇陛下万歳をやりましょうか」と言うと西田は「いや、私はやりません」ときっぱりと答えて映画は終わる。ちなみに佐分利信の好きな言葉は「すべてを疑え」というマルクスの言葉だったという。彼に代わって西田税を演じた佐々木孝丸は戦前に革命歌『インターナショナル』の日本語訳詞を作った。

 神聖なる天皇の復活に歩調を合わせるように、新東宝は軍国浪曲調(戦前の浪曲と軍国主義は密接な関係があった)のキワモノ映画『明治天皇と日露大戦争』('57)を製作、驚異的な大ヒットを記録した。多くの日本人が嵐寛寿郎扮する明治天皇の「動く御新影」をありがたく拝見したが、こうした傾向に異義を唱えたのも、やはり松竹勢だった。

 猪俣勝人脚本の松竹映画『大東京誕生・大江戸の鐘』('58)は、江戸っ子の旧幕臣・勝海舟を歴史の証人とした群像劇だ。西陣織の職人に作らせたニセモノの錦の御旗(!)を押し立てた薩長のイモ侍たちは、いわばニセ官軍で、まさに「勝てば官軍」。孝明天皇を暗殺し、明治幼帝を祭り上げたのは貧乏公家あがりの岩倉具視らの策謀。明治天皇は、いわばニセ天皇だった――とする猪俣脚本の真意が、大曽根辰夫の凡庸な演出の裏にはっきり伺える。これも大胆といえば大胆な映画だが、脚本にはそれなりの根拠があった。

 『明治歴史読本 明治・大正・昭和天皇の生涯』(前回参照)によると「『孝明天皇紀』には、どういうわけなのか、天皇の最期のようすが記されていない。そのため、孝明天皇は実は毒殺されたのではないかという疑惑が、現在もなお根強く尾をひいている。(中略)朝廷内倒幕派の急先鋒岩倉具視あたりが、後宮に仕える異母妹掘河紀子を使い、天皇に毒をもったのではないか、とうのである」。天皇毒殺説は早くから噂になっていたそうで、英国の駐日外交官アーネスト・サトウ(登山家・植物学者の武田久吉の父)の自伝のなかには、ある日本人が天皇毒殺については確言したとの記述もあるそうだ。ちなみに愚妻の祖母は90歳を超えているが、孝明天皇暗殺について、見てきたように嬉しそうに話していたそうだ。戦前から庶民のゴシップのタネになっていたらしい。

 松竹出身の川島雄三監督『グラマ島の誘惑』('59)のグラマ島は、戦後日本の縮図にしてパロディ。「あ、そうか」が口グセのスケべでグウタラで無能な皇族・森繁久弥と慰安婦たちが南海の無人島に漂着。革命で島は民主化。戦後6年たって帰国すると日本もすっかり変わっていた。やがて天皇の戦争責任など初めからなかったかのようにミッチー・ブームが巻き起こる。森繁が出入りするトルコ風呂の社長室にまでテニス・ルックの皇太子とミッチーこと美智子妃の巨大壁画と「慶祝」の文字。グラマ島は水爆実験で消滅。

 「大げさだと笑われそうだが、今度の作品の内容なども、単に皇族と慰安婦を扱っているというだけの理由で制限を受けるような時代がやって来はしないだろうか?」と当時、川島雄三は書いているが、まもなく彼の予感は的中することになる。

 映画で昭和天皇を最初に演じたのは野村芳太郎監督『拝啓天皇陛下様』('63)での浜口庫之助(作曲家)だろうか。無学文盲の新兵・渥美清が、それまで写真ですら見たことのなかった天皇を間近に見て大ファンになり、直訴の手紙まで書こうとする。やがて敗戦。彼はあっけなく交通事故で死に、字幕に「陛下の赤子が死にました」云々と出る。

