Back Number
プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-
第17回 チェコアニメの夏
第18回 生きた、愛した、歌った。
第19回 『十七歳』を忘れないために
第20回 日常の映画的冒険







Profile
柳下美恵 (Yanashita Mie)


無声映画伴奏者。武蔵野音楽大学器楽科(ピアノ専攻)卒業。西武百貨店『スタジオ200』に勤務後、欧米では一般的な上映形態となっている、ピアノ伴奏付きサイレント映画を目指して研鑽を積む。宮崎、大阪、仙台などの映画祭で演奏するほか、アテネ・フランセ文化センター、東京国立近代美術館フィルムセンターなど、フィルムアーカイブでもシリーズで出演。また、弁士との共演も多い。演奏活動のほか、1920〜30年代を中心に往年の映画を上映する会「活動倶楽部」の運営など、幅広く活躍している。
http://www.ltokyo.com/yanasita/
miespick.html

「サウンド・オブ・サイレント」柳下美恵

無声映画伴奏ピアニストの柳下美恵さんが、無声映画15作品の音楽をオリジナル曲で構成した、ピアノソロCD「サウンド・オブ・サイレント」をリリース。グレタ・ガルボやリリアン・ギッシュ出演のうるわしきメロドラマから、チャップリンやキートンの抱腹絶倒のコメディまで、無声映画の多彩な魅力がピアノで楽しめる。

LAZULI-0406 定価2,500円(税込)。
詳細はhttp://www.ltokyo.com/yanasita/
miespick.html


〜CD発売記念イベント〜
柳下美恵「サイレント・シネマ・ナイト」
●第1夜「洋の日」8月19日(木)東京・渋谷「公園通りクラシックス」
●第2夜「和の日」9月3日(金)東京・門前仲町「門仲天井ホール」
問合せ:silent-cinema@bluear.com
 古い映画に新しさを、あるいはむしろ映画の真髄を見出そうという映画同好会「活動倶楽部」の運営にもかかわり、サイレント映画のピアノ伴奏をつづける柳下美恵さんにささやかなインタビューを試みた。近く柳下さん自身の作曲・ピアノ演奏によるサイレント映画音楽集「サウンド・オブ・サイレント」もCDで発売されるという(この原稿がネットにのるころにはすでに発売されていると思う)。

――いつごろからか、柳下美恵さんのピアノ伴奏でサイレント映画を見るのをたのしみにしてまいりました。柳下さんのピアノ伴奏のおかげでサイレント映画を見るのがますますたのしくなったと言ったほうがいいかもしれません。「活動倶楽部」でサイレント映画を上映するときはもちろん、東京国立近代美術館フィルムセンターのサイレント映画特集や、いまやあちこちで催されている活弁付きのサイレント映画の上映会でも「ピアノ伴奏・柳下美恵」の名が見られます。アテネ・フランセ文化センターにおける「サウンド・オブ・サイレント」は活弁ぬきで柳下さんのピアノ伴奏だけのサイレント映画の上映会ですね。
 たぶんピアニストとしての夢と映画への愛を一体化したお仕事かと思われますが、肩書きとしてはどのようなものになりますか。


柳下 肩書きは通常「無声映画伴奏者」にしております。

――ピアノの稽古をはじめられたのはいつごろからですか。

柳下 ピアノレッスンは5歳のときからですが、その前にソルフェージュ(音楽理論)というか、リトミック(身体を使った音楽教育)を3歳からはじめました。もちろん、最初からサイレント映画の伴奏というものを考えていたわけではありませんが……。

――映画を意識しはじめた、というか、まず単純に映画ファンになったのは、いつごろからですか。どんな映画がお好きでしたか。

柳下 映画を本格的に見はじめたのは非常に遅いのですが、大学に入ってからなんです。

――大学は、たしか、武蔵野音楽大学器楽科(ピアノ専攻)でしたね。

柳下 そうです。それまではクラシックばかりをやってきたのですが、大学に入学して開放された気分でクラシック以外のいろいろなものに興味を持つようになりました。同級生のなかに映画好きがいて、学生映画祭8ミリ映画の上映会に誘ってくれました。そこで見て印象に残った作品のひとつが『東京白菜関K者』(1981)という映画でした。のちに知ったのですが、主役を演じたのがのちの芥川賞作家、保坂和志さんでした。保坂さんは私が大学を出て就職することになる西武百貨店のコミュニティカレッジの担当でしたので、不思議なご縁です。また、監督はのちに『独立少年合唱団』(2000)で評価される緒方明さんだったとのことです。

