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| 『大人は判ってくれない』 |
(1)のエッフェル塔はパリの映画少年トリュフォーの原点です。映画を見るために、パリ中の映画館をかけめぐった10代のトリュフォーは、貧しく、入場券を買うだけで精一杯だったので――ときには、いや、しばしば、『トリュフォーの思春期』(1976)にも描かれていたように、タダ見をするくらいですから――地下鉄には乗らずに歩いて帰ったそうです。エッフェル塔の近くに住んでいたので、エッフェル塔をめざして歩いたけれども、じつはエッフェル塔の近くといっても四方八方に「近く」があり、パリの街路はあちこちの広場を中心に放射線状につくられているので、エッフェル塔をめざしてひとつの道を進んでいくといつのまにか別の道に迷いこんだり袋小路につきあたったりする。エッフェル塔が見えるけれども、進むにつれて大きくなったり小さくなったりする、近づいたかと思うと遠ざかるという不思議な印象をトリュフォーは少年時代から持ちつづけ、その印象が長篇映画第1作『大人は判ってくれない』(1959)の冒頭、エッフェル塔の周囲をめぐる移動撮影とともに、エッフェル塔が見えつ隠れつするタイトル・バックに表現されます。『大人は判ってくれない』の前に、トリュフォーは、地方からパリに出てきた若い農夫がエッフェル塔をめざして歩きつづけるけれどもついにたどり着けなかったという短篇の脚本を書いて、ジャン=クロード・ブリアリ主演で映画化しようとしたこともあるそうです。そんな映画的な思い出から、やがて、トリュフォーはエッフェル塔が見える場所に自分の存在を認識できるようになり、逆にエッフェル塔が見えないと安心できず、どこに引っ越ししてもかならず窓からエッフェル塔が見える部屋に住むようになった。エッフェル塔が見えるので自分の居場所が確認できるし、「わたしにとってパリはエッフェル塔なのです」と語っているほどです。映画のなかにもほとんど妄執のように、そしてたぶん縁起もかついで、かならずと言っていいほどエッフェル塔が出てきます。『夜霧の恋人たち』(1968)のような自伝的シリーズ、いわゆる「ドワネルもの」では、まさにエッフェル塔のある風景が生活の舞台になっています。エッフェル塔が見えない場合は、『逃げ去る恋』(1979)のはじまりのサビーヌ(ドロテー)というアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオー)の新しい恋人のアパルトマンの壁にエッフェル塔の設計図みたいなデッサンが大きく貼ってあったり、『終電車』(1980)の劇場のなかのカトリーヌ・ドヌーヴのオフィスの棚にエッフェル塔の模型が調度品のように置いてあったり、パリではない南仏の町を舞台にした『日曜日が待ち遠しい!』(1983)ではジャン=ルイ・トランティニャンに襲いかかる敵(ジャン=ピエール・カルフォン)をファニー・アルダンがエッフェル塔の置物で殴り倒すところがあります。映画を見てみましょう。
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| 『逃げる恋』 |
『逃げ去る恋』はもう少し見てみましょう。というのも、恋人のサビーヌがアントワーヌ・ドワネルにポール・レオトーの日記の全集をプレゼントするところがあります。トリュフォーが「ドワネルもの」を撮りながらずっと映画化を考えつづけていたのがポール・レオトーの自伝的小説「情人(ル・プティ・タミ)」だったんですね。ポール・レオトーは母親に恋をしていたのだと『逃げ去る恋』のアントワーヌ・ドワネルは言います。その思いが『大人は判ってくれない』の母親の美しい脚の描写などに反映しています。 |
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