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プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-
第17回 チェコアニメの夏
第18回 生きた、愛した、歌った。
第19回 『十七歳』を忘れないために
第20回 日常の映画的冒険






『永遠(とわ)の語らい』
シブヤ・シネマ・ソサエティにて公開中
 東京・日比谷のシャンテ・シネで見たポルトガルの巨匠、というよりも95歳の世界最長老の現役監督、マノエル・ド・オリヴェイラの『永遠(とわ)の語らい』(2003)は、思いがけない(などと言っては失礼ながら)ヒットという現象もふくめて、最もおどろくべき映画だ。どんな物語かはこれから映画を見る人のために(まだしばらくは映画館で上映されそうだし、少くともそのあとビデオ/DVDでは見られることになるだろうから)ふせておくとしても、そのおどろくべき展開には呆気にとられるだろう。ラストは唐突なようでじつは見事にさりげなくあちこちに敷かれた伏線は見てのおたのしみだが、船着き場で小さな漁船の舳先に縄で結びつけられた小犬が、船が波でゆれるたびにひっぱられて海中に落ちそうになりながらも必死にふんばるところとか(ここは小犬にほとんど同化してすごいサスペンスを感じてしまう)、ジョン・マルコヴィッチ扮する船長が船客のひとりでヒロインのレオノール・シルヴェイラに「好意」を示すために彼女の小さな娘に人形を買うシーンのすれちがいの不安なキャメラの長回しとか、豪華客船のレストランでアメリカ俳優のジョン・マルコヴィッチ船長がフランス女優のカトリーヌ・ドヌーヴ、イタリア女優のステファニア・サンドレッリ、ギリシア女優のイレーネ・パパスをテーブルに招いて愛想をふりまき、それぞれ自国の言葉で――ジョン・マルコヴィッチは英語で、カトリーヌ・ドヌーヴはフランス語で、ステファニア・サンドレッリはイタリア語で、イレーネ・パパスはギリシア語で――勝手気ままに「女の時代」を誇らかに語り合い、そのいかにも「知的な」会話につづいてイレーネ・パパスが「北風よ、やさしく吹いておくれ……」などと恥ずかしげもなく歌うシーンに至って「神の怒り」を招くにちがいないと思わせる不吉な予感など、あまりにもさりげなく残酷で、これほどわがままに自由に映画をつくってきた(そのせいか、年齢とともに若々しくなる)監督もいないのではないかと思わせた。

 東京・赤坂の国際交流基金フォーラムで催された「イラン映画祭2004」(6月4日‐13日)で見た『ホルシッド船長』(ナセール・タグヴァイ監督、1987)もちょっとおどろくべき映画だった。豪快な活劇と言ってもいいような堂々たる娯楽映画だ。ハワード・ホークス監督の『脱出』(1944)やマイケル・カーティス監督の『破局』(1950)の原作でもあるアーネスト・ヘミングウェイの小説「持つものと持たざるもの」の映画化である。たしか1975年のカンヌ映画祭でイラン映画の特集上映があり(イランとフランスと西独の合作映画『オーソン・ウェルズのフェイク』が話題になった年だった)、虐げられた農民がラストは孤高の殴り込みに命をかけるといったイラン版任侠映画の数々を見て圧倒されたことを思いだした。


『世界の中心で、愛をさけぶ』
渋谷シネタワーほかにて公開中
 日本版『ある愛の詩』の傑作とも言うべき(雨の「映画的な」効果や風にさわぐ木々の枝や葉の影がピアノを弾くヒロインの手の甲に血管が浮かび上がるように死のイメージをつくりだす効果なども印象的な)『世界の中心で、愛をさけぶ』(行定勲監督、2004)やベルリン映画祭児童部門で特別推薦作に選出された『バーバー吉野』(荻上直子監督、2003)のようにヒットしてむくわれた作品は祝福されてしかるべきだが、『ワイルド・フラワーズ』(小林隆監督、2004)のようにもう少し注目されてもよかったのではないかと思われる作品も少くない。「児童売春容疑」で逮捕が報じられた(4月16日)今関あきよし監督の――これは一昨年の作品だが――じつにさわやかな青春映画『十七歳』(2002)にしてもそうだった。

 体調をくずして2か月近くダラダラと長引いた風邪のためにこの欄に書く余裕もなかったのだが、フランスの暗黒街映画の鬼才ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『賭博師ボブ』(1955)をニール・ジョーダン監督が洒落たタッチでリメークした『ギャンブル・プレイ』(2003)とか、実写の俳優とCGのキャラクターが見事にからみ合って『メトロポリス』(フリッツ・ラング監督、1927)を想わせる未来都市を舞台にたたかい、愛し合うエンキ・ビラル監督の官能的SF映画『ゴッド・ディーバ』(2004)とか(杉本彩の「過激な」熱演だけが目立った『花と蛇』などもこの手でつくられていたらと惜しまれる)、いつのまにか、人知れず、消えていってしまった作品もある。


『ベジャール、バレエ、リュミエール』
恵比須ガーデンシネマにて公開中
 バルバラやジャック・ブレルのシャンソンの名曲に合わせて魅惑のバレエの振付をして華麗なステージをつくっていくモーリス・ベジャールを描くドキュメンタリー『ベジャール、バレエ、リュミエール』(マルセル・シューバック監督、2002)、1950‐60年代のハリウッドの風格ある上質のメロドラマ、とくにヴィンセント・ミネリ監督の『肉体の遺産』(1960)や『明日になれば他人』(1962)にも似たいいムードのなかでニコール・キッドマンの魅力に圧倒されたロバート・ベントン監督の『白いカラス』(2003)、4つの時代を同時進行で描くという前人未踏、空前絶後の試みとして知られたD・W・グリフィス監督の『イントレランス』(1916)をオタール・イオセリアーニ監督ならではの諧謔味あふれるタッチでリメークした、というか、イオセリアーニ版『イントレランス』とも言うべき『群盗、第七章』(1966)をふくむ「イオセリアーニに乾杯!〜オタール・イオセリアーニ映画祭〜」など、すでに公開中で、試写室では至福の時間をすごし、できたら映画館でまた見たいと思っているのだが……。

 『ガキンチョ★ROCK』(前田哲監督、2003)という青春ロック映画は魅力的ながら正直のところここひとつといった感じだったが、その脚本家・長谷川隆氏の「キネマ旬報」における興味深い連載インタビュー「照明技師・熊谷秀夫 降る影待つ影」が最終回を迎えた。照明技師による光と影=映画のメイキングの秘密といったところ。「とりあえずの<最終回>」と長谷川隆氏も書いているように、たぶん単行本化される前に、インタビュー時の様子を撮影したビデオが「照明熊谷学校」のタイトルでまとめられ、公開されるという。

 DVDでは、「ルキーノ・ヴィスコンティ」「エリック・ロメール」などの画期的なコレクションがBOXで(いずれも紀伊國屋書店)、さらにおどろくべきことにはミロス・フォアマンのチェコ時代の『ブロンドの恋』(1965)と『火事だよ!カワイ子ちゃん』(1972)という日本未公開の必見の2本がBOX(未見のユライ・ヘルツ監督『高速ヴァンパイア』を加えて)および単品で(いずれもエプコット)、発売されたが、次回できちんと紹介したいと思う。




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