――そのようにして、いろいろな映画を見はじめた大学時代に、ほかに、ふつうの映画館で見たもののなかではどんな作品に感銘をうけましたか。

柳下 たとえば、『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督、1967)や『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー監督、1969)のようなアメリカン・ニューシネマといわれるものです。そして、大学を卒業して会社勤めをするようになってからは職場(西武百貨店文化事業部)の影響もあって、アート系の映画も見るようになり、『昼顔』(ルイス・ブニュエル監督、1967)、『恋のエチュード』(フランソワ・トリュフォー監督、1971)、『ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ監督、1973)、『ノスタルジア』(アンドレイ・タルコフスキー監督、1983)、『三人の女』(ロバート・アルトマン監督、1977)などを見て感動して、それぞれの監督の他の作品も意識して見るようになりました。

――西武百貨店文化事業部が池袋西武百貨店にスタジオ200を開設して、映画上映会を定期的に催していたころですね。

柳下 スタジオ200の開館は1979年11月で、私は84年2月から学生アルバイトで働きはじめ、4月からは卒業と同時に契約社員で入社しました。最初は主にスタジオ200で受付や雑務全般をしており、夜のイベントが多かったので、時間を見つけては映写室から映画を見たり、いろいろなライブやパフォーマンスを見たりしていました。大学までは音楽といってもクラシックしかわからなくて、何か他の分野や世界ものぞいてみたいと思っておりましたので、スタジオ200は私には最適の場所だったような気がします。後期の88年ごろからは映画の上映企画にもたずさわることができました。そして私の感性の多くの部分があの会場で養われたと思います。スタジオ200は西武百貨店の経営が傾いて91年12月に閉館になりましたが、いまのミニシアターのはしりでしたね。そのころのメンバーがのちにシネセゾン(いまはもうなくなってしまいましたが)、銀座セゾン劇場など、いくつかの重要な拠点を生み出しました。

――スタジオ200の映画会では日本映画の特集上映などもやっていましたね。古い日本映画の名作やカルト的な作品なども。

柳下 スタジオ200ではないのですが、キネカ大森のほうで山中貞雄監督の『丹下左膳餘話 百萬両の壷』(1935)を見てすごく感動したのも、そのころです。

――柳下さんの最もお好きな映画の1本とのことでしたね。西梧郎の音楽もたのしくて。

柳下 『丹下左膳餘話 百萬両の壷』は私のベスト5に入る作品で、といっても好きな映画はたくさんあるので、あまり優劣はつけられないのですが、西梧郎さんの音楽も聴くたびにしあわせな気分になります。

――「極楽コンビ」、高勢實乗と鳥羽陽之助のコンビのクズ屋が出てくるときのテーマなど単純なメロディーで、あとで知らぬ間に口ずさんでいるくらい印象的ですね。つい先だってケーブルTVの「時代劇チャンネル」で梶原金八原作・脚本ですから、山中貞雄監督を中心にしたグループ「鳴滝組」の作品の1本ですが、『江戸の春遠山櫻』(荒井良平監督、1936)を見ていたら、高勢實乗を鳥羽陽之助のコンビが駕籠屋になって出てきて、やっぱり同じテーマが、つまり『丹下左膳餘話 百萬両の壷』のクズ屋のテーマと同じメロディーが、流れるんですよ。極楽コンビのテーマなんですね、あのメロディーは。

柳下 高勢實乗と鳥羽陽之助の2人組は「極楽コンビ」として山中貞雄監督の『國定忠治』(1935)から定番になったと梶田章さんがおっしゃってました。そのときもやっぱり駕籠屋のコンビで、彼らが登場するとかかる音楽が例の『丹下左膳餘話 百萬両の壷』と同じ音楽だったそうです。

