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『踊るニューヨーク』
発売:ジュネス企画
¥5040 |
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『スイング・ホテル』
発売:ジュネス企画
¥5040 |
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フレッド・アステアの戦前・戦中の――モノクロ時代の――最高のダンス・ナンバーが見られる『踊るニューヨーク』(公開題名『踊るニュウヨーク』、ノーマン・タウログ監督、1940)と『スイング・ホテル』(マーク・サンドリッチ監督、1942)もDVDで見られます。ともにジュネス企画の「クラシック」シリーズとして出ています。『踊るニューヨーク』ではタップの女王といわれたエレノア・パウエルと、コール・ポーターの名曲「ビギン・ザ・ビギン」のメロディーにのって、とうてい言葉では言いつくせない見事なタップダンスを披露してみせます。まさに圧巻と言うしかない魅惑のナンバーになっています。『スイング・ホテル』では、ソロで、爆竹を床に投げつけてその破裂音でリズムをつくりながら、息を呑むタップダンスの至芸を見せてくれます。
こうした見どころだけで作品の全体を評価するなんてことは批評には許されないことかもしれませんが、しかし、純粋な、あるいはむしろ単純な映画ファンとしては、見どころがひとつでもあればいい、あとは愛が見どころをつくる。だから、一斑を見て全豹を卜(ぼく)すというところから、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)とまでいきたいものです。欠点をあげつらったりすることより、一点を愛したら全体を、欠点までもふくめて、愛してしまいたい。そんなふうに映画をまるごと好きになってしまうのが映画ファンならではの幸福ですね。批評のように長所と欠点をきちんと指摘して「作品」を冷静に分析するとか、そういったアプローチこそ明晰な論理であるとみなされてはいるのですが(それはそのとおりですが)、そんなロジックは単にバランスの計算でしかない。愛とは関係ない。愛とは何もかも認めて好きになってしまうことですね。生きた人間に惚れるように、映画にも全的に心から惚れたい。そういう映画鑑賞がこの「身体表象文化としての映画誌」と銘打った公開講座の目的です。「映画」を死体解剖のように分析して研究するのではなく、「映画」の生きた魅力に「惚れる」というだけの講座です。
というわけで、まず見どころをたっぷり堪能していただきたいと思います。
作家性とか作家主義とかいった抽象的な、批評的な見かたよりも、具体的に、官能的に「映画」そのものを単純にたのしんで見るということですね。ミュージカル・コメディーは、単純な「ボーイ・ミーツ・ガールもの」("Boy
Meets Girl" pattern)、つまり男の子が女の子に出会って、ふたりが恋をして、ちょっとゴタゴタがあって(周囲の反対とか、おたがいの誤解とか)、それでも結局はハッピーエンドになることがわかりきっているといった類の、話としてはごくありきたりのものが多いので、そこに「作家」の刻印が認められるかどうかなど追求してもしかたがないわけですね。ヴィンセント・ミネリのような個性的で独創的なアイデアにあふれた監督ですら、こんなふうに語っています(『バンド・ワゴン』のDVD映像特典「ヴィンセント・ミネリ 映画を作った男」より)。
映画の世界に不可能という言葉はない。だからこそ、しっかりと作品のテーマを見きわめ、核心をつくことが大切だ。自分の作りたいように作ればいいわけではない。それでは作品が違ってしまう。テーマや自分のスタイルを十分にきわめることが肝腎だ。
この真摯な謙虚さこそ、ミュージカル・コメディーのような「ジャンル」の監督の模範と言ってもいいものでしょう。「個性」とか「作家性」などを主張することよりも、「作品」をどのようにおもしろく(もちろん、観客をたのしませるという意味で)作るかということに心をくだく監督ですね。その点では、アルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスやジョン・フォードのような偉大な例を挙げるまでもないと思います。ビリー・ワイルダーやラオール・ウォルシュなんかもそうですね。スリラー映画とか西部劇とかギャング映画とかロマンチック・コメディーとかいった「ジャンル」の映画に徹した「プロフェッショナル」とハリウッドではよばれる監督はみな、作家としての自己を表現することよりも、自分もたのしみ、人もたのしませることをよく心得ていた監督なんですね。
ミュージカルというには異色の、そして白黒作品ですが、『ボレロ』(ウェズリー・ラッグルズ監督、1934)というダンス映画の名作も、これもジュネス企画からですが、DVDで出ています。
主演はジョージ・ラフトというギャングの世界からハリウッド入りしてスターになった異色のキャリアの持ち主です。ダンサーとしても一流で、ラテン・ジゴロの異名を取った世紀の美男スター、ルドルフ・ヴァレンチノの二代目として売りだされましたが、身だしなみもきちんとして紳士的ではあるけれども、殺気と妙な色気を漂わす凄味のあるタフガイで、甘い二枚目ではないんですね。撫でつけたような黒い髪をまんなかからきれいに分け、ダンディーで礼儀正しく物腰はやわらかですが、無表情と言ってもいいくらい冷たく、蛇のような眼で相手を射すくめるクールな美男子、といっても若々しい感じはない。ニューヨークの貧民街に生まれ育ち、ボクサー、ジゴロ、ナイトクラブのダンサーから、暗黒街のコネクションでハリウッド入りし、ラスベガス建設の立役者として知られるギャング、バグジー・シーゲルとも親友でした。そんなジョージ・ラフトの自伝的な、あるいはむしろ伝説的な面が、『ボレロ』という映画のストーリーやキャラクターには巧妙に生かされているような感じです。
ダンスも、フレッド・アステアやジーン・ケリーのような、あるいはジェームズ・キャグニーのような、軽快で心おどるタップダンスではないので、ブロードウェイの舞台を映画化したミュージカルのような明るい雰囲気はなく、ナイトクラブのエンタテイナーの「芸道もの」といった感じ。映画のラストのクライマックスは、あの、息づまるような旋律がしだいに遠のいていくかと思うと、やがて旋風のように渦巻きつつひろがってくるラヴェルの不朽の――じつはこの映画によって世界的に知られるようになったという――名曲にのって、ジョージ・ラフトが黒い大理石のような円盤の上で、キャロル・ロンバードと情熱的にセクシーに踊るナンバーは、ジョージ・ラフト自らが振り付けたもので、ラフト(Raft)とボレロ(Bolero)を合わせて「ラフテロ」(Raftero)と名づけられたということです。 |
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