 東京で革命が起こって皇族が処刑され、『女性自身』の記者や「私」が嬉しそうに皇居に駆けつけると、皇太子とミッチーの首もカラカラと転がった――という夢物語をトボケた文体で描いた深沢七郎の短編小説『風流夢譚』に端を発する右翼のテロ事件が起きたのは1961年。若い世代は知らないだろうが、この小説をテロ事件については何冊かの重要な研究書(平凡社ライブラリーほか)が今も出ている。その事件のあとで昭和天皇が登場する喜劇映画を作ることは、それなりの勇気が必要だったろう。撮影前に右翼の親分に話をつけたというので、ハマクラ先生もやっと出演をOKしたが、画面では白馬に乗って現れる天皇の顔は見えないようになっていた。岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』('67)に昭和天皇を登場させたときも、どう描くかで東宝内部でずいぶんモメたという。


平野共余子著『天皇と接吻』('98・草思社)

 表紙の昭和天皇の写真は亀井文夫監督『日本の悲劇』('46)の1カット。映画のラストで「戦争責任者はこのほほかにもまだいるはずだ」「今や、平和主義者になりすましている……」と字幕が出て、軍服姿の天皇が背広姿に変わっていく。この映画は亀井監督の代表作『上海』('38)『戦ふ兵隊』('39)とともにビデオ化された。



 
脚本家・大和屋笠の才能と、
日本で公開されない快作たち

 若松孝二監督『処女ゲバゲバ』('69)は前衛的ピンク映画だ。脚本の大和屋竺(若松プロの共同ペンネーム・出口出名義)は、英国の民俗学者フレイザーが欧州の神話や伝説を研究した大著『金枝篇』にヒントを得たという。神話によると、祭司にして神聖なる王を殺して権力を奪おうとする者が、その際に用いる聖なる樹木の小枝(宿り木)が金枝だという。荒野を彷徨った『処女ゲバゲバ』の主人公が「ボス」を撲殺するバットは金枝のアナロジーであり、当時の学生運動に使われたゲバ棒のアナロジーでもあった。

 大和屋はこの脚本の意図について「今や、神はその力を誇示しようとして、横腹をバットに押しつけている」というようなことを書いていた。この映画は神話的、象徴的に神聖なる祭司王殺しの試みを描いた、題名からは想像もつかないアクチュアルな実験映画であり、同じく神話をモチーフにしたグラウベル・ローシャ監督のブラジル映画『アントニオ・ダス・モルテス』('69)も勝るとも劣らない大傑作だったのだ。

 佐野真一著『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』('96・文藝春秋)という本に、民俗学者・柳田国男が実際はどれほどイヤな奴だったかが具体的に書かれている。柳田はウルトラ・ナショナリズムの保守反動で、フレイザーの論文を翻訳した弟子に向かって、「出版するなら妨害するというまでの強硬な態度に出て」弟子を驚かせた。「当時柳田は、フレイザーの学説を穀霊の王=天皇制とする解釈の立場をとっており、その限りでいえば、フレイザーの著作の翻訳出版は危険きまわまりないものに映っていた」。『金枝篇』は瑞穂の国の祭司王たる天皇に対して不敬にあたるのではいか、と柳田が考えたとしても不思議ではない。そして戦前から世界中で知られていたこの名著(著者のフレイザーはナチス・ドイツの空爆で死亡)が日本で出版されたのは、ようやく戦後7年もたってからだった。

 吉本隆明が柳田民俗学を研究しながら『共同幻想論』をクダクダと書いていたころに、それよりもはるかにラディカル(過激にして根源的)な『処女ゲバゲバ』の脚本をスラスラと書き上げた故大和屋竺
の天才には恐るべきものだったのだ。そういえば、藤田敏八監督の日活ニュー・アクション「野良猫ロック・暴走集団71』('71)のリュウメイこと隆明(地井武男)も、あんまりオリコウな奴ではなかった。

