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『映画の文体 テクニックの伝承』
行路社
¥2500(税別) |
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「映画の文体 テクニックの伝承」(行路社)は、映画評論家である前に詩人である杉山平一氏の映画芸術論集で、あとがきにも「詩論が映画論になったり映画論が詩論になったり、区別のつかぬものになり、どうも映画思考によって文学芸術を述べたり」と書かれているほどなのだが、「わからなさについて――ゴダール・トリュフォー・ベルイマン」という一文には、こんな示唆的な、あるいはむしろ刺激的なくだりもある。
わからないけれど、何となく面白い、意識の深層のなかで、応えるものがある、感動させる、そういうものが詩の世界であり、音楽の、文学の文体の世界であり、そういう不思議な調べの世界に映画が入ってきている。映画言語の調べが、そうさせるのである(140ページ)。
映画は面白ければ、それでいいのだと開き直る輩への鋭い警告になっている。というのも、つづけて、こうも書いているからである。
リップスの「美的享受は、客観化された自己享受である」(『感情移入論』)という命題が示すように、我々は、作品の中に、自己を見出す。わからないというのは、その中に自己を見出せないからであり、わかる、というのは、そこに自分を見出せたからであり、その作品を記述することは己れを語ることにほかならない。
映画に「意味」とか「社会性」などを求めずにはいられない人々や「映画学」論者やテーマ主義批評家へのラジカルな警告になっているくだりもある。序論に、いきなり、こう述べる。
……画面は視覚である。
……映画画面は具体的であるべきである。具体的なものが映画画面である。
……何かある思想を伝えるために、その媒介者として映像があるのではない。伝えるものは映像そのものである。そこにはじまって了るべきもの、それが映画の基本の性質と思う。
それは具体的な像であり情景である。我々はそれを見ようと欲し、映画はただそれを見せようとする。画面外のものを、もの欲しそうに、目的としているのではないと思う(5〜6ページ)。
「私の性質の多くは、年少のとき接したルネ・クレール、山中貞雄、小津安二郎、伊藤大輔あたりによって刷り込まれたもの」と書く1914年生まれの杉山平一氏だが、その批評精神の若々しい過激さは、いまなお――いや、いまこそ――新しく先鋭的のように思える。これから氏の「伊藤大輔論」や「小津安二郎論の繰り返しと反復」(吉田喜重の小津安二郎は、もしかしたら、これをヒントにしたものかもしれない!)を読むのもたのしみだ。
『サハラに舞う羽根』(シェカール・カプール監督、2002)の原作、A・E・W・メースンの血湧き肉躍る冒険小説(古賀弥生訳、創元推理文庫)が出た。私は、正直のところ、映画を見る前に――いわんや、映画を見たあとに――原作の小説を読む興味を持ったことはないのだが、これだけは例外だ。原題は『四枚の羽根』――四枚を「よまい」と読ませたのは、戦後、世界ロマン文庫(第1回配本がダフネー・デュ・モーリアの心ときめく「情炎の海」だった)の1冊として出たとき、いや、それ以前に、戦前(1939年)、ゾルタン・コルダ監督で映画化されたときだったのだろう。いずれにせよ、「四枚(よまい)の羽根」という題名からしてロマンチックに心を騒がせた。
戦後の映画ファンである私は、もちろん、ゾルタン・コルダ監督の名作『四枚の羽根』を見たのはずっとあとのことで、最初に見た映画化作品は、ゾルタン・コルダ監督作品のリメークで(メーソンの小説はサイレント時代から何度も映画化されていて、創元推理文庫版「サハラに舞う羽根」の尾之上浩司氏の解説によると、なんと5度目の映画化だという)、『ナイルを襲う嵐』(ゾルタン・コルダ監督が新鋭のテレンス・ヤングを共同監督に起用したテクニカラー、シネマスコープの大作、1955)で、これがいまなお忘れがたい最高傑作で、A・E・W・メースンの原作をどうしても読まずにはいられない衝動を与えた作品だった。いま、そのまま映画化するにはあまりにもロマンチックすぎる物語だが(今回の新作『サハラに舞う羽根』にも私はいち早く試写会に駆けつけたのだが、これから見る人たちのたのしみを奪わぬように余計なことは言わないことにしよう)、イギリスの冒険小説ならではの面白さに心ときめく。キプリングの小説(「王になろうとした男」)はもちろん、H・R・ハガード(「ソロモン王の宝窟」)、アンソニー・ホープ(「ゼンダ城の虜」)、コナン・ドイル(「勇将ジェラールの冒険」)、リチャード・ヒューズ(「ジャマイカの烈風」)、ジョン・バカン(「緑のマント」)等々とならぶ冒険大ロマンだ。
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『サハラに舞う羽根』
東京創元社
¥700(税別)
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『サハラに舞う羽根』 みゆき座ほかにて秋公開
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スーザン・ソンタグの評論集「他者の苦痛へのまなざし」(北條文緒訳、みすず書房)、ショーン・フレンチの「『ターミネーター』解剖」(矢口誠訳、扶桑社)などを多少とも紹介できないのは残念だが、試写で見たユイ・チョン監督の涙なくしては見られない『再見(ツァイツェン) また逢う日まで』(2001)とダルデンヌ兄弟監督の傑作『息子のまなざし』(2001)にもふれられなかったのも心残りで、とりあえず今回はここまでにしておこう。 |
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