――梶田章さんは「大河内傳次郎 人と作品◎その魅力のすべて」(朝日ソノラマ)というすばらしい本を書いていますが、映画史のすべてに精通されている方ですね。先日も、「活動倶楽部」の例会で伊丹万作監督のナンセンス時代劇で幻の名作(全篇が残っていないんですね)、『國士無双』(1932)の短縮版を梶田章さんの提供と解説で見せていただいたのですが、このときの、たぶんほとんど即興の柳下さんのピアノ伴奏もすばらしく、伴淳三郎扮する髪もひげもぼうぼうの仙人が囲炉裏の鍋のふたを手に取って、「いざ、どこからでも打ち込んでまいれ」と身構えたとたんに、高勢實乗に薪でポカリと頭を打たれて、あっさりぶっ倒れてしまうところなど、ピアノの鍵盤のひと突きで、オタマジャクシがピョンととんでひっくり返るような効果のおかしさがあって、大爆笑でした。

柳下 ありがとうございます。以前に小津安二郎監督の『突貫小僧』(1929)で、突貫小僧が坂本武扮するやくざの親分のところどころ禿げた頭に吸盤つきのおもちゃの矢を投げて見事に命中するシーンにも同じ手を使って好評を得たものですから。

――あ、そうでしたね。映画を見るたのしみがそんな音楽ひとつだけでもふくらみますね。
 『丹下左膳餘話 百萬両の壷』が柳下さんにとってのベスト5の1本として、あとの4本は何ですか。

柳下 ロベール・ブレッソン監督の『抵抗』(1957)やフリッツ・ラング監督の『死滅の谷』(1921)、成瀬巳喜男監督の『浮雲』(1955)や川島雄三監督の『しとやかな獣』(1962)などが大好きです。

――「無声映画伴奏者」を志したのは、いつ、どんなことからですか。

柳下 もしかしたら、スタジオ200で公開されたオランダ映画(映像と音楽だけで構成された作品でした)、『イリュージョニスト』(ヨシュ・シュテリング監督、1983)を見て感銘をうけたことがいまの私の仕事につながっているかもしれません。しかし、直接的なきっかけというのは、スタジオ200が閉館になって、私も会社を辞めることになり、まとまった時間ができて、1992年10月から93年1月にかけて東京・竹橋の東京国立近代美術館の講堂でおこなわれた連続上映「孫瑜(スン・ユイ)監督と上海映画の仲間たち」に通って、『スポーツの女王』(孫瑜(スン・ユイ)監督、1934)とか『おもちゃ』(孫瑜(スン・ユイ)監督、1933)など無声映画を何本かつづけて見たときに、伴奏音楽なしの完全なサイレントだったので、客席のあちこちで人の寝息やごそごそ身動きする音などが気になって、映画に集中できなかったんですね。そのとき、この状況をなんとかできないかと思いました。

――たしかに、あの特集はめずらしい作品ばかりで大入り満員のときも多かったと思いますが、初期の無声映画はただもう沈黙の連続で、私もかなり睡魔とのたたかいに苦しんだ記憶があります。伝説の女優、玩玲玉の『おもちゃ』など、たのしみにして見に行きました。『おもちゃ』は、たしか、その後、京橋のほうのフィルムセンターで雪曹晶という人の胡弓による伴奏で、また見ることができて、ピアノとはまた違ったいいムードで感動しました。

柳下 私も雪曹晶さんの演奏で拝見しました。とても自然な演奏で素敵でした。先日、レコード店で彼がTBSテレビの「NEWS23」のテーマ曲を弾いているCDを見つけました。

――そもそも、映画が発明されたときから、エジソンののぞき式のキネトスコープもリュミエールの映写式のシネマトグラフも、伴奏音楽つきで公開されたわけですね。映画以前の、アニメーションの元祖とみなされているフランスのエミール・レイノーのプラキシノスコープをパリの蝋人形館で1890年から上映したテアトル・オプチック(というのは「光のパントマイム」などともよばれた興行のはじまりだそうです)からしてピアノによる伴奏がついていたとのことですね。

柳下 1985年12月28日、パリのグラン・カフェの「インドの間」でルイ・リュミエールが自分たちの工場を撮影した『工場の出口』をはじめとする短い記録映画も、ピアニスト兼作曲家のエミール・マラヴァル氏のピアノ演奏とともに上映されたそうです。