 『八月の濡れた砂』('71)の脚本・監督コンビだった大和屋笠と藤田敏八の共同脚本でデビューを飾ったのが松本正志監督だ。デビュー作『戦争を知らない子供たち』('73)は地中に眠っていた不発爆弾に戦後日本に対する怨念をこめた東宝らしからぬ傑作で、日の丸と桜の花がブキミなまでに美しい「反日本」映画だった。松本監督の第2作『狼の紋章』('73)はさらに過激で、狼の血をひく孤高の転校生・志垣太郎と皇居の番犬たる右翼のドラ息子・松田優作の対決を、皇居前での隠し撮りもまじえて描いた傑作だった。

 森崎東監督の松竹映画『野良犬』('73)も、実質的な主役を演じたのは、志垣太郎だ。この映画は単に黒沢明の『野良犬』('49)のリメイクだと思われているが、実はそんな映画ではない。志垣ら沖縄出身の少年たちが刑事・渡哲也から奪った拳銃で、ひとりずつ憎い日本人を殺していく。最後に残った志垣は誰を殺そうとしているのか。逮捕された少年が刑事に向かって言う。「俺たちがやりたかった一番憎い奴をやりにいった」と。続いて少年たちの仲間の少女の主観ショットとして、彼女がバスの窓から見た皇居と警視庁がカットバックされる。このシーンを見逃したら何も見なかったのも同じなのだが、公開当時、森崎監督の意図を正しく理解した日本人は、ほとんどいなかったようだ。

 『野良犬』は6人の沖縄の少年が天皇を裁こうとした物語だ。6人のち1人は刑事に尋問されて沖縄人ではないと言うが、何者なのかは言わない。おそらく朝鮮人ではないか。舞台となった川崎には朝鮮人も多く、画面に北鮮系の看板も映る。この映画は確信犯として天皇暗殺を具体的にほのめかした唯一の日本映画だといって間違いないだろう。とはいえ『野良犬』も、沢田研二が原爆を手に皇居を睨んでいた長谷川和彦監督の『太陽と盗んだ男』('79)も、『風流夢譚』も、すべて作者たちの妄想にすぎない。妄想を現実と混同して、妄想の自由すら奪おうとする者がいるなら、戦時中の検閲官よりタチが悪い。

 ゴールディ・ホーン主演『ファール・プレイ』('78)の劇中歌劇『ミカド』は天皇が男女の恋を取り持つ他愛のないお伽話らしいが、日本ではいまだに上演されていないようだ。19世紀末にロンドンで初演された『ミカド』の舞台裏を描いたマイク・リー監督『トプシー・ターヴィー』('99)も未公開でBS放映のみ。アニメ・シリーズ『サウスパーク』の一編に『チンポコモン』(これが原題で、ポケモンにかけられたシャレ)というエピソードがあるが、天皇を風刺した内容のため日本では放送もビデオ化もされないだろう。

 おそらく、このアニメ『チンポコモン』を自由に見ることのできない国は、地球上で日本と北朝鮮ぐらいかもしれない。韓国には「日帝36年の朝鮮支配は南に軍隊を、北には天皇を残した」というジョークがあるそうだが、なかなかスルドイ指摘である。天皇制の是非はともかくとしても、「夷敵」の文化を寛大に受け入れられないうちは、日本は文明国にはなれないだろう。

 以上、2回にわたって見てきたように戦前戦中も戦後も、禁断の金枝に触れ、タブーに挑んだ勇気ある映画人が少なからずいた。そのことを日本の映画人は誇りにしていいと思う。彼らの勇気と誇りの象徴として、森崎東の映画に登場した御真影を日本映画遺産指定29号とした次第。そして、谷口千吉監督『独立重機関銃未だ射撃中』(第5回参照)
で三橋達也が踏みにじった菊の紋章入りの恩賜のタバコや、『野良犬』の拳銃や、『狼の紋章』の狼のマスクや、『太陽を盗んだ男』の手製爆弾なども含めた「金枝」の象徴として『処女ゲバゲバ』のバットを指定第30号としたい。

