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(13)のヒッチコックは、トリュフォーが「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」という1冊の本をつくったことからも、どんなにヒッチコックからその映画術を学んだかがわかります。たとえばヒッチコックの『裏窓』(1954)でグレース・ケリーが車椅子のジェームズ・スチュアートにキスをするために顔を近づけるところがスローモーションとコマ落としを合わせたみたいな、ぎくしゃくした映像になって「おや?」と思うんですが、その映像効果について興味深く、「あれはコマのばしですね」とヒッチコックに質問したりしているんですが、その手法を自分の短篇処女作『あこがれ』で、さっそく使っているんですね。少年があこがれの年上の女性の自転車のサドルに鼻を近づけてその残り香を嗅ぐところですね。ほんの一瞬ですが、比較しながらつづけて見てみましょう。 トリュフォーは、ごぞんじのように、ヒッチコックを、ジャン・ルノワールとともに生涯、師と仰いでいたわけですが、ヒッチコックのサスペンスを映画の演出の基本としてトリュフォーが見事に活用した最も成功した作品は、じつはヒッチコック的な題材によるスリラー映画、『裏窓』と同じ原作者、ウイリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の小説を映画化した『暗くなるまでこの恋を』や『黒衣の花嫁』(1967)ではなく、姦通つまり不倫を主題にした恋愛映画『柔らかい肌』ではないかと思います。姦通を、不倫の恋愛を、これほどサスペンスにみちたタッチで描いた繊細な映画もまれかと思われます。妻子ある中年男ジャン・ドサイが、若い愛人のフランソワーズ・ドルレアックとの関係がバレないように画策し、右往左往するのですが、そのサスペンスたるや、見ていてハラハラ、ドキドキします。とくにサイレントの、つまりせりふなしの、というか、せりふで説明しない、映像だけで、モンタージュだけで見せるシーンのサスペンスにみちた演出にはヒッチコックの教訓がすみずみまでゆきわたっています。『柔らかい肌』からワンシーン、見てみましょう。ジャン・ドサイは映画館で講演を終えて、すぐフランソワーズ・ドルレアックといっしょになろうと思っていたのに、講演会の主催者につかまり、「ビールでも飲もう」と誘われ、ことわれずに、いっしょにカフェに入る。映画館の前の広場には、講演会が満席で入れなかったフランソワーズ・ドルレアックがずっと待ちつづけている。もう夜で、外は暗く、人影もない広場にフランソワーズ・ドルレアックがポツンと寂しく立っている遠景がカフェのなかのジャン・ドサイの目から、とらえられる。フランソワーズ・ドルレアックに男が何か誘いの文句を言って近寄る。逃げるフランソワーズ・ドルレアックを男がしつこく追いかける。カフェのなかのジャン・ドサイはどうすることもできない。その間も、カフェのテーブルでは講演会の主催者が話しつづけているが、ジャン・ドサイは広場のフランソワーズ・ドルレアックのことで、気もそぞろというシーン。相手が何も聞いていないらしいことに気づいた主催者がやがてジャン・ドサイの落ち着かない様子を怪しむ……。ここはよくある内面の心理を説明するナレーションやモノローグによる心理描写などなしに、というのも、トリュフォーが忌み嫌った「フランス映画のある種の傾向」とは戦前からのフランス映画の主流だった文芸路線の言葉による心理描写であり、それは美しい言葉を信奉するフランス映画ならではの特質ではあったけれども(ジェラール・フィリップ主演の文芸ものなど、まさに美しい言葉による心理描写を中心にした映画ですね)、映画を映画的に解放するために、ということはより純粋に視覚的にすべてを表現することをめざしたわけです。その純粋に視覚的な映画表現の模範になったのがヒッチコックでした。
トリュフォーはヒッチコック映画の音楽家として有名なバーナード・ハーマンに、『華氏451』と『黒衣の花嫁』の音楽を依頼します。バーナード・ハーマンは、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941)の音楽からはじめて、ヒッチコックの『ハリーの災難』(1955)、『知りすぎていた男』(1956)、『間違えられた男』(1956)、『めまい』(1958)、『北北西に進路を取れ』(1959)、『サイコ』(1960)、『鳥』(1963)、『マーニー』(1964)の音楽を担当しています。そのバーナード・ハーマンの音楽によって、トリュフォーはヒッチコック的な雰囲気を自分の作品のなかにとりこもうとします。『黒衣の花嫁』の録音風景がありますので、ちょっと見てみましょう。『華氏451』の音楽はうまくいったのですが、『黒衣の花嫁』の音楽についてはトリュフォーはバーナード・ハーマンとかなり対立し、ジャンヌ・モローのスカーフが飛んでいくシーンなど、結局、バーナード・ハーマンの音楽を使わず、ヴィヴァルディの音楽を使うことになったいきさつが語られています。『黒衣の花嫁』はまったくヒッチコック的なサスペンスのない映画になりました。
ヒッチコックへの目くばせ、ヒッチコックからの引用は、トリュフォーの作品のあちこちに見られます。そのいくつかを比較しつつ見てみましょう。
『暗くなるまでこの恋を』は、ウイリアム・アイリッシュの小説「暗闇へのワルツ」の映画化ですが、映画を見ると、むしろヒッチコックの『めまい』のほとんどリメークです。カトリーヌ・ドヌーヴの失踪にショックをうけて精神的バランスを失ったジャン=ポール・ベルモンドが入院してベッドでうなされるシーンは、『めまい』でジェームズ・スチュアートがブロンドのキム・ノヴァクの死にショックをうけてうなされるシーンとそっくりです。もっとも、ベルモンドの収容される病院の名はウルトビーズで、ジャン・コクトーの『オルフェ』(1949)のなかの登場人物の名です。フランソワ・ペリエが演じていますが、じつはトリュフォーは『柔らかい肌』の主人公にこの『オルフェ』のウルトビーズ役のフランソワ・ペリエを使いたかったんですね。やむを得ず、ジャン・ドサイを使うことになったものの、非常に不満でした。そんなこともあって、ウルトビーズの名に言及しているのかもしれません。
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| 『日曜日が待ち遠しい!』オリジナル版ポスター |
『日曜日が待ち遠しい!』には、ヒッチコックの『サイコ』からそっくりそのまま引用されたシーンがあります。ファニー・アルダンが車で雨の夜のハイウェイを走るシーンは、『サイコ』のジャネット・リーが雨の夜のハイウェイを走り、やがてモーテルにたどり着くまでのすばらしいシーンの見事な再現です。心ある踏襲と言っていいくらい成功した、いいシーンだと思います。つづけてふたつのシーンを見てみましょう。『日曜日が待ち遠しい!』には、ヒッチコックの『三十九夜』(1936)や『北北西に進路を取れ』で背中にぐさりとナイフを突き刺された人物が主人公の前で倒れるというショッキングなシーンがやはり再現されます。エデン座という映画館の窓口の婦人がナイフを背中に刺されて、よろけながらファニー・アルダンに倒れかかるシーンです。ヒッチコツク作品と合わせて見てみましょう。
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