――ピアノ伴奏が最初からついていたんですね。1910年代のアメリカのニュース映画にも、初期の映画館で女性ピアニストがスクリーンを見ながらたぶん即興で画面に合わせて伴奏している光景が見られますね。柳下さんのお仕事はまさにそんな原初からの映画的伝統を引き継いでいるのではないかと思います。

柳下 さいわいにも私は無声映画の伴奏を志すようになって、横溝良夫さんが主宰されていた「名作無声映画を見る会」が終了するという記事を読み、江戸川区小岩まで出かけて行ってお話をうかがったことが思い出されます。1992年12月のことでした。資料をいただきながら関係者の方ともお話をすることができ、その後引き継いだ会に参加させていただけて、ピアノ伴奏をはじめることができました。そしてその会がいまの「活動倶楽部」に発展しました。

――「活動倶楽部」のそもそもの根っこは「名作無声映画を見る会」だったんですね。たしか、元フィルムセンター主幹の鳥羽幸信さんもかかわっておられたのではありませんか。

柳下 もともとは江戸川区主催で、鳥羽幸信さん、外資系会社に勤めていて外国語の翻訳ができた横溝良夫さんとおふたりではじめられた会でした。

――鳥羽幸信さんはよくご自身で活弁をやられましたね。往年のなんとかいう名弁士の映画説明をすべてノートにメモされていて、その弁士の名調子を再現しながら、ジェームズ・クルーズ監督の名作『幌馬車』(1923)など本当に名調子でやって忘れがたいですね。

柳下 残念ながら、私は鳥羽さんの名調子は聴いたことがありません。お亡くなりになっていたので。私がサイレント映画の伴奏音楽をはじめたころにはもう他界されていたと思います。私が「名作無声映画を見る会」を知ったころには、今年4月で満96歳になられた当会「活動倶楽部」の特別顧問の横溝良夫さんおひとりで運営されていましたが、やがて江戸川区が手を引くことになって閉会することになったようです。その後、その会員だった若い神林康次君が自分の得意分野の1930年代、40年代のアメリカ映画を中心に小岩でビデオ上映をつづけておりましたが、日本語字幕のないものを上映していたためか、お客さんが回を追うごとに減っていきました。そこで、やはり「名作無声映画を見る会」の会員だった宮下啓子さんが無声映画に大変くわしかったのと、私も無声映画の伴奏をやりたかったこともあって、神林君に働きかけて、宮下さんの得意分野も神林君の得意分野も生かせるような形で、1920年代、30年代中心のクラシック映画の上映会「活動倶楽部」を立ち上げたんです。ほぼ月1回のペースで上映会を催して、今年の8月で6周年になります。1998年8月の上映会が初回でした。

――初回にはどんな作品を上映されたのですか。神林氏の前説があって、宮下さんの活弁と柳下さんのピアノ伴奏というトリオの会のはじまりですね。

柳下 第1回は『パンドラの箱』(G・W・パプスト監督、1929)でした。その回は、私は裏方で走りまわっていたこともあり、「名作無声映画を見る会」で音楽を選曲なさっていた三好昌尚さんに伴奏音楽を選曲していただきました。三好さんは音楽にも映画にも造詣が深い方で、現在は「活動倶楽部」の開演から開場までの「暗くなるまでのお楽しみ」の音楽を選曲してプログラムのなかに三好未生さんというペンネームで解説していらっしゃいます。

――毎回、「活動倶楽部」のプログラムの充実ぶりには感嘆しています。映画のプログラムでもこれほど読んでおもしろく、役に立つものはめったにないと思います。
 ところで、サイレント映画の伴奏音楽のテキスト、教本のようなものはあるのでしょうか。