 森崎映画の重要な小道具であった御真影が、大船撮影所が消滅した今もどこかに残っているのなら、千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで永久保存していただきたいと思う。(完)


森崎湊著『遺書』('71・図書出版社)

 森崎東監督の兄・湊の16歳から20歳(1944年)までの日記をまとめた本。戦争末期、特攻要員となった森崎湊は敗戦の翌朝、割腹自殺をとげた。敗戦を認めず決戦を主張する将校たちを覚醒させるためだったという。「私は今でも憶えている……『東条英樹は出世主義者であり、落語家である。ありつが十四や十五の遊び盛りの少年を殺すのだ』という故人の憤激の声を。『皇居遙拝だけに熱心で、工員の怪我には全く無関心の経営者のいるような軍需工場なら、ストライキでつぶしてしまえ』という憤激の声を。(中略)森崎湊の誌は、敗れた祖国に殉ずる従容たる武人の死というより、むしろとりつくろった美しい言葉で日本中の青春を圧殺しつづけた者たちへの憤激の死ではなかったのか?」(森崎東の序文)。その憤激は『野良犬』の少年たちにも受け継がれたのだろう。森崎監督『黒木太郎の愛と冒険』('77)の主人公の父の元軍人・三国連太郎は、この『遺書』を残して割腹自殺する。

<番外編>

 最終回にあたり、これまで連載の補足の意味で紹介しておきたい物件がある。京橋の東京国立近代美術館フィルムセンター7階に常設されている「展示会 映画遺産」がそれだ。映画人の遺品、各種映画機材、発見・復元された映画のビデオ映像などを展示した2002年の展覧会を翌年から常設展示としたもので、これが意外に充実していて驚いた。これまで『日本映画遺産』の連載で紹介してきた物件や映画人と関連の深い展示物もあるので、ぜひ一度、足を運んでいただきたい。

 コニカラーカメラ(指定第2号)の実物と、子役時代の浅丘ルリ子が主演した日活コニカラー作品『緑はるかに』('55)の一部を見られるだけでも儲けもの。コニカラーカメラについては日活の名カメラマンだった姫田真佐久の自伝にも語られている。他の展示物で目を引くのは五所平之助の遺品の数々だ。戦前、彼が愛用したコダックの8ミリカメラと映写機、ホーム・ムービー、さらに五所監督作品の私家版の上映まである。この私家版は佐分利信の松竹第1作となった35ミリの本編と同時に趣味で撮影した8ミリの劇映画で、本編は現存しない。そのフィルムを映写する特製の自動映写機は、エジソンのキネトスコープを大型化したらしい凝ったものだ。

 ビデオ上映も日本のアニメのパイオニア・大藤信郎の作品など貴重なものが多い。1本数分の断片だけのビデオ上映だが、全部見て回ると長編1本分くらいの時間になり、これで入場料100円は安い! 黒沢明の『羅生門』('50)が受賞したベネチア映画祭金獅子像も展示されているが、これは大映社長・永田雅一が作らせた6個のレプリカのひとつで、オリジナルは行方不明というのにも驚いた。永田ラッパが墓の下まで持っていったんだろうか? こうして日本映画遺産は次々と失われていくのであった。

 しつこいけど、最後に補足訂正。第28回で、谷口千吉・八千草薫夫妻との交流以外に辻まことと日本映画の接点は何もない、と書いたけれど、これは大きな間違い。谷口監督の弟子で、師匠と同じく登山とスキーが趣味だった岡本喜八監督の自伝的戦争映画『肉弾』('68)の劇中に、辻まことの描いたユーモラスな豚や牛の漫画数点が使われていたのだ。その原画の一部は辻まこと全画集の一冊『まんが集』('80・みすず書房)に収録されている。谷口監督の山荘の壁画とともに、このマンガも日本映画遺産に指定。



フィルムセンター「展示会 映画遺産」の案内チラシ



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