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プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-
第17回 チェコアニメの夏












『悪人と美女』
発売:ジュネス企画
¥4800(税別)


『悪人と美女』
 すでに公開中の映画なのだか、どうしても見たいもう一本の人間ドキュメントがある。ハリウッドの最後の風雲児といわれたプロデューサー、ロバート・エヴァンズの自伝的ドキュメンタリー『くたばれ!ハリウッド』(ブレット・モーゲン、ナネット・バースタイン監督、2002)である。『真実のマレーネ・ディートリッヒ』の試写のときにバッタリ会った白井佳夫氏も「ケッサクだぞ」と言った。「ロバート・エヴァンズってのは、カーク・ダグラスみたいにやりまくって、あばれ放題、言いたい放題」。

 「カーク・ダグラス自伝――くず屋の息子――」(金丸美南子訳、早川書房)の下品な痛快さがすぐさま想起されよう。

 折りしも、カーク・ダグラスがハリウッドのやり手のプロデューサーを演じてアカデミー主演男優賞にノミネートされた『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ監督、1952)がビデオで出た(ジュネス企画より、VHSで)。「自伝」によれば、「クラーク・ゲーブルが蹴ったという仕事の話が舞いこんできた」が、「私の役は“悪人”で、映画界の大立者だった」。

  “美女”役がラナ・ターナーと発表されると、業界紙は「このふたりが共演となれば……」といった類の記事を書きたてた。私もその意に添うのにやぶさかではなかった。ところが彼女のほうが当時、フェルナンド・ラマスと恋愛中で、この男がおそろしくやきもち焼きときていた。いつも近くにいるのだ。何ひとつ起きなかった。ラナのことは気にいった。ラナはあの映画では彼女最高の演技をしていたと思う。

 『悪人と美女』の名高い「走る車のなかのヒステリー・シーン」(the car-hysteria episode)など、まさに、ラナ・ターナーの「最高の演技」だろう。アル中の美人女優、ラナ・ターナーはプロデューサーのカーク・ダグラスの励ましと愛によって立ち直り、彼女の主演映画が仕上がった日、誰よりもカーク・ダグラスといっしょにシャンペンで祝おうと車を走らせ、彼の邸宅を訪れるが、カーク・ダグラスは別の女(忘れがたきわが美女、エレーン・スチュアート)といっしょだった。ショックのあまり、逃げるようにして邸宅を出たラナ・ターナーは自分の車にとびのり、涙が出るのをこらえきれずにアクセルを踏む。ゴージャスな白てんの毛皮のコートに身を包んだラナ・ターナーが、その輝くばかりの金髪を振り乱して、絶望的に泣き叫ぶ。そのヒステリックなたかまりを反映するかのように、夜のハイウェイを暴走する車はいよいよスピードを上げ、車窓の外に行き交う車のライトがはげしく閃光のように乱れ飛ぶ。警笛が鳴り、狂わんばかりのラナ・ターナーの号泣とともに、どしゃ降りの雨が車窓を打ちつける。かろうじてブレーキを踏む足。くずれおれるようにハンドルをかかえこむラナ・ターナー……。当時のハリウッドならではの見事なライティングによるセット撮影の勝利だ。

 この作品で、ロバート・サーティーズがアカデミー賞(第25回・1952年度)の白黒撮影賞を受賞したが、ほかにもチャールズ・シュニーの脚本賞、セドリック・ギボンズを中心にした美術・装置賞、ヘレン・ローズの衣装デザイン賞、グロリア・グレアム(彼女もまた、けだるくセクシーな、わが忘れがたき美女だ)の助演女優賞という輝かしい成果をあげている。カーク・ダグラスが主演男優賞にノミネートされたことはすでに述べたとおりだ。

 “悪人”カーク・ダグラスの悪らつぶりが見ものだが、カーク・ダグラスも「自伝」にこう書いている。

  ……当時のハリウッドの大立者は、確かに並みはずれて特異な人種だった。[ワーナー・ブラザースの]ジャック・ワーナー、[20世紀フォックスの]ダリル・F・ザナック、[MGMの]ルイ・B・メイヤー、それに[コロムビアの]ハリー・コーンも忘れてはならない――こうした大立者が権力をほしいままにし、無慈悲で身勝手な面をさらすのを、私自身も何度となく見てきた。

 『悪人と美女』でカーク・ダグラスが演じるプロデューサーのモデルになったのは、『風と共に去りぬ』(ヴィクター・フレミング監督、1939)の大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックとのことである。B級映画の製作からのし上がってくるところなど、じつにおもしろく描かれる。

 スタントマンから映画監督になったバリー・サリヴァン、アル中から立ち直って大女優になったラナ・ターナー、ハリウッドに招かれてシナリオを書いたあとピュリッツァー賞を受賞した小説家のディック・パウエルの3人のそれぞれの回想によって物語が語られ、展開していくという構成も、いまではやや古めかしく感じられるものの、当時のハリウッドならではの――『イヴの総て』(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ監督、1950)などもそうだったが、あるいは、もしかしたら、1951年度のアカデミー外国語映画賞を受賞した黒澤明監督の『羅生門』(1950)の影響もあるのかもしれない――ストーリー・テリングの巧みさで、電話(受話器のアップ)からはじまり、電話(受話器に三人が耳を寄せるクローズアップ)に終わるというプロットも見事だ。





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