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プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-
第17回 チェコアニメの夏
第18回 生きた、愛した、歌った。
第19回 『十七歳』を忘れないために
第20回 日常の映画的冒険





『オーシャン・オブ・ファイヤー』
発売:ブエナ ビスタ
¥3990(税込)
8月18日発売
 『オーシャン・オブ・ファイヤー』(ジョー・ジョンストン監督、2004)の公開初日(4月17日)に駆けつけた。

 すばらしい。理屈なしの素朴な映画的興奮にみちた傑作だ。アメリカ映画から失われかけ、そしてふたたび見出されつつあるかにみえる開拓西部劇の単純で力強い精神と活力が完全によみがえったと言いたいくらいだ。

 アジアの広大な砂漠を背景にした冒険活劇、『MUSA(武士)』(キム・ソンス監督、2001)や『ヘブン・アンド・アース (天地英雄)』(フー・ピン監督、2003)をしのぐ、これは本物の――韓国映画でもなく中国映画でもない――アメリカ映画だ。とはいえ、ドラマの舞台はアラビア砂漠で、開拓精神にあふれたアメリカ映画が「アジア戦略」を超えて、さらなる新天地を発見したかのような、オリエンタル西部劇である。

 かつて『曠原の志士』(キング・バゴット監督、1925)や『シマロン』(ウェズリー・ラッグルス監督、1931)に描かれたような馬や馬車を連らねて土地所有権を競うオクラホマのランド・ラッシュや、『アイアン・ホース』(ジョン・フォード監督、1924)や『大平原』(セシル・B・デミル監督、1939)に描かれたようなアメリカ大陸横断鉄道建設工事の競争や、『赤い河』(ハワード・ホークス監督、1948)に描かれたようなテキサスからミズーリへの牛群移動(キャトル・ドライヴ)に代わって、アラビア半島最南端のアデンから灼熱の砂漠を越えてシリアのダマスカスに至る3,000マイル(約4,800キロ)もの苛酷なホース・レースが描かれる。オアシスのない死の砂漠(ルブアルハリ)、一瞬にして町を消滅させる悪魔のような砂嵐(ジニス)、「毒の母」を意味する流砂地獄(ウルアルサミム)などに挑戦しなければならない「オーシャン・オブ・ファイヤー」(「炎の海」「火の海原」)とよばれる壮絶なサバイバル・レースだ。さらに、主人公の孤高のカウボーイ(ヴィゴ・モーテンセン)とその愛馬ヒダルゴ(「奇跡の野生馬(ムスタング)」として知られることになる)は、かつての西部劇におけるインディアンの襲撃さながらの邪悪な人間の陰謀がからんだクルド人の襲撃ともたたかわなければならない。

 アラブの族長、シークに扮する70歳をこえてかくしゃくたるオマー・シャリフの威厳のある存在感が印象的で、『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督、1962)で演じたベドウィンの族長以来の堂々たる好演だろう。いや、好演というより、まさにそのものずばりの存在感に圧倒される。因みに、ルドルフ・ヴァレンチノの美男シーク(『シーク』、ジョージ・メルフォード監督、1921)以来、Sheikはシークと表記されてきたが、この映画ではシェイクと発音されているように聞こえた(英和辞典には「シーク」と「シェイク」の両方の発音記号が付いている)。

 悪女に扮するルイズ・ロンバードという女優も印象的で、1940年代のハリウッドのフィルム・ノワールに出てきそうなブロンドの官能的な悪女、ラナ・ターナー的なアバズレを、単純に徹底的に演じてみせる。ストーリーも人物も単純そのもので、その単純さが力強さになり魅力になっているというかつての(といちいち言わなければならないのはさびしいかぎりだが)アメリカ映画ならではの美徳がそこに見出されよう。

 印象的といえば、馬がふりむくクローズアップだ。とても言葉では言いつくせない。たしかに、馬が何かを語りかけているのだ! 『シービスケット』(ゲイリー・ロス監督、2003)以上に、馬が美しく、感動的な好演だ。

 そして、もちろん、その、ヒダルゴの――5頭ものスタント馬(!?)が演じているという――奇跡的な疾走の軌跡が映画そのものの疾走感にもなっているのだ。


『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』
銀座シネパトスほかにて公開中
 癒しの「犬映画」(と朝日新聞のコラムでは総括されていた!)にうつつをぬかす日本映画のある種の傾向とは対照的に、「ホース・オペラ」というあからさまな蔑称でかつては総括されたこともある西部劇がアメリカ映画をダイナミックにゆさぶりはじめているようだ。ロン・ハワード監督の『ミッシング』(2003)は残念ながら見そこなってしまったのだが、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990)から『ポストマン』(1997)をへて近く公開される(この原稿がネットにのるころには公開されているかもしれないが)『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(2004)に至るケヴィン・コスナー監督・主演の西部劇も注目されていい。ややもすると愛国的なお説教じみたメッセージが浮いてしまうところが多少気にかかるとはいえ、それでも暗く陰鬱な、後味の悪さが新しさであり知的でもあるかのような、クリント・イーストウッド的ポスト・モダニズムによる西部劇への挽歌(『許されざる者』、1992)よりは好もしく思われる。というのも単純にストレートにアメリカ的な、「正統派の」西部劇の流れを感じさせるからだ。

 前半の「人間」ドラマがもたつくのだが、「馬」のドラマになってからの二段構えのハッピーエンドがうれしい『シービスケット』のような競馬映画もアメリカ映画の希望だ。ジョン・フォード監督の『香も高きケンタッキー』(1925)やフランク・キャプラ監督の『其の夜の真心』(1934)を想起させるアメリカ的な、アメリカ映画ならではの「まごころ」映画の美しさに感動した。温故知新!




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