Back Number
プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-
第17回 チェコアニメの夏
第18回 生きた、愛した、歌った。
第19回 『十七歳』を忘れないために





『MUSA』
発売:ワーナー・ホーム・ビデオ
今夏発売予定
(C) 2004 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.
(C) 2001 CJ ENTERTAINMENT. All Rights Reserved.


『ヘブン・アンド・アース』
全国東宝洋画系にて公開中
 『グリーン・デスティニー』(アン・リー監督、2000)のチャン・ツィイーが出るというので、『MUSA(武士)』(キム・ソンス監督、2001)を見に行く(1月17日、新宿シネマスクエアとうきゅう)。韓国映画史上最高の製作費を投じたスペクタクル時代劇だが、誰もがこれは西部劇だと感じたにちがいない。「砂塵の中の騎馬戦、山道での奇襲作戦、馬車と騎兵の猛烈なチェイス、城砦をめぐる攻防と、西部劇さながらの多彩な戦闘を、キム・ソンス監督は身体技に徹した演出でぐいぐい見せる」(深津純子、「朝日新聞」)。「明(みん)の姫をまもる高麗人たち、それを襲う元(げん)の軍隊、という構図が中盤までにできあがり、後半は、古い砦にこもっての攻防戦となる。実は、ここにいたるまでも、『プロフェッショナル』('66)等々、さまざまな西部劇の記憶が刺戟されるなあと思いつつ見ていたのだが、この砦のたたずまいは、まるで『アラモ』('60)」(宇田川幸洋、「キネマ旬報」)といったふうに。

 まさに西部劇さながら、インディアンならぬ元の軍隊が待ち伏せする「赤い谷」を、幌馬車隊ならぬ明の姫(チャン・ツィイー)を護衛する高麗武士の一隊が疾走し、たたかいつつ、通り抜けていく見せ場もある。

 『ヘブン・アンド・アース(天地英雄)』(フー・ピン監督、2003)は、さらにいっそう、広大な砂漠を舞台にくりひろげられる新しい西部劇の時代の到来を予感させる(2月21日より公開)。中国語映画だが、コロンビア・ピクチャーズ・フィルムプロダクション・アジア・リミテッド(CPFPA)作品である。監督のフー・ピンはその北京支局長で、すでに10年以上前に『双旗鎮刀客』(1990)という「西部劇の匂いをさせた作品を監督していた」が、「この頃から、この作品の構想を持っていた」らしく、「紀元700年の唐(とう)の30余もの異民族たちの衝突が繰り返されていた西域を舞台にした”西部劇”だった」と新田隆男氏も書いている(「キネマ旬報」)。「砂煙があがり、走りこんでくる馬……冒頭に登場する人物の出し入れは、それが中国の物語であることを忘れさせるし、長安まで旅を続ける一行の姿には誰もが幌馬車隊を思い出すだろう」。

 『グリーン・デスティニー』と『HERO』(チャン・イーモウ監督、2001)につづくハリウッドのアジア戦略としては、『ヘブン・アンド・アース(天地英雄)』は「大型武侠映画」というより「西部劇に近い」と伊藤卓氏も書いている(「香港電影通信」)。「この映画は武侠映画の骨格をもつものの、そこに流れる血潮は西部劇なのだ」。

 『双旗鎮刀客』が紹介された時、そのあまりにも西部劇に似たテイストに驚かされたものだが、今回はさらに本格的だ。『双旗鎮刀客』がマカロニ・ウエスタンやサム・ペキンパー以降の比較的新しい西部劇を連想させたのに対し、『ヘブン・アンド・アース』はそれ以前、全盛期の西部劇を思わせる。[チアン・ウェン扮する勇敢な軍人]李がひととき滞在するかつての部下の住居、その緑滴る風情は西部劇における牧場そのままだし、キャラバンと群盗との戦いでは幌馬車隊とインディアンの攻防戦そのままの演出が試みられる。往年の西部劇の記憶を呼び覚ますのに充分なものがこの映画にはある。

 たしかに、数々の開拓西部劇の記憶がよみがえる。ジェームズ・クルーズ監督の『幌馬車』(1923)から、とくにセシル・B・デミル監督の『平原児』(1937)や『大平原』(1939)や『征服されざる人々』(1947)といったスペクタクル西部劇の記憶が。

 1903年、西部の実在の列車強盗団、ワイルド・バンチの最期を描いたエドウィン・S・ポーター監督の『大列車強盗』とともにはじまったアメリカの西部劇の歴史は、同じ列車強盗団の末路を描いた2本の西部劇、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『明日に向って撃て!』とサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』が出た1969年に実質的にその幕を閉じた。その後もほそぼそと西部劇はつくられているものの、クリント・イーストウッド監督のコミカルな『ブロンコ・ビリー』(1980)と陰々滅々たる『許されざる者』(1992)によってジャンルとしての息の根を止められた感じで、もはや西部劇はつくれない、それは死滅したジャンルだといわれ、一時はジョージ・ルーカス監督および製作の『スター・ウォーズ』とそのシリーズ(1977〜)とともに宇宙ものに新しい冒険の活路を見出したかに思われたが、それも尻つぼみになりかけていたところへ、アジアの砂漠地帯に大西部の風景と歴史にも似た活劇の場を発見したかのようである。




「スロウトレイン」に掲載の記事・写真・カット等の無断転載を禁じます。© Works m bros.