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『天気待ち 監督・黒澤明とともに』
文春文庫
¥670 |
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映画の現場について書かれた本のなかでも出色のおもしろさで話題になった「天気待ち」が文庫になった(文春文庫)。副題に「監督・黒澤明とともに」とあるように、『羅生門』(1950)でスクリプターとして黒澤明監督について以来、『白痴』(1951)をのぞくすべての黒澤作品にかかわってきた野上照代さんの著書である。著書というよりも、「絵と文」と記したいところ。挿絵も文章もじつにうまい。
「ただ一本の映画が私の人生の方向を決定してしまった」という。その一本の映画というのが伊丹万作監督の『赤西蠣太』(1936)であった。
「私は日本映画にこんなおもしろいのがあったのか、と驚嘆し、早速、京都に住む伊丹さんへファンレターを書いて」送り、ついに「弟子」あつかいされることになるのだが、そこまで彼女を走らせた映画のおもしろさを『赤西蠣太』のはじまりのこんな簡潔な描写で要約してみせる――「雨の中を俯瞰で番傘が二つ行く。雨に濡れる竹に雀の瓦。迷い猫が逃げ込む。番傘の二人が新参者の赤西蠣太のうわさをしながら長屋へ着く」。
まるで映画を見ているようだ。番傘を打つ雨の音まで聞えてくる。
『影武者』(1980)の勝新太郎降板事件の瞬間は、ぐっと時間をひきのばしてサスペンスあふれる筆致で描かれ、こんなふうにしめくくられる。
「俺はこういう役者だから、こんな気分では芝居なんか出来ない」
というようなことを、[勝新太郎さんは]口をとがらせ黒澤[明]さんに言った。
一瞬の間をおいて、黒澤さんは信じられないほど冷静な声で言った。
「それなら、勝君には止めてもらうしかないな」
と言い捨てるや、くるりと向き直り[中略]ふりむきもせずスタスタとセットへ戻って行った。私はその後姿に、“これでサッパリした。もうこんなのはごめんだね”という声が聞えてくるような気がしたのである。
「天気待ち」というこの本の題名は映画の撮影現場、ロケーションの用語から来ている。
撮影中の天気待ちは楽しい。一服できるというものだ。ルーペを目玉にくっつけて空を見上げている照明技師の小父さんが、
「こりゃ当分あかんなあ」と言えばしめたもの。
太陽は大きな雲の中に隠れてしまった。みんなはめいめい腰を下ろせるものを物色する……
というのが本書の書き出しである。
太陽が出ている昼間にレンズにフィルターをかけて夜のシーンを撮る「つぶし」の技法をフランスの映画用語では「アメリカの夜」ということから、フランソワ・トリュフォー監督が『アメリカの夜』(1973)と題する映画づくりの現場を描いた映画を撮ったことが思いだされる。
「天気待ち」には、こんな撮影のエピソードもある。『羅生門』で盗賊の三船敏郎が女(京マチ子)をひっぱって走るシーンがあり、「通常こういう時に人物を追うにはキャメラを移動車に載せてスタッフも遅れまじと走るものである」が、「黒澤さんは移動撮影なんかじゃスピード感は出ない、キャメラはパンしなければ、と言」って、キャメラを中心に円を描き、人物をキャメラと等距離で円く走らせたとのこと。そして「キャメラを360度パンすれば幾らでも走りつづけることができる」わけである。
キン・フー監督の『侠女』(1971)にも林のなかを追う者と逃げる者が疾走するシーンがあり、同じように――キン・フー監督の場合は穴を掘って、キャメラは穴のなかから穴の周囲をぐるぐるまわって走る人物を360パンして――撮影したという話を思いだした。そのとき、走る人物のクローズアップをつねにフォーカスを合わせて撮るために、穴のなかのキャメラから一定の長さの紐を人物に持たせて穴のまわりを走らせたという。『羅生門』では、「あの林の中をフルスピードで走るのだ」から、「京マチ子さんには足もとは見えないからといって、運動靴をはいてもらった」そうである! |
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