トリュフォーの映画的記憶を探る19章
(1) エッフェル塔
(2) 813
(3) リュミエール
(4) 「カイエ・デュ・シネマ」とヌーヴェル・ヴァーグ
(5) ロベルト・ロッセリーニとネオレアリズモ
(6) ジャン・コクトー
(7) ジャン・ヴィゴ
(8) ドタバタ喜劇(ローレル/ハーディ)
(9) マックス・オフュルス
(10) ニコラス・レイ
(11) チャップリン
(12) ハワード・ホークス
(13) ヒッチコック
(14) フリッツ・ラング
(15) ジャック・タチ
(16) ジャン・ルノワール
(17) 映画への愛
(18) アンリ・ラングロワとシネマテーク・フランセーズ
(19) アンドレ・バザン
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 (5)のロベルト・ロッセリーニは、トリュフォーが1956年から57年まで足かけ2年近く、助監督について、3本のシナリオを書くのを手伝い、いろいろなことを学んだ敬愛するイタリアのネオレアリズモの監督ですね。助監督についたといっても、じつはその間ロッセリーニはほされていて、1本も映画を撮ることができなかった。第2次世界大戦直後のネオレアリズモの時代は去って、その後、イングリッド・バーグマン主演の『ストロンボリ 神の土地』(1950)から『イタリア旅行』(1953)、『不安』(1954)までどれも不評で当たらず、まったくプロデューサーがつかずにいたんですね。そんな時期に、「カイエ・デュ・シネマ」の一派に評価されて励まされ、トリュフォーに協力を求めて3本の映画を企画するけれども、ついにどれも映画化されずに終わりました。トリュフォーは当時、「アール」という週刊紙の映画欄を担当しながら、つまり映画ジャーナリストとしての仕事をつづけながら、ロッセリーニの助監督になって、シナリオ書きやロケハンに付き合うわけですが(そのすばらしい体験を「ロベルト・ロッセリーニとともに」という文章に書いています)、そこで学んだのが、とことん人間に惚れこんでしまうロッセリーニの才能、そのためにとことん人間に密着取材をするというそのドキュメンタリズムだったんですね。とにかく人間にインタビューをして、その生の反応を映画にとらえるという方法ですね。『ストロンボリ 神の土地』では島の漁民の青年をイングリッド・バーグマン主演の劇映画のなかにそのまま起用しています。イングリッド・バーグマンはプロの女優ですから、まったくの素人の漁民の青年と組ませても異和感があって、アンバランスで、チグハグで、ドラマとしてはなってないということで、批評家にも一般の観客にもまったくうけなかった。しかし、そのドキュメンタルな、生々しい映画的手法を、トリュフォーは自分の作品のなかにもちこみます。長篇映画第1作『大人は判ってくれない』のなかで主人公のアントワーヌ・ドワネルを演じるジャン=ピエール・レオーが少年鑑別所で精神科の女医にいろいろと質問されるところがありますが、キャメラはジャン=ピエール・レオーをとらえたままです。質問する女医は声だけです。ここは、じつは、トリュフォーがジャン=ピエール・レオーにインタビューをして、あとで質問のところをアネット・ヴァドマンという女性のシナリオライターに吹き替えてもらったシーンです。ここで、ジャン=ピエール・レオーは、もちろんアントワーヌ・ドワネルの役を演じているのですが、いまで言うテレビ的な突撃インタビューをうけて、ときどきシドロモドロになって、ジャン=ピエール・レオーとしての地が出てきてしまっている感じが生々しく見てとれます。これこそロッセリーニ的な、ネオレアリズモ的な、生の人間に密着取材する方法の踏襲ですね。ジャン=リュック・ゴダールも、『女と男のいる舗道』(1962)や『恋人のいる時間』(1964)や、ほとんどすべての作品で、こうしたインタビュー方式を使っていますね。ロッセリーニからジャン・ルーシュのいわゆるシネマ・ヴェリテに伝わってゴダールに踏襲された方法でもあるんですね。

『大人は判ってくれない』 オリジナル版ポスター
 トリュフォーの『大人は判ってくれない』は、トリュフォー自身も語っているように、子供の映画としてはロッセリーニの『ドイツ零年』(1948)に最も影響された作品でもあったわけです。では、ロッセリーニの『ストロンボリ 神の土地』『ドイツ零年』からトリュフォーの『大人は判ってくれない』のインタビュー・シーンを、そしてゴダールの『女と男のいる舗道』や『恋人のいる時間』のインタビュー・シーンをつづけて見てみたいと思います。




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