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『天使ガブリエルと鵞鳥夫人』 |
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『悪魔の水車小屋』 |
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『真夏の夜の夢』 |
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『チェコアニメの巨人たち』
エスクァイアマガジンジャパン
¥1300
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「真夏の夜の夢 イジー・トルンカの世界」と銘打って、チェコアニメのもうひとりの巨匠、人形アニメのパイオニア的巨人、イジー・トルンカの長短17作品が見られるのも、特筆すべき映画的快挙だろう。
時ならぬチェコアニメの夏である――すでに「結んだハンカチ ティールロヴァーとチェコアニメ」と銘打って、トルンカ、ゼマンとともにチェコアニメの3大巨匠とよばれた女性監督、ヘルミーナ・ティールロヴァーの珠玉の短篇集の日本初上映もはじまっており、トルンカ・ゼマンの上映も加わって、さらに暑い、熱いチェコアニメの夏になることは間違いない。
いまにも動きだしそうな人形、まるで微笑んでいるような人形、美しく精巧にできた人形ほど、こわくて気味が悪い。
それが映画では、しばしば、生血を吸って動きだすのだ。江戸の見世物だったからくり人形(時代劇の捕物帳では殺人を犯すのだ)、腹話術師の人形(1945年のアルベルト・カヴァルカンティ監督の『真夜中の恐怖』では腹話術師が人形に復讐される)、バーバレラ(ジェーン・フォンダ)の美しい脚に噛みつく自動人形……。ミシェル・ピッコリの抱いたダッチワイフになると、人間にそっくりすぎて、なまなましすぎて、気色が悪いほどだ。
そんな「人間的な」人形とはうって変わって、イジー・トルンカの映画の人形はいかにも木偶の坊だ。生身の人間とは似ても似つかぬ、各関節で動くようになっているだけの物体のような存在で、どっしりと重く、どこかユーモラスで、のんびりと構えている風情がなんとも印象的だ。ときには『悪魔の水車小屋』(1949)――20分の短篇だが、息をのむ傑作だ――の巨大な毛虫のようにうごめき、とびはねる悪魔も出てくるが、わが最高のトルンカ映画『天使ガブリエルと鵞鳥夫人』(1964)――29分の短篇だが、どんな長篇劇映画をもしのぐドラマチックな見ごたえある大傑作だ――の悪魔的な生臭坊主ですら、天使の翼をつけたからといって軽々と空を飛べるわけではないのだ。
そこは人形だけが棲んでいる不思議の国のようだ。トルンカの映画世界では、人形たちのパフォーマンスがくりひろげられる。ほとんどが物言わぬ人形たちだが、『善良な兵士シュヴェイク』(1954)のように、とことんおしゃべりの人形もいる。
「チェコアニメの巨匠たち」(エスクァイアマガジンジャパン)という、体裁はブックレットだが内容はさながらチェコアニメ百科とも言うべきすばらしい一冊が出版されたが(企画・製作/高城昭夫、企画・監修/くまがいマキ、小宮義宏、編集/遠山純正、協力/木内昇、船積寛泰というスタッフに敬意を表したい)、そのなかに「造形作家としての」トルンカが「人形に対する強い思い」を語ったこんな言葉がある。
セルアニメでは絵はたえず動いている必要がある。止まった途端、命を絶たれてしまう。しかし、人形アニメーションでは静止状態のドラマのクライマックスが可能だ。ディテールがあり、人形は動かないが、ライトが人形に表情と命を与える。私は空間と光、つまり立体感を出せる方法を駆使したかったんだ。
トルンカの人形アニメーションの魅力が、じつは「ドラマのクライマックス」の瞬間に「人形は動かない」というところにあるのだという、おどろくべき秘密を明かしてくれる。
中世の騎士道物語を描いた長篇『バヤヤ』(1950)はロマンチックな叙事詩映画、「愛と勇気と詩情と魔法に満ちた物語」だ。
人形たちの狂宴を描いた長篇『真夏の夜の夢』(1959)は、暗い森のなかでくりひろげられる幻想的な仮面舞踏会の夜の悪夢のようだ。
ジョルジュ・サドゥールの「世界映画史」(丸尾定訳、みずず書房)によれば、美術史家で映画史家のエリ・フォールは1922年に「シネプラスティック」という表現で、「ドラクロワの心情と、ルーベンスの力強さと、ゴヤの激しさと、ミケランジェロの迫力とでもって、奥行きのある動きを与え、色彩の度合や半濃淡によって形を与え、現代の音楽家の手になる最も偉大な音響の交響曲よりも感動的な視覚交響曲」を生みだす「近い将来」のアニメーションの姿を「予言者的に想像していた」という。イジー・トルンカの人形映画がそのひとつの頂点になったことは周知のとおりである。 |
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