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プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-
第17回 チェコアニメの夏
第18回 生きた、愛した、歌った。






 映画の原作本とはいっても、「ポケミス名画座」と銘打ったハヤカワ・ミステリ(早川書房)のシリーズは、題名だけでも目をみはるすばらしさだ。
(1) 「ハイ・シエラ」(W・R・バーネット、菊池光訳)
(2) 「バニー・レークは行方不明」(イヴリン・パイパー、嵯峨静江訳)
(3) 「孤独な場所で」(ドロシイ・B・ヒューズ、吉野美恵子訳)
(4) 「狼は天使の匂い」(デイヴィッド・グーディス、真崎義博訳)
(5) 「刑事マディガン」(リチャード・ドハティー、真崎義博訳)
(6) 「らせん階段」(エセル・リナ・ホワイト、山本俊子訳)
(7) 「男の争い」(オーギュスト・ル・ブルトン、野口雄二訳)
 目下、刊行中なので、リストはまだまだつづきそうだ。映画のほうは(1)が1941年のラオール・ウォルシュ監督作品(ハンフリー・ボガート、アイダ・ルピノ主演)、(2)が1965年のオットー・プレミンジャー監督作品(ケア・ダリー、キャロル・リンレイ主演)、(3)が1950年のニコラス・レイ監督作品(ハンフリー・ボカート、グロリア・グレアム主演)、(4)が1972年のルネ・クレマン監督作品(ロバート・ライアン、ジャン=ルイ・トランティニャン、レア・マッサリ主演)、(5)が1968年のドン・シーゲル監督作品(リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ主演)、(6)がロバート・シオドマーク監督作品(ドロシー・マクガイア主演)、(7)が1955年のジュールス・ダッシン監督作品(ジャン・セルヴェ、ジュールス・ダッシン主演)。
 (1)(2)(3)(5)(6)がアメリカ映画、(4)(7)がフランス映画である。(5)のみカラー作品。映画ファンにはこたえられない作品ばかりだ。
『ハイ・シェラ 特別版』
発売:ワーナー・ホーム・ビデオ
¥1980
 おりしも、『ハイ・シエラ』がDVD「ハンフリー・ボガート コレクション」の1本として出た(ワーナー・ホーム・ビデオ)。原作者のW・R・バーネットが、ジョン・ヒューストンと共同で脚本も書いている。15分ほどのメイキング(というか、解説)の特典映像で、ハンフリー・ボガートがいかにしてこの作品でスターになったかが手際よく語られる。ワーナー・ブラザース社お得意のギャング映画のブームのはしりになった1930年のマーヴィン・ルロイ監督の『犯罪王リコ』(これもW・R・バーネットの原作だった)から、その主役を演じたエドワード・G・ロビンソンをはじめ、ジェームズ・ギャグニー、ジョージ・ラフト、ポール・ムニというワーナー・ブラザースのギャング俳優4人組がトーキー以後、1930年代のギャング映画の黄金時代を築いたこと、その間タフな悪役専門だったハンフリー・ボガートが1941年、『ハイ・シエラ』の主役を、ポール・ムニとジョージ・ラフトが蹴ったために、獲得するという幸運に恵まれ、これがワーナー・ブラザースのギャング映画路線の最後になり、この映画の撮影中に脚本家であったジョン・ヒューストンとハンフリー・ボガートの友情が芽生え、一躍スターになったボガートがギャング役から一転して私立探偵を演じることになるジョン・ヒューストン監督第1作『マルタの鷹』(1941)が生まれるまでのいきさつが、じつにおもしろく描かれている。
『黄金 スペシャル・エディション』
発売:ワーナー・ホーム・ビデオ
¥2980(税別)
 「ハンフリー・ボガート・コレクション」には、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート主演のコンビの最高作として知られる『黄金』(1948)の2枚組DVDもあり、その特典映像には2時間8分ものジョン・ヒューストン監督インタビューが収録されている。冒険好きのヒューストン監督の豪快な人生が語られていて、めちゃくちゃにおもしろい。そのおもしろさは、多彩なエピソードとともに、見てのおたのしみ、聴いてのおたのしみということにして、ヒューストン監督が映画にとって最も大事な要素が俳優であると考えていたことに注目したいと思う。というのも、いわゆるミスキャストはもちろんのこと、どんなに脚本や演出がすばらしくても、俳優によって映画が台無しになる例が、とくに最近の映画には、あまりにも多すぎるからなのである。「悪役よければ映画よし」というのはヒッチコックの名言だが、いわんや、主役よければ映画はそれ以上のすばらしさになる。演技の問題ではない。演技がどんなにうまくても、感情移入ができない俳優だと、観客は映画にのめりこむはできないだろう。「作家主義」の批評にあえて背向くようだが、「映画は俳優次第だ」というジョン・ヒューストン監督の断言には一理あるどころか、正鵠を得た真実があるような気がする。たとえば、ヒューストン監督は1953年にハンフリー・ボガートとクラーク・ゲーブルの共演で『王になろうとした男』を企画したが、いろいろな条件でこの夢の共演は実現せず、別の俳優で間に合わせてもろくな映画はできないと断念。しかし、映画化をあきらめたわけでなく、22年後になって、ショーン・コネリーとマイケル・ケインの共演でついに実現。『王になろうとした男』(1975)は、『黄金』とならぶジョン・ヒューストン監督の傑作になったが、それも俳優のおかげだとヒューストン監督は言うのだ。「1に俳優、2に俳優、3に俳優だ。映画は俳優のよしあしによって決まる」と。
 マキノ雅弘自伝「映画渡生・天の巻」(平凡社)に、こんなくだりがある。

 「父(牧野省三)はよくこう云っていた。ホン(脚本)さえよかったら、誰でもいい演出家になれる、と。1スジ、2ヌケ、3ドウサ――というのが父の映画憲法だった。スジとは筋すなわちストーリーの面白さ(つまり脚本)、ヌケとは画面がきれいにぬけていること(つまり撮影)、ドウサとは動作(つまり俳優の演技)で、これが――この順序通りに――父にとっては映画の3原則にほかならなかった。」

 この「日本映画の父」牧野省三監督の「映画憲法」がいまなお信奉されているようだ。日本だけでなく、ハリウッドでも(そもそも、この3原則そのものがハリウッドから生まれたものだろう)、シナリオが第一という鉄則が生きていることは、来日したプロデューサーや監督にインタビューをするたびに教えられた。だが、それも、脚本と撮影が絶対にすばらしいものというハリウッド的プロフェッショナリズムを前提にしてのことだろう。
 監督が、いいキャメラといい脚本(とくに自分で書いた自信作)があれば、どんな俳優でもいい映画をつくることができると思うのは、今日では、しばしば、傲慢すぎるような気がする。俳優もひどくなったこともあるのだが!




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