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日本ではすべてのサイレント映画が「活動弁士」の説明付きで公開されたのだから、「結局、日本映画には真のサイレント時代はなかったと言えるのではないか」と稲垣浩監督が回想的エッセイ集「ひげとちょんまげ 生きている映画史」(中公文庫)に書いている。田中純一郎氏も「日本映画発掘」(冬樹社)のなかで、「無声映画というのは、何しろ物言わぬ影が主人公ですから、これに言葉を与え、面白さを味あわせるには、影の代りに人間がいて、親しくお客に語りかけ、感情移入させる必要」があったと力説している。「外国のように伴奏だけで、あとは御勝手にごらん下さい、というわけには行かない。そこが日本的とでもいうのでしょうか、この頃は物言うテレビにさえ、映画解説がつきます」。
モーリス・シュヴァリエがハリウッドから里帰りして出演したルネ・クレール監督のフランス映画『沈黙は金』(1947)は、題名どおり「沈黙」がスクリーンを支配していたサイレント初期の撮影所や映画館の裏話を描いたコメディーだが、そのなかに弁士の説明付きで映画上映するシーンがあるので、もしかしたら活弁つまり活動弁士というのはかならずしも「日本的」なものではなかったのかもしれない。しかし、たとえば「春や春、春南方のローマンス」とか「こもる思いは千万無量、泣いて血を吐くほととぎす」とかいった、いまなお語り伝えられる名調子の声色弁士というのは少なくとも日本だけの存在だったようだ。「名文句」「迷句」(と田中純一郎氏は述懐している)が「弁士自体の人気と合体して、活動写真とは別個の、例えば演歌のように、独立した魅力になっていたのかもしれません」。
D・W・グリフィス監督の名作、『散り行く花』(1919)の薄幸のヒロイン(リリアン・ギッシュ)がこの世を去るシーンでは「白銀(しろがね)の花よ、鐘の音よ」という名文句が観客の涙をしぼったと伝えられているが、田中純一郎氏は東京・銀座の金春(こんぱる)館にいた弁士による「ああ白百合の精よ、桜花(おうか)の君よ、星おぼろなる空よ、銀河の流れよ……生者必滅(しょうじゃひつめつ)、寂滅為楽(じゃくめついらく)と告げ渡る、鐘の音色(ねいろ)を心に聞きながら――」という、さらなる名調子を紹介している。
そのような「演歌」ふうの名調子とは別に、野口久光氏がよく、徳川夢声の「風格ある」活弁ぶり、とくに『カリガリ博士』(ロベルト・ヴィーネ監督、1919)や『アッシャー家の末裔』(ジャン・エプスタン監督、1928)の説明の見事さを語っていたのを思いだす。
とはいうものの、じつは、私は、活弁もテレビの映画解説も、もちろん映画の上映前の解説もふくめたイベントやシンポジウムなども、どうしても好きにはなれず、映画はサイレントでもトーキーでも何の解説もなしに静かに見たいと思っているのだが、ただ1度だけ活動弁士のあまりのすばらしさに感涙にむせんだことがあった。1960年代の後半だったと思うけれども、東京・赤坂にあったアメリカ文化センターでD・W・グリフィス監督の『嵐の孤児』(1921)の上映会があったとき、この映画を公開当時に見て熱狂したファンにちがいない長身の司会者が熱っぽい口調で弁士もつとめ(あの不思議な紳士はいったい何者だったのだろう)、上映が進行して、姉のリリアン・ギッシュとはなればなれになって乞食に身を落とした盲目の妹のドロシー・ギッシュが、物乞いをしつつパリの街をさまよい歩き、やっと姉妹がめぐり逢うシーンになると、「ここでは姉妹がおたがいに名を呼び合う声が聞えてきます」とみずから感極まってほとんど絶叫し、こらえきれずに泣きだしてしまい、小さな映写会場の観客たちもみな、もらい泣きをしたのだった。そのとき、私たちはみな、たしかに、姉の姿が見えぬままその名を呼びつづける妹のドロシー・ギッシュのせつない声を、そして妹の声を聞きつけて思わず2階のテラスから身をのりだして妹の名を呼ぶ姉のリリアン・ギッシュのたかぶった声を、はっきりと聞いたのであった。
サイレント映画で音が聞こえるシーンとして思いだされるのは、ハワード・ホークス監督のコメディー『無花果の葉』(1926)で石器時代の新聞は石でできているので、朝、新聞配達の少年がアダムとイヴの家に投げ入れると、ドスーンと音を立てるところだ。『大列車強盗』(エドウィン・S・ポーター監督、1903)以来、サイレント西部劇では銃の発砲の音を硝煙で映像的に表現するというようなパターンはおなじみのテクニックだが、『無花果の葉』のこの石の新聞が地響きとともにほうりこまれるところは何度見ても快いおどろきを感じる。
サイレント映画なのに、そっと靴をぬいで廊下を抜き足、差し足で忍び歩く(『牡蠣の王女』、1919)とか、話し声が外にもれないように用心深くそっとドアをしめる(『ウィンダミア夫人の扇』、1925)とか、いわば逆手の芸のこまかさを見せるのはエルンスト・ルビッチ監督だ。その繊細な音なしの構えに対して活弁つきのルビッチ映画など考えられないくらいである。
バスター・キートンの『セブン・チャンス』(戦前の公開題名は『キートンの栃面棒』、1925)の冒頭、「かぐわしい花々が咲き乱れる美しい春のある日、ジミー君はメリーさんに愛していますと言おうと思っていました」という説明字幕が入り、小さな、小さな仔犬を連れたメリーさん(ルース・ドワイヤー)とジミー君ことキートンが向かい合って立っている。次いで、夏が去り、秋が来て、冬になり、「季節がめぐって、また蕾がひらき、花が咲く春になったけれども、ジミー君はまだメリーさんに愛していますと言おうと思っていました」という字幕が出ると、メリーさんの仔犬がものすごくでっかい犬に成長しているといったプロローグなども、サイレントならではのギャグ、サイレントならではのイメージのエスカレーションで笑わせた。それで思いだされるのは――いや、いまだ見ぬ映画であり、おそらくはフィルムがもう存在せず、永遠に見られないだろう映画なのだから、あらかじめ失われた絶望的な追憶あるいはむしろ追慕にしかすぎないのだが――山中貞雄監督のあまりにも有名な『小判しぐれ』(1932)の伝説化された「流れて」「流れて」「此処(ここ)は」「何処(どこ)じゃと」「馬子衆(まごしゅ)に問えば」「此処は信州」「中仙道」という細分化された字幕と風景や人物の映像を簡潔にリズミカルにからめた新鮮なモンタージュである(とあたかもすでに見たような気分になる!)。「清冽な抒情詩さながらのリズムの美」と加藤泰監督(山中貞雄監督の甥でもあった)も絶讃するように(「映画監督 山中貞雄」、キネマ旬報社)、サイレント=無声ならではのものだろう。
トーキー映画においても、ひとつの典型的な例がヒッチコックのどの作品でもいいのだが、すぐ思いだされるのは『マーニー』(1964)のヒロイン(ティッピ・ヘドレン)が会社の金庫から金を盗み、ハイヒールをぬいでコートのポケットに入れ、そっとオフィスから抜け出ていくときの息を殺したサイレントのシーンのサスペンスなど、音声を禁止された状態こそ映画の真髄なのだと思わせる。まさに「沈黙は金」なのである!
(国立近代美術館フィルム・センター「NFCニューズレター」より) |
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