柳下 サイレント映画の伴奏の教本は日本でも簡単なものは出ています。私も伴奏をはじめたころはその参考書をもとに選曲しておりました。ラブシーンにはブラームスのワルツとか、戦闘シーンにはベートーヴェンの「月光のソナタ」の第3楽章とか、何曲かが選曲されていて、私はそれにさらに映画に合うような曲を自分なりに選んであてたり、作曲したりするようになりました。たしか1993年ごろだったと思いますが,サイレント映画の伴奏をしたいと思いながらも何をどうしていいのかまったくわからず、本当に手さぐり状態で、そんなときに、偶然、春先でしたが、旅行するチャンスがあってイギリスを訪れ、大英博物館に行きましたら、そこに図書館が併設されていました。片言の英語で入館証などつくってもらって入ってみると、そこにはD・W・グリフィス監督の『国民の創生』(1915)の主題曲の楽譜やその作曲者のジョゼフ・カール・ブリエルという人の「サイレント映画伴奏集」などがあり、なんか、とっても興奮した覚えがあります。旅行中だったのに、翌日もその図書館に通ったように思います。映画博物館にも訪れました。そこに映画上映のスケジュール表も置いてあり、夏にはサイレント映画特集をやるとのこと。しかも伴奏のピアニストも来ると書いてありました。さっそく夏にまたイギリスに行き、サイレント映画をつづけて何本も見て、図書館にも通い、写譜をしました。そのなかでいちばんメインになっていたのが『第七天國』(フランク・ボザーギ監督、1927)のオーケストラ演奏というもので、たしかウォータールー橋を渡ったところにある大きなホールで見たような記憶があります。

――『第七天國』は公開当時の美しい染色版でピアノ伴奏の入ったものを私も見たことがあります。ラストのチャールズ・ファレルが盲目になってジャネット・ゲイナーの待つわが家に帰ってくるところには女性のボーカルが入って、涙なくして見られない美しいシーンになっていますね。

柳下 私が見たオーケストラ演奏の『第七天國』には女性のボーカルはなかったのですが、生の迫力があって、とても感動をしたのを覚えております。私がいまもサイレント映画の伴奏の教本として大事に所有しているのは、その『第七天國』の主題曲を書いたエルノ・ラペーが編纂した「Motion Picture Moods」という700ページぐらいの本です。

――柳下さんがご自分で選曲、作曲をなされて「無声映画伴奏者」として本格的な仕事をなされるのはいつごろからですか。

柳下 1995年に映画生誕百年のイベントが朝日新聞主催でおこなわれ、ルイ・リュミエールやリュミエール社のキャメラマンが世界各地で撮った103本の映画(1本約45秒)を上映し、幸運にも私が伴奏者として選ばれて、山形ドキュメンタリー映画際を皮切りに高知、郡山、名古屋、東京と伴奏をつづけ、またその間に東京・京橋に戻ったフィルムセンターの企画で、「闇と音楽」というサイレント映画の催しがはじまり、こちらでもピアノを弾く機会をいただけました。
 初めての大仕事で、リュミエールの映画の伴奏音楽にはとくにエネルギーを注いだと思います。1分足らずの作品に、1本ずつ、全部で103本、すべて違う音楽をつけました。たとえば日本に来て撮った『かっぽれ』という作品(1898年から99年にかけて撮ったものです)には「かっぽれ」のレコードを聴いて、それに合うようなフレーズをつけたり、カンボジアで撮影された作品(『ノロドム国王のカンボジア・ダンサー』、1899/1900)には民族音楽のレコードを聴いて参考にしたり、もちろん「Motion Picture Moods」からも選曲しました。簡単な作曲をしたりしたものもあります。そのうち、さまざまなサイレント映画に音楽をつけるようになると、選曲するのにとても時間がかかり、それでいてぴったり合うものがなかったりというような状況があり、しだいに自分で曲を作るようになりました。2000年5月に宮崎で公演をしたときには、ハロルド・ロイドの『要心無用』(フレッド・ニューメイヤー、サム・テイラー共同監督、1923)をほぼ自分のオリジナル曲で構成しました。

――『要心無用』は数年前にロイド財団が復元したハロルド・ロイドの長篇全作品のビデオ化「ハロルド・ロイド作品集」の1巻として出たものが画質も最高で、ピアノによる伴奏音楽もなかなかのものでした。ぜひ柳下さんの伴奏で、あらためて見たいですね。

柳下 私もロイド財団の伴奏つき復元版はぜひ見てみたいものです。

――柳下さんの曲は、たぶん、近くCDで聴くことができますね。たのしみにしています。


柳下 ありがとうございます。ロイドの『要心無用』やD・W・グリフィス監督の『散り行く花』(1919)、溝口健二監督の『瀧の白糸』(1933)など15作品の伴奏音楽を収めた約1時間ほどのピアノソロ・アルバムです。発売記念イベントも予定していますので、どうぞよろしくおねがいいたします。

(つづく)

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