トリュフォーの映画的記憶を探る19章
(1) エッフェル塔
(2) 813
(3) リュミエール
(4) 「カイエ・デュ・シネマ」とヌーヴェル・ヴァーグ
(5) ロベルト・ロッセリーニとネオレアリズモ
(6) ジャン・コクトー
(7) ジャン・ヴィゴ
(8) ドタバタ喜劇(ローレル/ハーディ)
(9) マックス・オフュルス
(10) ニコラス・レイ
(11) チャップリン
(12) ハワード・ホークス
(13) ヒッチコック
(14) フリッツ・ラング
(15) ジャック・タチ
(16) ジャン・ルノワール
(17) 映画への愛
(18) アンリ・ラングロワとシネマテーク・フランセーズ
(19) アンドレ・バザン
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『突然炎のごとく』
 (12)のハワード・ホークスは、トリュフォーに言わせると「奇跡のような」映画的瞬間に次から次へと立ち合わせてくれる、その意味では「映画芸術の父」「アメリカ映画の父」D・W・グリフィスの真の後継者としてジョン・フォードとならぶ巨匠であり、それにイギリスからアメリカに行ったアルフレッド・ヒッチコックとドイツからアメリカに渡ったフリッツ・ラングを加えて、つまりアメリカ時代のヒッチコック、アメリカ時代のフリッツ・ラングを加えて、トリュフォーにとっての「アメリカ映画」の4巨匠ということになるのですが、ハワード・ホークスの「奇跡のような」映画的瞬間のひとつが、あの見事なジャムセッションというか、宴(うたげ)のシーンですね。『コンドル』(1939)ではラテン・バンドの演奏をバックに、ジーン・アーサーがピアノを弾き、ケーリー・グラントが調子よく(というか、調子にのって)「ピーナッツ!」とときどき声を張り上げる「ピーナッツ・ヴェンダー」の名場面。『脱出』(1944)ではホーギー・カーマイケルがピアノを弾いて歌い、そこにローレン・バコールが入ってつづけて歌い、デュエットになる「アム・アイ・ブルー」のすばらしいナンバー。『リオ・ブラボー』(1959)ではディーン・マーティンが「ライフルと愛馬」を歌い、リッキー・ネルソンがギターを弾きながらリフレインを歌い、ウォルター・ブレナンがハーモニカの伴奏をつけるうっとりするようなひととき。そのあと、リッキー・ネルソンの音頭取りで「シンディ」を3人そろって大合唱というたのしさです。『ハタリ!』(1961)ではエルサ・マルティネリが「スワニー・リヴァー」をジャズ・ピアノで弾きはじめ、そこにレッド・バトンズがハーモニカを吹いて加わるという愉快で粋なジャムセッション。グループのリーダーであるジョン・ウェインは、『リオ・ブラボー』でも、『ハタリ!』でも、そんなジャムセッションにはしゃいで和気あいあいのいたずらっ子たちをニコニコしながらやさしく見守る父親、というより母親のような感じなんですね。このような、映画のストーリーとは直接関係のないミュージカル的なシーンは、映画の流れを中断することになるので、めったに成功しないのですが、ハワード・ホークスの映画はその見事に成功している、まさに「奇跡のような」稀有な例です。しかし、じつはこのような、ある種の気晴らしのシーンは、すでにD・W・グリフィスが緊迫したプロットのなかにあえて笑いやお遊びにあふれた、いわば弛緩した、マキノ雅弘監督はよく「ダレる」という言いかたをしていましたが、弛緩した、ダレるシーンをあえてつくって、さらに緊迫感を盛り上げるための手段にしたものだったんですね。しかし、実際にそうした演出をうまくやってのける監督はきわめてまれです。とくにストーリーを一時切断した形で、しかも映画のプロットがくずれずにつながっているハワード・ホークス的な幸福なジャムセッションを演出するのは大変な力業かと思われます。ジャン=リュック・ゴダールは『女と男のいる舗道』(1962)でアンナ・カリーナがカフェの2階のビリヤード室でジュークボックスの音楽に合わせてひとり踊りまくるところや、『はなればなれに』(1964)でアンナ・カリーナがふたりの男友だち、サミー・フレーとピエール・プラッスールといっしょに、やはりカフェのなかでジュークボックスの音楽に合わせて踊るところに、すばらしい映画的瞬間を生みだしています。そして、トリュフォーは『突然炎のごとく』で見事にハワード・ホークス的な「奇跡のような」映画的瞬間を生みだすことに成功しています。ジャンヌ・モローが「つむじ風」を歌うシーンです。めったに出合えない至福のシーンですね。では、ハワード・ホークスの『コンドル』『脱出』『リオ・ブラボー』『ハタリ!』の各シーンにつづけて、『突然炎のごとく』の「つむじ風」のシーンを見てみたいと思います。時間があれば、ついでに(などと言うのももったいないくらいのぜいたくな連続上映になりますが)、ゴダールの『女と男のいる舗道』と『はなればなれに』の忘れがたいふたつの名場面も見てみましょう。このゴダール的ジュークボックスのシーンは、ベルナルド・ベルトルッチに受け継がれ、『暗殺の森』(1970)ではステファニア・サンドレッリが、『魅せられて』(1996)ではリブ・タイラーが、ジュークボックスの音楽に合わせて踊るシーンがありますね。『ルナ』(1979)ではベルトルッチの分身としか思えないマシュー・バリー少年がカフェのジュークボックスの音楽に合わせて踊る美しいシーンがあります。ここには用意してこなかったので、ベルトルッチ作品をお見せできないのが残念ですが、ゴダール作品につづけて見ると、ハワード・ホークスからヌーヴェル・ヴァーグにつながる映画的伝統をベルトルッチが見事に踏襲していることがわかります。

『日曜日が待ち遠しい!』
 ハワード・ホークスの、なかでも『三つ数えろ』(1946)が大好きだったトリュフォーは、この映画のなかでハンフリー・ボガートが何かというと――「おや」「はてな」といった一瞬の疑念や考えごとを示すときにはとくに――耳たぶを指でつまむくせがあるのですが、このしぐさをトリュフォーは批評家時代からおもしろく注目していて、『日曜日が待ち遠しい!』ではファニー・アルダンに同じしぐさをやらせています。ジャン=ルイ・トランティニャンがそれを見てイライラして、「耳たぶをつまむくせはやめろ」なんてどなります。そのシーンも、ついでに『三つ数えろ』と合わせて見てみましょう。単なる目くばせのパロディーとしても笑っちゃいますね。




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