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プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか
第9回 映画の後で
第10回 映画戦線異状なし?
第11回 「映画」から遠く離れて
第12回 年末年始は映画三昧
第13回 いくつかの映画的「快挙」
第14回 『犬猫』『ヒッチコック・コレクション』『阪妻映画祭』など
第15回 ヌーヴェル・ヴァーグ再考
第16回 フランソワ・トリュフォー -わが人生の映画たち-













『グレースと公爵』
『グレースと公爵』
発売:紀伊國屋書店
¥4800(税別)
 エリック・ロメール監督の『グレースと公爵』(2001)がDVD化された(紀伊國屋書店)。作品のすばらしさや特典映像については後述するとして、いつもながら紀伊國屋書店ならではの至れりつくせりのDVD解説書に感嘆する。
 『グレースと公爵』はグレース・エリオットというフランス革命の動乱期を生きた王党派の英国女性の回想録(「グレースと公爵」、野崎歓訳、集英社文庫)の映画化で、背景が18世紀のタブローをもとにしているとのことなのだが、まるで木版画か線描画みたいな書割セットで、というのはこちらの浅薄な印象でしかなく、じつは最新のデジタルCG技術によって描かれた18世紀のパリの絵画的光景なのだと知っておどろかざるを得なかったものの、それにしても、どこかで見たことのあるような親しみのある映画的風景のような気がして、なつかしく思いだされたのがチェコのカレル・ゼマンの、アニメーションと実写が、渾然一体とは正反対に、まったくなじまずに当然のように同居している不思議な映画世界だった。とくにジュール・ヴェルヌ原作の『悪魔の発明』(1958)、『盗まれた飛行船』(1967)、『彗星に乗って』(1970)といった空想科学映画だ。エリック・ロメールもまた、『緑の光線』(1985)のなかに引用されていたように、ジュール・ヴェルヌの世界にとり憑かれていたのは偶然なのだろうか(「線の光線」そのものがジュール・ヴェルヌの小説の題名だ)。
 『グレースと公爵』のDVD解説書にはエリック・ロメール監督とのインタビューも採録されていて、こんな興味深いくだりがある。


――CG画像の採用はパリのハイパーリアリスティックな再現を可能にしました。あなたは逆に、情景=絵(タブロー)に真の絵画性(ピクチュアリテ)を保っています。

ロメール 私はタブロー(18世紀フランスの「マイナーな画家たちの絵」)から出発しています。最初のうち、諸タブローについてのドキュメンタリーだという印象を持ちます。その後で、諸タブローが生き生きと動き出します。リアリティの中に入り込むタブローではありません。その反対に、現実になるタブローなのです。俳優が「撮影された」感じになりすぎること、投光機の光を人々が感じることを私は望みませんでした。チーフ撮影技師の女性ディアーヌ・バラティエと一緒に、影と光に関して厳密に作業を行ないました。私がかつて[撮影監督]ネストール・アルメンドロスと実践した精神においてです。

――あなたにとって、デジタル画像はたんなる技術の問題なのですか。

ロメール ええ。デジタル画像とは何か。それはたんに複製において何も失われないことを可能にする方法です。そこに有用性があるのです。他方では、色彩をかなり大幅に調整できます。それに、例の有名な画像合成の可能性があります。つまりデジタル画像とは二つのことを意味します。第一に恒久的な複製を可能にするヴィデオ技術、他方で、カメラの小型化です。ビデオカメラには、より奥行きがあることを私は知っています。ビデオカメラにはより短いレンズがついているからです。この映画では、奥行きはむしろ、より絵画的になるように、あまり輪郭を見せすぎないようにした、照明の偏向に由来しています。


 翻訳がもたつく感じでわかりにくいところも多いのだが、まるでカレル・ゼマンのファンタジーのトリックについての説明を聞いているような錯覚に陥るくらいだ。しかし、もしかしたら、カレル・ゼマンこそ「デジタル画像」の生みの親なのかもしれない。
 走る列車や海上に浮かぶ客船や空を飛ぶ気球あるいは飛行船が、どれも線描画のような平面的な絵なのに、そのなかに、まさに最新のデジタル技術を使ったエリック・ロメール監督の『グレースと公爵』における俳優たちと絵の合成さながら、生きた人間たちがうごめき、背景のなかから出てきたり、そのなかに入りこんだりする。絵の窓から、生きた人間が顔をだすこともある。絵本のなかで、絵ではない生身の人物たちが自由に息づいているような、そんな不思議な世界だ。


『狂気のクロニクル』

『クラバート』

『ホンジークとマジェンカ』
 この夏、「幻想の魔術師 カレル・ゼマン レトロスペクティヴ」と銘打ったカレル・ゼマンの長短13作品が公開される(東京では[シアター]イメージフォーラムにて)。
 アニメーションの北風のおじさんがほっぺたをふくらませて強風を吹きつけるかと思うと、これもアニメーションのお天道さまがゲラゲラ笑うので、酔っぱらいがカッとなってボトルを投げつけると、お天道さまにこぶができるという、『月世界旅行』(1902)のジョルジュ・メリエス的ギャグもある。『狂気のクロニクル』(1964)はわがカレル・ゼマンの狂気の傑作だ。
 スクリーンを横切って飛ぶ鳥の群れも明らかにアニメーションなのだが、銃で射落としてみたら本物の鳥だった、というような特異な映像の魔術的世界なのである。『盗まれた飛行船』や『彗星に乗って』もまた、『狂気のクロニクル』とともに、それだけで、もう、魅惑の異次元だ。
 ところが、カレル・ゼマンの驚異の世界はそうしたトリック・ファンタジーだけではなかったのだ。今回、少なくとも私は初めて見た『鳥の島の財宝』(1952)や『前世紀探検』(1955)や『シンドバッドの冒険』(1974)や『クラバート』(1977)や『ホンジークとマジェンカ』(1980)のすばらしさに、単なる人形アニメや切り絵アニメであることも忘れて、圧倒された。いずれも長篇作品だが、その深く豊かな物語性と単純明快で力強い語り口に魅了される。もちろん、ユーモアもたっぷり、次から次へと話を盛り上げていく展開の見事さといったらない。
 おどろくべき冒険の数々に彩られた昔話やおとぎ話が語られる。なかでも、『クラバート』『ホンジークとマジェンカ』のおそろしい変身と恋の行き違いなど、究極の戦慄と感動の物語だ。カール・ハインツ・マレの「首をはねろ! メルヘンの中の暴力」(小川真一訳、みすず書房)の次のような「メルヘン」の定義が想起される。

 ……ドラマチックな物語、詩的な物語、恐ろしい物語、魅力あふれる物語――しかもそれらのいずれもが高い密度と、目を見はるような現実性を備えている。「メルヘンは太古の現代である」と、ゲーテは断定した。

 運命にみちびかれて旅に出た主人公が、夢とあこがれの海へ、妖精の森から悪魔の城へ、千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)の世界を、美しいけれども不気味な謎にみちた世界を、幻想的で詩的だがちょっとグロテスクなところもある世界を、ロマンチックに勇敢に修行と遍歴の時代として通り抜け、数奇な試練をへて成長していく。悪漢、サルタン、魔法使い、カラス、盗賊、人殺しのはびこる、まさにメルヘンの世界である。


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